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聖書の豆知識:中通りコミュニティ・チャーチ

新約時代

歴史の流れ 9

イエスの誕生

紀元前7年か6年、旧約聖書の預言通り、救い主が誕生しました。

救い主は、聖霊(神さまの霊)によって、ダビデの末裔であるヨセフの婚約者、処女マリヤを通して、人間の赤ん坊として生まれました。この赤ん坊は、イエス(ヘブル語でイェホシュア、すなわちヨシュア。「主は救い」という意味)と名付けられました。

メシヤ宣言と拒否

御国の福音

成長したイエスさまは、約30歳で公の活動をスタートされ、「御国の福音」と呼ばれるメッセージをユダヤの人々に語られました。福音とは「良い知らせ、グッド・ニュース」という意味ですが、聖書の中では、神さまに罪を赦され、救われるために信じなければならない内容を指します。

「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた。『時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』」(マルコ1:14-15)。

イエスさまが宣べ伝えた御国の福音とは、「旧約聖書が約束してきた神の国(天の御国)の実現がいよいよ近づいている。それは、神の国の王である救い主が地上に来たからだ。それはナザレのイエスである」というものです。そして、イエスさまはそれを証明するために、様々な奇跡(しるし)を行なわれました。

「イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒やされた」(マタイ4:23)。

イスラエルによる公式拒否

御国の福音を信じ、イエスさまに従ったユダヤ人は個人的にはたくさんいました。しかし、当時のユダヤ人の大多数、特に指導者たちは、イエスさまが救い主であることを受け入れませんでした。

「群衆はみな驚いて言った。『もしかすると、この人がダビデの子なのではないだろうか』。これを聞いたパリサイ人たちは言った。『この人が悪霊どもを追い出しているのは、ただ悪霊どものかしらベルゼブルによることだ』」(マタイ12:23-24)。

すなわち、イエスさまはモーセの律法が禁じている魔術を行なうものであり、決して救い主ではないという宣言です。「イエスが魔術を行ない、人々を惑わした」という見解は、後のユダヤ教の経典タルムードにも記されています。イスラエルは、国家としては公式にイエスさまを否定したのです。

当時のイスラエルへのさばき

そのため、せっかく近づいていた神の国の実現は、ずっと後の時代に先送りになってしまいました。具体的には、世の終わりの、イエスさまの再臨の時までです(黙示録20章の千年王国)。

そして、当時のイスラエルの国は、神さまのさばきを招くことになります。40年後の紀元70年、ローマ軍によってエルサレムが破壊され、そこに住んでいたユダヤ人は世界中に散らされてしまいました。これも、昔のアッシリア捕囚やバビロン捕囚と同じく、「土地の契約」に基づくさばきです。

ただし、これはあくまでもイエスさまを公式に拒否した「当時の」イスラエル国家に対するさばきです。神さまがイスラエル全体を見限り、アブラハム契約を破棄して、代わりに教会を新しいイスラエルになさったというわけではありません。

モーセの律法がまだ有効だった時代

福音書の中のイエスさまの言葉を読むときに注意すべき点は、イエスさまが十字架にかかられる前は、まだモーセの律法が有効な時代だったということです。

イエスさま自身、モーセの律法を完璧に実行しておられましたし、当時のユダヤ人に対しても、律法に忠実に生きるよう命じておられます。たとえば、山上の説教(マタイ5-7章)は、モーセの律法の本当の意味を解説し、神さまの正義の基準の高さを示したものです。

ですから、文脈をよく見て、当時のユダヤ人に向けて語られている教えなのか、十字架後の私たち教会の信徒たちに向けて語られている教えなのかを、正しく判別しなければなりません。

イエスの受難

十字架

イエスさまは、ユダヤ人の指導者たちによって冒涜罪(ただの人間のくせに、自分は約束の救い主、すなわち人となった神だと主張した)の宣告を受けます。ところが、当時のユダヤ議会には死刑を執行する権限がなかったので、ローマ総督ポンテオ・ピラトにイエスさまを引き渡し、ローマに対する反逆者として罰するよう訴えます。ピラトはイエスさまの無罪を確信していましたが、暴動を恐れて、結局十字架刑を宣告してしまいました。

十字架刑とは

十字架刑は、重罪人に対して行なわれた残酷な死刑で、木の杭に罪人を釘付けにします。杭の形は、よく知られた十字型の他、T型、I型、X型がありましたが、考古学的に見て、イエスさまがかかったのは十字型の可能性が最も高いです(イエスさまの頭上に罪状書きが打ち付けられましたから、T型とX型は除外されます。また、I型はイタリア以外ではあまり用いられませんでした)。

罪人の衣服は下着も含めてすべてはぎ取られ、丸裸です。何重にも辱めを受けるわけです。

釘を打つ場所は、中世の絵にあるような手のひらや足の甲ではなく、両手首に1本ずつ、そして、足は曲げて横に重ね、くるぶしのところに1本でした。そのままでは、釘のところに全体重がかかって肉が引き裂かれるので、足台や腰掛けが取り付けられました。こちらのサイトで、十字架にかけられた罪人の絵を見ることができます。

この格好で前に倒れると、腕が斜め後ろに引っ張られて呼吸ができなくなるので、罪人は体を伸ばして息をしようとします。このとき、手足の釘のところに力がかかって激しい痛みが襲います。

なお、絵画や映画などでは、縦の杭がとても長く、罪人は高い場所にはりつけられていて、人々がそれを見上げていますが、それだと十字架を立てるのも、罪人に水分補給をするのも、死体を取り下ろすのも大変です。実際にはもっと低かったようです。そのため、足はくの字に曲げた状態で釘付けにされました。見物人は、はりつけにされた罪人をすぐ目の前で見ることができたわけです。

どれくらい生きていられたのか

十字架上の罪人には、水分は必要なだけ与えられるので、通常数日間は死ぬことができません。長い間苦しみを与え続ける、残酷な刑罰なのです。そして、最後は体力を消耗して体を支えられなくなり、窒息死します。

何かの理由で早く死に至らしめたい場合には、すねの骨を折って、体を支えられなくします。イエスさまと一緒に十字架につけられた2人の強盗は、この方法で殺されました。

しかし、事前に激しいむち打ちの刑を受け、また全人類の罪を身代わりに負って神さまにさばかれるという霊的な痛みを通過して、疲労困憊していたイエスさまは、たった6時間で亡くなったため(報告を聞いたピラトが驚いたほどです)、すねの骨は折られませんでした。

自ら進んで

政治的にはイエスさまは十字架に「かけられ」て、「殺された」わけですが、聖書はイエスさまが自ら進んで十字架の死を選ばれたと教えています。それは、アダムの時代から連綿と続いてきた血の犠牲の完成形となり、ご自分が罪の罰をすべて身代わりに負うことで、私たちの罪を取り除くためでした。

「だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、再び得る権威があります。わたしはこの命令を、わたしの父から受けたのです」(ヨハネ10:18)。

十字架以前にも、イエスさまは何度か逮捕されたり殺されたりしそうになりましたが、誰も成功しませんでした。そのようなとき、聖書はこう記しています。「イエスの時がまだ来ていなかったからである」(ヨハネ7:30など)。イエスさまは、ご自分がいつどのように死ぬかを自由に選ぶことができたということです。

その上で、イエスさまは、過越の祭りの時に全人類の罪を取り除く犠牲(神の子羊)として、また「まことに、犬はわたしをめぐり、悪を行う者の群れがわたしを囲んで、わたしの手と足を刺し貫いた」(詩篇22:16 口語訳)と預言されていたとおり、釘付けになって殺されることをお選びになりました。それは、「木にかけられた者は神にのろわれた者だからである。」(申命21:23)とあるように、私たちの身代わりにのろわれた者となり、私たちに神さまのさばきが下らないようにするためです。

埋葬

イエスさまの遺体は、金持ちだった弟子のアリマタヤのヨセフに引き取られ、彼個人の墓に埋葬されました。

イエスさまは、金曜日の午後3時に亡くなりましたから、間もなく安息日が始まろうとしていました(ユダヤの一日は日没から始まりました。安息日は、金曜日の日没から土曜日の日没までです)。当時、安息日に遺体を埋葬することは禁じられていましたので、日没までに埋葬する必要がありました。そこで、イエスさまの遺体に防腐効果のある没薬(これは、ニコデモが持ってきました)を混ぜた香料を塗り、亜麻布で巻いて、急いで墓に納めました(ヨハネ20:38-40)。

急いでいたため、通常は行なう、遺体を香油で洗い清めることまではできなかったようです(そのため、安息日が終わった日曜日の朝に、女の弟子たちが埋葬をやり直すため、香料と香油を持って墓に向かいました)。

ただし、イエスさまが葬られる2日前、ベタニヤ村のマリヤが、イエスさまの体に高価なナルドの香油を注ぎました。イエスさまは、この行為について「彼女は、……埋葬に備えて、わたしのからだに、前もって香油を塗ってくれました」(マルコ14:8)とおっしゃって喜ばれました。

イエスの栄化

復活

十字架で亡くなったイエスさまは、3日目に(金曜日の午後3時に亡くなり、次の日曜日の朝に)よみがえりました。

「彼女たちは恐ろしくなって、地面に顔を伏せた。すると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話しになったことを思い出しなさい」(ルカ24:5-6)。

その後、40日間弟子たちの前に現れ、彼らを指導なさいました。

昇天

復活後40日たって、イエスさまは弟子たちが見ている前で天に昇って行かれました。現在、イエスさまは神さまの右の座につき、私たちのために取りなしをしてくださっています。

「だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです」(ローマ8:34)。

聖霊降臨と教会の誕生

聖霊降臨

イエスさまの昇天から10日たったペンテコステの祭り(五旬節、七週の祭り)の日、生前イエスさまが約束しておられた通り、そして「新しい契約」など旧約聖書の約束通り、神さまの霊である聖霊さまが弟子たち一人一人に降り、その内側に住んでくださいました。

「五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた」(使徒2:1-4)。

その結果、弟子たちは劇的な変化を経験しました。
  1. イエスさまの生前はさっぱりその教えを理解しなかったのに、突然理解を深めました。
  2. ユダヤの指導者を恐れて引きこもっていたのに、大胆にイエスさまこそ救い主だと伝道を始めました。
  3. かつては誰が救い主の王国で高い地位を占めるかということを張り合っていたのに、愛の共同体に変わりました。
  4. 様々な奇跡を行なうようになりました。

教会の誕生

聖霊降臨によって、イエスさまを救い主だと信じる人たちの群れ、すなわち教会が誕生して、その後も爆発的に数を増やしていきます。また、信者たちは、やがてキリスト馬鹿というような意味のあだ名から、クリスチャンと呼ばれるようになります。

教会の初期段階では、信者はユダヤ人だけでしたが、後に異邦人もそこに加わるようになり、世界中に広がっていきました。そして、極東の島国である日本にも、イエスこそ救い主であるというメッセージが届けられ、今あなたがこのサイトを読んでいるというわけです。

教会は新しいイスラエルではない

置換神学という教えがあります。これは、神さまはアブラハム以降様々な契約をイスラエルと結ばれたが、彼らが不信仰に陥ったため、イスラエルを退け、代わりに新しいイスラエル(霊的イスラエル)として作られたのが教会である、という教えです。そして、旧約聖書に書かれているイスラエルに関する様々な約束は、教会の上に実現すると教えます。

しかし、聖書を素直に読めば、イスラエルと教会は全く別物であることが明らかです。

仮に神さまが最初の約束を反故にしてイスラエルを退けられたとしましょう。であれば、あなたが不信仰に陥ったら、あなたも神さまに退けられる恐れがあるではありませんか。「絶対にそんなことはない。神さまは旧約聖書の約束通り、イスラエルを国家的・民族的に必ず救われる。だからあなたの救いも確かなのだ」と、パウロはローマ9-11章で語っています。


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