新約時代

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歴史の流れ その9

イエスの地上生涯

誕生

紀元前7年か6年、旧約聖書の預言通り、救い主が誕生しました。

救い主は、聖霊(神さまの霊)によって、ダビデの末裔であるヨセフの婚約者、処女マリヤを通して、人間の赤ん坊として生まれました。この赤ん坊は、イエス(ヘブル語でイェシュア、すなわちヨシュア。「主は救い」という意味)と名付けられました。

メシヤ宣言と拒否

成長したイエスさまは、ご自分が約束の救い主であって、イスラエルに神の国(救い主の王国)を建てる王であることを、様々な言葉や奇跡によって示します。それを信じたユダヤ人は個人的にはたくさんいましたが、当時のユダヤ人の大多数はイエスさまが救い主であることを受け入れず、国家として公式に否定しました(マタイ12章)。

そのため、当時のイスラエルは神さまのさばきを招くことになり、紀元70年にローマ軍によってエルサレムが破壊され、そこに住んでいたユダヤ人は世界中に散らされてしまいます。これも、昔のアッシリア捕囚やバビロン捕囚と同じく、「土地の契約」に基づくさばきです。
あくまでも、イエスさまを公式に拒否した「当時の」ユダヤ人に対するさばきです。神さまがユダヤ人自体を見限り、契約を破棄して、代わりに教会を新しいイスラエルになさったというわけではありません。
そして、神の国の実現は、イエスさまの再臨の時まで先送りになってしまいました(黙示録20章の、千年王国の約束)。

モーセの律法がまだ有効だった時代

福音書の中のイエスさまの言葉を読むときに注意すべき点は、イエスさまが十字架にかかられる前は、まだモーセの律法が有効な時代だったということです。

イエスさま自身、モーセの律法を完璧に実行しておられましたし、当時のユダヤ人に対しても、律法に忠実に生きるよう命じておられます。たとえば、山上の説教(マタイ5-7章)は、モーセの律法の本当の意味を解説し、神さまの正義の基準の高さを示したものです。

ですから、文脈をよく見て、当時のユダヤ人に向けて語られている教えなのか、十字架後の私たちに向けて語られている教えなのかを、正しく判別しなければなりません。

イエスの受難

十字架

イエスさまは、ユダヤ人の指導者たちによって冒涜罪(ただの人間のくせに、自分は約束の救い主、すなわち人となった神だと主張した)の宣告を受けます。ところが、当時のユダヤ議会には死刑を執行する権限がなかったので、ローマ総督ポンテオ・ピラトにイエスさまを引き渡し、ローマに対する反逆者として罰するよう訴えます。ピラトはイエスさまの無罪を確信していましたが、暴動を恐れて、結局十字架刑を宣告してしまいました。

十字架刑とは

十字架刑は、重罪人に対して行なわれた残酷な死刑で、木の杭に罪人を釘付けにします。杭の形は、よく知られた十字型の他、T型、I型、X型がありましたが、考古学的に見て、イエスさまがかかったのは十字型の可能性が最も高いです(イエスさまの頭上に罪状書きが打ち付けられましたから、T型とX型は除外されます。また、I型はイタリア以外ではあまり用いられませんでした)。

罪人の衣服は下着も含めてすべてはぎ取られ、丸裸です。何重にも辱めを受けるわけです。

釘を打つ場所は、中世の絵にあるような手のひらや足の甲ではなく、両手首に1本ずつ、そして、足は曲げて横に重ね、くるぶしのところに1本でした。そのままでは、釘のところに全体重がかかって肉が引き裂かれるので、足台や腰掛けが取り付けられました。こちらのサイトで、十字架にかけられた罪人の絵を見ることができます。

この格好で前に倒れると、腕が斜め後ろに引っ張られて呼吸ができなくなるので、罪人は体を伸ばして息をしようとします。このとき、手足の釘のところに力がかかって激しい痛みが襲います。

なお、絵画や映画などでは、縦の杭がとても長く、罪人は高い場所にはりつけられていて、人々がそれを見上げていますが、それだと十字架を立てるのも、罪人に水分補給をするのも、死体を取り下ろすのも大変です。実際にはもっと低かったようです。そのため、足はくの字に曲げた状態で釘付けにされました。見物人は、はりつけにされた罪人をすぐ目の前で見ることができたわけです。

どれくらい生きていられたのか

十字架上の罪人には、水分は必要なだけ与えられるので、通常数日間は死ぬことができません。長い間苦しみを与え続ける、残酷な刑罰なのです。そして、最後は体力を消耗して体を支えられなくなり、窒息死します。

何かの理由で早く死に至らしめたい場合には、すねの骨を折って、体を支えられなくします。イエスさまと一緒に十字架につけられた2人の強盗は、この方法で殺されました。

しかし、事前に激しいむち打ちの刑を受け、また全人類の罪を身代わりに負って神さまにさばかれるという霊的な痛みを通過して、疲労困憊していたイエスさまは、たった6時間で亡くなったため(報告を聞いたピラトが驚いたほどです)、すねの骨は折られませんでした。

自ら進んで

政治的にはイエスさまは十字架に「かけられ」て、「殺された」わけですが、聖書はイエスさまが自ら進んで十字架の死を選ばれたと教えています。それは、アダムの時代から連綿と続いてきた血の犠牲の完成形となり、ご自分が罪の罰をすべて身代わりに負うことで、私たちの罪を取り除くためでした。

「だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです」(ヨハネ10:18)。

埋葬

イエスさまの遺体は、金持ちだった弟子のアリマタヤのヨセフに引き取られ、彼個人の墓に埋葬されました。

イエスさまは、金曜日の午後3時に亡くなりましたから、間もなく安息日が始まろうとしていました(ユダヤの一日は日没から始まりました。安息日は、金曜日の日没から土曜日の日没までです)。当時、安息日に遺体を埋葬することは禁じられていましたので、日没までに埋葬する必要がありました。そこで、イエスさまの遺体に防腐効果のある没薬(これは、ニコデモが持ってきました)を混ぜた香料を塗り、亜麻布で巻いて、急いで墓に納めました(ヨハネ20:38-40)。

急いでいたため、通常は行なう、遺体を香油で洗い清めることまではできなかったようです(そのため、安息日が終わった日曜日の朝に、女の弟子たちが埋葬をやり直すため、香料と香油を持って墓に向かいました)。

ただし、イエスさまが葬られる2日前、ベタニヤ村のマリヤが、イエスさまの体に高価なナルドの香油を注ぎました。イエスさまは、この行為について「この女は……埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです」(マルコ14:2-9)とおっしゃって喜ばれました。

イエスの栄化

復活

十字架で亡くなったイエスさまは、3日目に(金曜日の午後3時に亡くなり、次の日曜日の朝に)よみがえりました。

「恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい」(ルカ24:5-6)

その後、40日間弟子たちの前に現れ、彼らを指導なさいました。

昇天

復活後40日たって、イエスさまは弟子たちが見ている前で天に昇って行かれました。現在、イエスさまは神さまの右の座につき、私たちのために取りなしをしてくださっています。

「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです」(ローマ8:34)

聖霊降臨と教会の誕生

聖霊降臨

イエスさまの昇天から10日たったペンテコステの祭り(五旬節、七週の祭り)の日、生前イエスさまが約束しておられた通り、そして「新しい契約」など旧約聖書の約束通り、神さまの霊である聖霊さまが弟子たち一人一人に降り、その内側に住んでくださいました。

「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした」(使徒2:1-4)

その結果、弟子たちは劇的な変化を経験しました。

教会の誕生

聖霊降臨によって、イエスさまを救い主だと信じる人たちの群れ、すなわち教会が誕生して、その後も爆発的に数を増やしていきます。また、信者たちは、やがてキリスト馬鹿というような意味のあだ名から、クリスチャンと呼ばれるようになります。

教会の初期段階では、信者はユダヤ人だけでしたが、後に異邦人もそこに加わるようになり、世界中に広がっていきました。そして、極東の島国である日本にも、イエスこそ救い主であるというメッセージが届けられ、今あなたがこのサイトを読んでいるというわけです。

教会は新しいイスラエルではない

置換神学という教えがあります。これは、神さまはアブラハム以降様々な契約をイスラエルと結ばれたが、彼らが不信仰に陥ったため、イスラエルを退け、代わりに新しいイスラエルとして作られたのが教会である、という教えです。そして、旧約聖書に書かれているイスラエルに関する様々な約束は、教会の上に実現すると教えます。

しかし、聖書を素直に読めば、イスラエルと教会は全く別物であることが明らかです。

また、仮に神さまが最初の約束を反故にしてイスラエルを退けられたのであれば、あなたが不信仰に陥ったら、あなたも神さまに退けられる恐れがあるではありませんか。「絶対にそんなことはない。神さまは旧約聖書の約束通り、イスラエルを国家的・民族的に必ず救われる。だからあなたの救いも確かなのだ」と、パウロはローマ9-11章で語っています。
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