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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

さばくな

(2011年3月6日)

ある時、一人の青年が牧師のところに来て、こんな話をしました。

田舎道を走るバスに乗った時のこと、若い女性がバスの座席に座り、その前におばあさんが立っていました。そのおばあさんのそばにも何人かの人が立っていました。

やがて一つの停留所に着いた時、乗客の一人がその女性に向かって、「失礼じゃないか、こんな年寄りを立たせたりして」と言って降りて行きました。バスの中の人々は、勇気あるその乗客に同調しているようでした。

しかし、その乗客が降りた後で分かったのは、この女性は足が不自由だったということです。それを知った人々は唖然としました。そして、今度はあの厳しい言葉を吐いた乗客に対して、非難の思いが向けられたのです。

「先生、この話をどう思いますか?」と青年が牧師に尋ねました。

「その女性を非難した乗客は、少し思いやりが足りなかった。そう簡単に人をさばくものではないね」。

牧師は、そうは言いませんでした。

「いや、その乗客もその時、愛の動機からそうおっしゃったのでしょう。彼には彼の思いがあったのですよ」。

すると、青年は目に涙を浮かべました。「先生、実は女性を非難したその乗客とは、僕のことだったのです」。

「さばくな」と言いながら、さばいている他人を自分がさばいていることがよくあります。それはメニューだけで料理の出てこないレストランのようなものです。愛を説明するだけではなく、この牧師のように、実体として相手にお見せすることができたらどんなにすばらしいことでしょう。そのためには、まず自分自身がイエスさまの愛をたっぷりと体験する必要があるのかもしれません。

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