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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

二人のフランシスコ

(2013年5月5日)

1549年にフランシスコ・ザビエルが来日して、キリスト教がこの国に伝わりました。その後、豊臣・徳川政権によるキリシタン禁令まで、キリスト教は爆発的な勢いで日本中に広がっていきました。ところが、そんな時代にも、一時的に教会成長が停滞した時期がありました。フランシスコ・カブラルという人が日本宣教の総責任者として滞在していた1570年からの8年間です。

カブラルは、こんな手紙を残しています。「私は、日本人ほど傲慢で、貪欲で、不安定で、偽善的な国民を見たことがない」。ひどい言われようですが、自分を振り返ってみると、確かにそうかなぁとも思わされます。

一方、ザビエルはというと、こんな手紙を残しています。「日本人は、私が出会った民族の中で、最も優れている。彼らは一般的によい素質を持ち、悪意がなく、交際していて非常に気持ちがいい」。

この「二人のフランシスコ」の活動時期は20年ほどの差しかありません。そのわずかな間に、日本人の気質はそんなにも変わってしまったのでしょうか?

そうではなくて、二人の日本人に対する見方の違いではないでしょうか。日本人に対する愛情の違いと言ってもいいかもしれません。カブラルだって、宣教師となり、国を捨てて遠いアジアまでやってきたほどに伝道に燃えた人です。それなのに、彼の滞在時にあまり教会が成長しなかった理由が、このあたりにあるように私には思えてなりません。

「あなたは罪人で邪悪である。だから私が伝道してまともな人間に変えてやる」という態度。「あなたは問題を抱えた不完全な人間である。だから、私が相談に乗って助けてやる」という態度。そんな態度で臨むなら、誰もその人の話に耳を傾けたいとは思わないでしょう。「お前はダメ人間だ」とバカにされていると感じるからです。

私たちは天の父なる神さまに愛された存在です。イエスさまが、ご自分のいのちと引き替えにしても惜しくないと思われるほどに、すばらしい存在です。聖霊さまが心に住んでくださるならば、思いもよらない力を発揮することができる、そんな可能性に満ちた存在です。まずは、そんなふうに相手に対する深い愛情と感動が与えられて初めて、伝道や援助の関わりも功を奏していくのでしょう。

そして、そんなふうに人に接することができるためには、自分自身がどんなに神さまに愛され尊重されているかを知ることが大切です。

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