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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

本の中の紙切れ

(2013年5月26日)

聖書の中で、パウロはよく「キリストにある」「キリストにあって」(英語で in Christ)という言葉を使っています。たとえば、「というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです」(第1コリント1:5)のように。

「キリストにある」という状態について、ウォッチマン・ニーが「キリスト者の標準」という本の中で、分かりやすいたとえを使って説明してくれています。

たとえば、私が本の中に小さな紙切れを挟んだとします。するとこれは「本にある紙切れ」ということになりますね。さて、私がこの本を本棚の中に置くと、紙切れも本棚の中に置かれたことになります。本を川に落とすと、紙切れも川の中です。本を燃やすと、紙切れも燃えます。すなわち、「本にある紙切れ」は、本と同じ経験をすることになるのです。

同じように、あなたがキリストにあるなら、あなたもキリストと同じ経験をします。キリストは完璧な人生を送ってくださいました。だから、神さまはあなたを完全な人として見てくださっています。キリストは十字架にかかって神のさばきを受けて死にました。だから、神さまはあなたの罪の罰はもう完了したと言われます。キリストが復活したので、あなたは神の子どもとして新しく生まれ変わりました。キリストが昇天なさったので、あなたは天国の市民の一人になりました。

皆さんは、人の目にはどう見えようともそういう存在です。

え? どのようにすれば「キリストにある」状態になれるのか? 聖書にはこう書かれています。「あなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです」(第1コリント1:30)。私たちがすべきなのは、それを信じるだけ。

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