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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

ねずみ取りとクリスマス

(2013年12月22日)

もう10年ほど前の話ですが、車でスピード違反をして、捕まってしまいました。部屋の中に案内され、調書を取られましたが、私の他にも次々と違反者が入ってきます。

隣の席の50代くらいの女性は、「気がつかなくて……ほんとにごめんなさい。ごめんなさい……」と号泣しています。対応している若いお巡りさんは、困った顔で「分かったから、私の話を聞いてください〜」となだめています。

さらに奥の席では、トラックの運転手とおぼしき男性が、「何で、あんなところでねずみ取りやってるんだ。あそこでスピード出しても、全然危険じゃないだろう。もっと別のところでやれよ。違反っていっても、たった15キロくらいじゃないか。あんたらだって、非番の時にはそれくらい出すだろう」と、文句を言っています。

私は、「職業? 牧師で、カウンセラーです。人のために働いています。これまで、何人もの命を救ってきました。だから、ね、お目こぼしを」……とは言いませんでしたが、たとえ言ったとしても、他の違反者たちと同様、やっぱり違反が取り消しにはならなかったでしょう。これが法というものです。どんなに泣いても、逆ギレしても、善行を持ち出して取引しようとしても、ダメなものはダメ。

神さまの法も同様です。どんなに泣いても、逆ギレしても、取引しようとしても、罪は罪であり、さばきの対象となります。

しかし、正義の原則から言うとそうなのですが、神さまの愛の原則は、私たちを赦し、祝福しようとなさいます。この二つの原則の矛盾を解決したのがイエスさまの十字架です。イエスさまは、十字架にかかることで、私たちの罪の罰を身代わりに負い、神さまの正義の原則を満足させました。そのために、(あえて人間的な言い方をすると)神さまは堂々と私たちを赦し、祝福することがおできになったのです。

私たちの側から、罪の赦しを達成することはできません。何をしても、どんな人間であってもです。しかし、神さまの側から、一方的な赦しを与えてくださいました。これが恵みであり、福音(良い知らせ)です。

今日は、多くの教会がクリスマスをお祝いする礼拝をささげます。イエスさまが私たちに神さまの赦しをもたらすために来られたこと。それをお祝いするのがクリスマスです。

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