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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

ヨイ出し

(2014年10月12日)

アドラー派の心理学者、岩井俊憲さんの本(「勇気づけの心理学」金子書房)を読んでいて、「ヨイ出し」という言葉にぶつかりました。これは、相手の行動や態度、動機などの建設的な側面に注目して、言葉をかけることです。非建設的な側面を指摘するダメ出しの反対ですね。

岩井さんによれば、子どもの全行動のうち、朝起きてくる、顔を洗う、ご飯を食べる、歯を磨く、学校に行く、授業に出る、家に帰ってくるなど、建設的(適切)なものは98%だそうです。ということは、非建設的(不適切)な行動はわずか2%ということです。

ただ、親からすると、子どもの建設的な行動のほとんどは、いちいち指摘することをしません。「実行できて当然」と思っているからです。98%なのに、注目度は2%です。逆に、わずか2%に過ぎない不適切な行動については、98%分の注目をして、ついダメ出しをしてしまいます。

たとえば、子どもが珍しく家事の手伝いをして失敗をしてしまったとき、「何やってるのよ」と言いたくなります。しかし、ここで「手伝ってくれたこと」「しかも自発的に手伝おうと思ってくれたこと」に注目し、それを感謝するのがヨイ出しです。しかし、悲しいことに、子どもの手伝いにダメ出しばかりして、すっかりやる気を削り取っておきながら、「うちの子は、ちっともお手伝いをしない」と嘆く親の何と多いことでしょう。

ですから、建設的な側面を積極的に探し、探し出したら肯定的な言葉かけをするようにと、岩井さんは勧めておられます。

ところで、私たちの天のお父さまである神さまは、ヨイ出しの達人だなあと思います。神さまの愛(アガペー)のことを「にもかかわらずの愛」などということがあります。私たちは罪人で不完全、にもかかわらず愛する愛、というわけです。もちろん、神学的にはそれで正解でしょう。

しかし、神さまご自身は、「にもかかわらず」なんて、毛ほども思ってはいないのではないか。私は最近そんなふうに感じています。私をごらんになって、「あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」とおっしゃるとき、心の底から「お前、ほんとにすごいなあ!」と感動していらっしゃるのではないかと。でなければ、神さまの愛なんていったって、心からの本音じゃないしなぁ、ということになってしまいます。

神さまのヨイ出しに触れて、心の底から勇気づけられていくとき、私たちは他の人に対しても、「そんなの当たり前です」とか、「それっぽっちでほめると、つけ上がりますから」とか言わないで、心から感動・感謝し、相手に肯定的な語りかけをすることができるようになるのではないでしょうか。

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