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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

素のままの自分を示されて

(2015年2月1日)

今度は、お友だちのYさんの証しを聴きました。

Yさんは、完全主義癖があり、職場などで同僚の仕事ぶりを見て、「あそこが足りない」「ここが足りない」と心の中で責めてばかりだったそうです。しかし、イエスさまを信じ、心の中に聖霊なる神さまが住んでくださるようになってからは、他人を責めてイライラしていると、「またやってるよ」と心の中で声がして、「ああ、いけない。傲慢だった」と方向転換できるようになったといいます。

完全主義ということは、自分自身に対しても完璧を求めるということです。ですから、そんなふうに傲慢な自分を見せつけるられるということは、さぞかしつらいだろうと思いきや、Yさんは「これって、いいですよね。傲慢な自分を示されることが、とてもうれしいんです」とおっしゃいました。いったいなぜでしょう。

イエスさまの十字架は、私たちのすべての罪を赦しました。ですから、傲慢であるとか謙遜であるとか、完全にできているとかできていないとか、そのようなことは、神さまの愛とは無関係です。神さまは、私たちを現在地のままで受け入れ、「すばらしい神の子」と呼んでくださっています。そして、そこからさらなる高みを目指して、自分のペースで進んでいけばいいと励ましてくださいます。同じ時に山登りを始めた人が、もう5合目まで進んでいるのに、自分はまだ3合目。そんな自分を責めるために立ち止まるのではなく、まずは4合目目指して一歩一歩進んでいこうということですね。

だから、Yさんは心からの平安を味わっておられます。人を責めている傲慢な自分を示されても、神さまはYさんを責めるのではなく、、「そういうあなたが大好きなんだよ」とほほえんでおられる。それを感じてうれしくなるのです。

そして、このような姿こそが「謙遜」です。謙遜とは、自分を責めたり、おとしめたりすることではなく、安心して今そのままの自分を認められること、そしてその位置から必要な努力を始めることです。

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