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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

私の中の大切な部分

(2015年6月21日)

牧師業のかたわら、私は相談業務に就いております。いろいろな方と触れ合う中で、最近こんなことを強く思わされています。それは、
  • 私たちの中には、様々な「部分」がある。それは、「本音と建て前」というような単純なものではなく、数え切れないくらいたくさんの自分である。
  • それぞれの「部分」は、互いに矛盾することを考えたり、感じたりしていることもある。
  • それぞれの「部分」が、考えたり、感じたり、行動したりすることは、時に自分にとって非常な困難を引き起こし、こんな自分なんか無くなってしまえばいいとさえ思うことがある。たとえば、「分かっちゃいるけど、どうしてもできない」状態の時の、ブレーキをかける自分や、いろいろな現実の苦しみの中で、弱音を吐き、逃げ出したくなっている自分、あるいはいわゆる短所と呼ばれるような部分など。
  • しかし、そのような迷惑をかけるだけに思えるような「部分」、あるいは弱り果てている「部分」も、実は自分のことをとても愛しており、自分に大切なことを教えたり、自分を守ろうとしてくれている。
ということでず。

そこで、こんなことをしていただくことがあります。都合の悪い自分の「部分」を意識できたら、その「部分」に向かって柔らかく語りかけてもらいます。「今まで邪険にしてきたけど、私のことを大切に思ってくれているんだね。ありがとう。でも、どうして私のことを守ってくれているか分からないので、よかったら、私に分かるような言葉で教えてくれないかなあ」。

そして、そのような都合の悪い「部分」が、実は何をしようとしているのか、何を教えようとしているのかということを聞きとり、和解していく時、今まで考えもしなかったような新しい人生がスタートする。そういう場面を何度も目撃させていただきました。

こうやって、自分の中の都合の悪い「部分」と和解した人は必ず言います。「あんな悩みなんか無ければいいのにと思っていたけれどけれど、今は、あの悩みがあって良かったと思う」と。

聖書は言います。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ8:28)。すべてのことということは、私たちの中にいる、このどうしようもない自分も含まれるわけです。「こんな自分なんかいなければいい」ではなく、「このままの私で良かった!」と、あなたも必ずそう言えます。イエスさまは、あなたの一部を愛しておられるのではなく、あなたの全体を愛しておられるのですから。

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