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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ
中通りコミュニティ・チャーチ
"いいえ"は"いいえ"
(2015年9月20日)
「これから遊びに行かない?」
「これやっといてくれる?」
本当はいやなのに、他の人の誘いや頼みを「はい」と聞いてしまうことがありませんか? それが重荷になり、後になって「やはり断れば良かった」と思い、はっきり断れなかった自分を情けなく思ったり、喜んで依頼に応じられない自分の心の狭さを責めたり、いつもこちらの都合を考えずにものを頼んでくる相手を恨みに思ったり……。そういうことってないでしょうか。
そういう方の話を聞いてみると(実は、私もそういうタイプなので、人に聞くまでもないのですが)、「いいえ」と言えず、つい「はい」と言ってしまうのは、嫌われるのではないかという不安や、クリスチャンとして(あるいは人間として)、自分を無にして人に仕えなければという義務感からだということが多いようです。
しかし、聖書の中にはこのような言葉があります。
「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」(第1ヨハネ4:18)。
「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます」(第2コリント9:7。)
愛は恐れや義務感からは生じないということです。では、どうしたら、恐れや義務感ではない、喜びと自発性から生まれる愛を表すことができるようになるのでしょうか。
第一に、愛のない自分を責めないことです。私たちには、聖書が要求するような完全な愛はありません。しかし、そういう私たちをイエスさまは愛してくださり、ご自分が十字架にかかることによって、私たちの不完全さを赦してくださいました。
聖書は言います。
「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです」(第1ヨハネ4:19)。
自分がイエスさまにどれほど大切にされているのかを思うとき、私たちの内側に、喜びと自発性を伴った愛が形作られていきます。
第二に、喜んでできないことや無理なことについては「いいえ」を言う練習をすることです。これは自己中心のように見えるかもしれませんが、「いいえ」を言うことに罪責感を覚えているという方は、自己中心ではありません。むしろ、喜んでできることに関して、心から「はい」を言えるようになるために、喜んでできないことや無理なことについては、はっきりと「いいえ」を言わなければならないのです。
イエスさまも
「あなたがたは、『はい。』は『はい。』、『いいえ。』は『いいえ。』とだけ言いなさい」(マタイ5:37)
とおっしゃっています。
さわやかに「はい」と「いいえ」を言えるようになりたいですね。
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