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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

心の声

(2015年11月8日)

A子さんは、不登校のお子さんを抱える主婦です。子育てについてご主人と話し合いたいと思うのですが、ご主人は「話すことなんて何もない。原因はお前だ。お前が甘やかすからだ。だいたい、お前が教会に行くようになって、愛だの受容だの、甘いことを言うようになったから、こんなふうになったんだ。お前が教会に行くのをやめたら、子育てについての話を聞いてやらんでもない」と、とりつく島もありません。

ご主人の「あれしろ」「これしろ」という、まるで人を奴隷のように扱う無茶な要求や、A子さんの人格を全否定するようなひどい侮辱に対して、A子さんは何も言い返しませんでした。聖書で「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい」(マタイ5:39)と言われているような、主体的・積極的な無抵抗ではなく、ただ怖かったのです。

友人には、「あなたの恐怖心がお子さんに伝染して、学校でのストレスに立ち向かっていこうとする気力を奪っているのです」と指摘されてしまいました。「大人のあなたが逃げているのに、子どもに逃げるなと言っても、説得力がないでしょう」と。

立ち向かうとは、別にけんかをすることではない。無茶な要求に対して「できません」「やりたくありません」と言う。侮辱し始めたら、「そんな言葉は聞きたくない」と言って席を外す。それだけのこと。

たとえ「お前なんか離婚だ」と脅されたとしても、肉体的暴力はふるわれていなくてもこの状況は立派な(?)DVである。だから、離婚の際はたんまりと慰謝料を取ることができる。そもそも、一人では何もできない夫に、本当に離婚する勇気なんかあるものか。

しかし、そんなふうに言う友人の言葉について頭では理解できていても、A子さんはどうしても恐怖に足がすくんでしまうのです。

A子さんは自問しました。どうして、自分は夫の暴言から自分のことを守ってやれないのだろう。子どものことも守ってやれないのだろう。そして祈りの中で、神さまの知恵を求めました。すると、「見捨てられたくない」という、自分の心の声が聞こえてきました。

ご主人の無茶な要求に従うのも、侮辱されても抗議しないのも、そうやって奴隷のようにかしずくことで、ご主人から見捨てられないようにしていたのだと。あの足がすくむような恐怖は、ご主人の暴力に対する恐怖ではなく、見捨てられるかもしれないということへの恐怖だったのだと。さらに、イエスさまの声が聞こえてきました。「わたしがついているではないか。わたしは決してあなたを見捨てないよ」。

「よし」と、A子さんは腹をくくりました。「離婚されてもいい。まだ教会に通っているけど、子どものことについて話を聞いてもらおう」と決心したのです。そして、ご主人を捕まえて、「最後まで話を聞いて欲しい。いつも『お前のせいだ』と、私一人に責任を押しつけられるけれど、私は一人では子育てできない。協力して子どもに関わって欲しい。だから、話を聞いて欲しいの」と、きっぱりと捨て身で要求したのです。

すると、いつも「お前が悪い」「俺は知らん」と怒鳴って、席を立ってしまうご主人が、真剣に最後まで話を聞いてくれました。そして、対話の終わりには、一緒に協力してお子さんに関わっていくことを約束してくれたのでした。

あなたの心は何と叫んでいますか? そして、それに対してイエスさまは何と答えておられますか?

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