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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

すごいだろう?

(2016年1月17日)

先日、母方の叔父と久しぶりに電話で話しました。小さい頃、叔父の家に泊まりに行くと、時々釣りに連れて行ってもらいました。明け方近くに川に行き、叔父の合図と共に竿を振ると、まさに「入れ食い」。次々と魚が釣れていきます。大漁に心躍らせながら帰ると、叔父が「これは泰司(私の名前です)が釣ったんだ」と、たくさんの魚を親戚の者たちに見せながら言いました。とてもうれしく、誇らしく思ったものです。

しかし、今振り返ってみれば、道具を用意したのも、釣り場に連れて行ってくれたのも、魚の釣れそうなポイントを見つけたのも、餌を針につけてくれたのも、針から獲物を取って魚籠(びく)に入れたのも、みんな叔父でした。私は、ただ言われるがままに竿を振り、引き上げただけ。一番おもしろいところをやらせてもらっただけです。叔父が釣ったと言ってもいいくらいです。しかし、叔父は、「これは泰司が釣ったんだ。すごいだろう」と言ってくれたのです。

聖書の神さまは全知全能であり、完全に自立していらっしゃいますから、何かを行なうのに、私たちの助けが必要なわけでも、祈りが必要なわけでもありません。実際、私たちが祈らなくても、私たちが何もしなくても、神さまは多くのみわざを行なっておられます。しかし、その一方で、私たちの決断、行動、祈りをお求めになり、それを待ってからみわざをなさることもたくさんあります。なぜ不完全な人間をわざわざ用いようとなさるのでしょうか。

これは私の考えですが、おそらく神さまは、叔父が私を誇り、ほめてくれたように、私たちのことを誇り、ほめたくてたまらないのではないでしょうか。叔父は私のことが大好きだといつも言ってくれました。神さまもこの私たちのことが大好きで、私たちを子と呼んでくださっています。だから、何かをしようとなさるとき、私たちを巻き込み、私たちをほめ、誇るネタを見出そうとなさるのでしょう。

聖書の中で、何人もの人たちが自分自身や、大切な人をイエスさまにいやしていただきました。その時イエスさまはこうおっしゃっています。「あなたの信仰があなたを治したのです」「このような信仰は、イスラエルの中にも見たことがない」「ああ、あなたの信仰は立派です」……と。

今日も、イエスさまはあなたと共に働きたいと願っていらっしゃいます。あなたを誇り、あなたをほめたいからです。それだけ、あなたのことが大好きだからです。

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