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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

分かち合うことの祝福

(2016年1月31日)

私たちの教会の礼拝式では、聖書のメッセージを聞いた後、2人か3人のグループに分かれて、メッセージを聞いて感じたり決断したりしたことを話したり、近況を述べたり、祈りのリクエストを出して祈ったりする時間を持っています。

先日、Aさんが「祈っても問題が解決しない」と、ご自分のグループで訴えました。緊張して生きているせいか、この方は夜中によく金縛りに遭うのだそうです。とても苦しくて、いつも「イエスさま、助けて!」とか「イエスさまの名によって、サタンよ出て行け!」とか叫ぶのですが、全く効果がないというのです。もし、グループでこのことを分かち合うことがなかったら、「祈りましょう」などという勧めは、Aさんには全く意味のないものとなっていたことでしょう。

大勢の前では言えないことも、安心できる少人数の場では言えることがあるでしょう。こういう「信じられない」「言われたとおりやってみたけど、うまくいかない」「やりたくない」というような否定的な感想も、私たちの教会では歓迎します。そして、教会の交わりは、こんな時こそ必要なのです。

一人で信仰生活を送ることができるくらいなら、別に教会は必要ありません。インターネットが発達している現代ですから、ネットにアップされている有名な牧師のメッセージを聞いて、一人で礼拝したらいいでしょう。しかし、いくら聖書を学んでも、分からない、できない、うまくいかない、やりたくない……だからこそ、私たちは教会として集まり、一緒に祈ります。一緒に考えます。そして、支え合います。

たった2人の交わりの中で、Aさんはこんな結論に達しました。ことが起こってからあわてて叫ぶのもいいけれど、布団に入る前に「神さま、今日もゆっくりと眠ることができますように、守ってください」と祈っておいてから寝るようにしたらどうか……。AさんとペアになったBさんも一緒に祈ってくださいました。また、そのグループで祈ったことは、1週間毎日祈ることになったので、Bさんは毎日1回、Aさんの金縛りのいやしのために祈りました。

そして翌週、BさんがAさんの様子を尋ねると、この1週間は、眠りすぎるくらいゆっくり安心して眠れているとおっしゃったそうです。

聖書の言葉を一方的に学ぶだけでなく、それに対する私たちの本音を安心して分かち合い、そのために話し合ったり、祈り合ったりする場。私たちクリスチャンには、それがどうしても必要なのだと、あらためて感じさせられました。

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