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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

ダメって言うな!

(2016年7月3日)

若い頃は、春先には理由もなく気分が落ち込み気味になっていました。そして、ある年は輪をかけてひどく憂うつな状態で、自分自身が何とも醜悪だと思えました。説教も、カウンセリングも、セミナーも、事務仕事も、人間関係も、人間としての成長も、どれをとっても不十分で、自分が何ともみじめでひどい人間なんだと思えて仕方がありませんでした。自分は牧師としても、社会人としても、失敗者だ。いやそもそも人間として失敗者なんだと思って、激しく落ち込んでいました。

ある日、ついに耐えられなくなり、当時奉仕していた教会の祈祷室に飛び込みました。そして、大の字になり、「神さま、もうダメです」と、一言つぶやきました。すると、それを皮切りに、次々と否定的な考えが湧き上がってきました。そして、私はそれを口に出していました。信仰的に考えよう、前向きに捉え直そう……なんてことはこの際やめて、とにかく否定的な考えを全部神さまにぶつけることにしたのです。その中には、「こんな目に遭わせた神さま」に対する恨み言もずいぶん含まれていました(とてもここには書けません!)。それでも、「もういいや。この際、言いたいことを全部言ってやる!」と語り続けました。

何十分かたったでしょうか、ふと、自分の前に小学生くらいの子どもがいることに気づきました。そして、その子が私を蓮にらみしながら、小さくつぶやきました。「ダメって言うな!」と。「この子は自分だ」と分かりました。こうやって自分は、小さいときから、ダメって言われないように一生懸命がんばって生きてきたんだなあと思いました。「ダメじゃないよ!」 思わず私は、その子に語りかけていました。「ほら、イエスさまもダメって言ってない。ダメどころか、そのままですてきだとおっしゃっているよ。ダメじゃないよ!」

その日以来、何か自分の中で、何か鎖のようなものが解けたという感覚があります。別に自分が人間として成長したとか、何か前と比べてできるようになったとかいうことではありません。今でも自分の姿にがっかりすることがたくさんあります。しかし、いつも最後には「ま、いいか。これが自分だし」と思えるようになったのです。そして、かっこいい自分も、そうでない自分も、別に飾らずそのままポンと人前に出せるようになってきました。もちろん格好つけたくなることもありますが、以前と比べれば、ずっと自然体で生きているなあと自分でも思います。イエスさまとの格闘を通して、イエスさまの愛が、より深く感じ取れるようになったからでしょう。

そんな経験が自分の中にあるからでしょうか。教会の方たちが自分の姿に落ち込んだり、イライラしたり、悲しくなったり、絶望したりしたとき、「それでいいんだ。それで順調なんだ」と思うし、できるだけそれを素直に交わりや個人の祈りの中で表現するよう励ましています。安心して弱音が吐ける、教会ってそういう交わりでありたいなあと思います。

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