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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

あふれるお茶

(2016年7月24日)

禅に関する様々な書物を読破した青年がいました。彼は、さらに学びを深めようと、有名な禅師の元を訪ねました。禅師は快く青年を客間に通してくれます。青年は、今まで自分が学んできた禅に関する知識を、得意げに禅師に語り、そして「どうぞ、さらに教えを」と頭を下げました。

すると、禅師は「まず、お茶を進ぜよう」と言い、青年の茶碗に急須で茶を注ぎ始めました。茶は茶碗の縁いっぱいに注がれましたが、禅師はなおも茶を注ぎ続けます。ついに茶があふれ、テーブルの上にこぼれてしまいました。しかし、なおも禅師は注ぎ続けます。茶はテーブルからぼたぼたと畳の上にまでこぼれ始めました。ついに我慢できなくなった青年は、「何をなさるのですか」と禅師をとがめました。

すると禅師は、茶を注ぐのをやめ、じっと青年の目を見つめてこう言いました。「今のあなたは、縁までいっぱい茶が満ちている茶碗のようだ。それ以上注ごうと思っても、こぼれるばかりで無駄になる。まず、空っぽになりなさい」。

私が聖書を読み、また神さまに祈るときも、心が自分の思いや先入観でいっぱいなときがあります。「神さまにこうして欲しい」「神さまにこう言って欲しい」「神さまはこうするはずだ」「こういうメッセージは嫌だ」……。そうすると、なかなか神さまのメッセージが心に入ってきません。

自分の願望や感情を消し去ることなど、なかなかできることではありませんが(そして、そうする必要はありません)、ちょっと脇に置いておいて、「私の思いはこうだけれど、ところで神さまは何とおっしゃっているのだろう」というふうに、聖書を読み、祈っていきたいものです。

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