(2017年6月11日)
明治大学教授の諸富祥彦先生は、現代人が、ものが少なかった昔に比べてはるかに豊かになったはずなのに、慢性的に欲求不満である理由を解説しておられます。それは、現代人が「幸福主義」に囚われているからだとか。幸福主義とは、「誰もが自分の幸福を求めるものだし、また当然そうして良いのだという考え」のことです。「いったん欲望ゲームの虜になった人間は、絶えず『何かが足りない』という欠乏感につきまとわれることになる。欲望ゲームの虜になり、自分の幸福を追い求め始めた人間は、心の底から充たされることがない。物質的には満たされているはずなのに、心はどこか、渇ききっている」(諸富祥彦著「カウンセラーが語る自分を変える<哲学>」教育開発研究所より)。聖書が約束する救いとは、私たちの病気が治ることでも、お金が儲かることでも、仕事で成功することでもありません。もちろん、祈った結果、いやされたり儲かったり成功したりすることはあります。しかし、時に神さまは、私たちの願いとは全く逆の境遇に私たちを置き、しかも、祈っても祈っても、いつまでもそのまま放置しておられるように見えることがあります。