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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

ポンペイ最後の日

(2019年6月30日)

ベスビオス火山が噴火し、火山性ガスによって滅び、その後火山灰に埋もれてしまった古代ローマの商業都市であり貴族たちのリゾート地であったポンペイ。これまで、ポンペイ最後の日は紀元79年8月24日と思われてきました。それは、小プリニウスという人の書いた文書に、伯父であり養父である大プリニウスが被災して亡くなったのがその日だと書かれていたからです。ところが、最近の発掘で、少なくともこの年の10月まではポンペイが無事だったということを示す、商店の壁に書かれたメモが発見されたのです(6月29日放送「世界ふしぎ発見!」より)。

では、小プリニウスの文書はどうなるのでしょうか。実は、この当時の文書はパピルス紙や羊皮紙に書かれましたが、今の紙と違って保存性が悪く、時間の経過と共に読めなくなってしまいます。そこで、重要な文書はその前に別のパピルス紙や羊皮紙にコピーして保存します。また、多くの人が閲覧できるようにする目的でもコピーは行なわれました(こうしてできたコピーを写本と言います)。コピーと言ってもこの時代は手書きですから、写本を繰り返すうちにどうしても転記ミスをしてしまったり、善意で解説文を追加したり、表現を変更したりするということが起こります。小プリニウスの文書でポンペイ最後の日が8月だと書かれているのも、転記ミスだと考えられます。

さて、紀元前15世紀半ばから紀元100年頃に書かれた聖書も原本は残っていません。そこで、他の古代の文書と同じように、残っている写本を比較検討することによって、原本はこうだったんじゃないかということを推定しているのです(この作業を科学的に行なうのが本文批評学です)。

では、聖書の原本の保存精度はどれほどのものなのでしょうか。精度を保証するのは写本の数ですが、聖書の写本の数は同時代の文書に比べれば、比較にならないほど大量にあります。たとえばカエサル(シーザー)の「ガリア戦記」の写本は251見つかっていて、原本が書かれた年代と最古の写本が書かれた年代差は950年です。 一方、新約聖書の写本は5838も見つかっており、原本と最古の写本の年代差はわずか50年です。

旧約聖書の写本に至っては、17000以上も残っています。そして、コピーの正確さは驚異的で、1947年以降複数回に渡ってクムラン洞窟で発見されたいわゆる死海写本は、紀元前3世紀から1世紀に書かれたものですが、現在私たちが持っている旧約聖書と違いがありませんでした。

現在、私たちはモーセやソロモンやパウロが書いたのと同じ内容の聖書を手にして読むことができます(翻訳の問題はまた別の話ですが)。その背後には、正確にコピーすることに心を砕いてきた歴代の写本の専門家たちの努力もさることながら、聖霊なる神さまの導きがあったことは間違いありません。聖書は他に類を見ない特別な本です。まだ読んだことのない方は、ぜひ開いてみてください。

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