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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

そういうものに

(2020年7月12日)

皆さんは、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩をよくご存じでしょう。あの詩のモデルと言われているのが内村鑑三の弟子の一人、斉藤宗次郎です。宗次郎は1887年、岩手県花巻の寺の三男として生まれました。成長して小学校教師になりましたが、内村鑑三の影響を受けて聖書を読むようになり、花巻で最初のクリスチャンになりました。

当時、キリスト教は迫害の対象でした。クリスチャンになったことで親から勘当され、教師の職も失います。嫌がらせで家に放水されたりガラスを割られたりしました。さらに、9歳になる娘が「耶蘇の娘」と罵られて腹を蹴られ、それが原因で腹膜炎を起こして死んでしまうという事件も起こります。

それでも宗次郎は地域の人たちに仕える姿勢を貫きました。彼は牛乳配達と新聞配達のために一日40キロの道のりを走りましたが、その合間にキリストを宣べ伝えました。そして、10メートル走るごとに神さまに人々の救いを祈り、感謝をささげました。

そして、子どもに会うとアメ玉をやり、仕事の合間に病気の人を見舞い、慰め励ましました。それこそ、雨の日も、雪の日も休むことなくそれを続けたのです。

1926年、宗次郎は内村鑑三に招かれて東京に引っ越すことになりました。すると、駅には町の人たちがたくさん見送りに集まってきました。あまりにもたくさんの人たちが集まったために、宗次郎はなかなか汽車に乗れませんでしたが、駅長は停車時間を延長し、さらに汽車が駅を発車した後も人々がゆっくり見送れるように徐行しながら町を離れるよう指示しました。その時集まった群衆の中に、若き日の宮沢賢治もいたのです。

「そういうものに わたしはなりたい」。

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