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ショートエッセイ:中通りコミュニティ・チャーチ

コルベ神父

(2022年12月4日)

教会員の方と、コルベ神父の話をしました。マキシミリアノ・マリア・コルベ神父(1894生)はポーランド出身で、長崎で6年間宣教活動を行なったことがあります。

第二次世界大戦中の1939年9月、コルベ神父はナチスドイツの秘密警察によって逮捕され、悪名高いアウシュヴィッツ第二強制収容所に送られました。逮捕の理由ははっきりとは分かっていません。そして、2年後の1941年7月、脱走者が出たことによる見せしめとして、収容所内の10人が死刑(餓死刑)に処されることになりました。

無作為に10人が選び出されると、そのうちのフランツェク・ガイオニチェクという軍人が、「もう一度妻と子に会いたい」と泣き叫び始めます。すると、10人に選ばれなかったコルベ神父は、自分が彼の身代わりになると申し出ました。「自分は神父で妻も子もおらず、年寄りですから」と。それが認められ、コルベ神父は餓死刑に処されることになりました。

収容所で働かされていたポーランド人通訳者の証言によると、餓死させるための牢内で、コルベ神父は静かに祈りをささげ、賛美歌を歌っていたそうです。さながらそこは礼拝堂のようであった、と。そして、2週間後、コルベ神父にはまだ息がありましたが、収容所上層部の判断により毒を注射されて殺されました。

戦後、生き延びて解放されたガイオニチェクは、ヨーロッパやアメリカを回ってコルベ神父が自分にしてくれたことを伝えて回ります。

イエス・キリストは、私たちの身代わりとして十字架にかかり、命を捨ててくださいました。私たちが他の人にイエスさまのことを伝えるのは、義務感からでも強制されているからでもありません。ガイオニチェクがコルベ神父のことを黙っていられなかったように、進んで身代わりとなってくださったイエスさまへの深い感謝、それが原動力です。

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