スランプに陥ったとき

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(2017.3.19)

スポーツでも芸術でも仕事でも、スランプはつきものです。信仰生活でも「最近スランプだなぁ」と思うようなときがあります。

以前は、あんなにイエスさまの愛に感動していたし、聖書を読んだり、奉仕したりするのが楽しくて仕方がなかったのに、今は何だか感動も薄いし、喜びもないし、惰性で教会に通っている感じがする……。そんなふうに感じておられる方が、読者の皆さんの中にもいらっしゃるかもしれませんね。

様々な記録や感動を残しているメジャーリーガーのイチロー選手は、スランプになったときの対処法について、こんなことをおっしゃっています。、「スランプになったからといって、特別なことは何もしません」

あるとき、テニスプレーヤーの杉山愛さんが、野球のイチロー選手とテニスをなさいました。もちろん遊びでですが、イチロー選手がまるで試合前にやるような入念な柔軟運動をするのを見て、大変驚かれたそうです。イチロー選手が言うには、「遊びだからこそ、ケガをしたくないので」。杉山さんは、「こういうことの積み重ねが、一流選手たる所以なんだと思った」とおっしゃっています。基本を大事にすることの大切さを思い知らされますね。

信仰生活も基本が大事です。それはたとえば、定期的な集会出席であり、日々の聖書の学びや祈りです。有名な先生がゲストの聖会に出席したりすることも時には大切ですが、基本を抜きにしてそういうことを行なっても、一時的な感動で終わってしまうかもしれません。

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