ジュリアおたあ

トップページショートエッセイ集2017年 > このページ

(2017.6.25)

戦国時代のキリシタン女性といえば、細川ガラシャが有名ですが、「ジュリアおたあ」という人がいたのをご存じでしょうか。生年や家族などは不明ですが、秀吉の朝鮮出兵の折、平壌付近で保護された朝鮮人の孤児だと言われています。そして、その身を哀れんだ小西行長が、彼女を日本に連れ帰って養女とし、おたあと名付けて慈しみ育てました。

行長夫妻はクリスチャンでしたから、おたあもすぐに信仰を持ち、ジュリアという洗礼名が与えられます。また、行長は薬屋の息子として生まれたため、薬草の知識が豊富で、その知識はジュリアにも伝えられました。

その後、関ヶ原の戦いに敗れた行長は処刑されてしまいますが、ジュリアは徳川家康に才気を認められ、駿府城で侍女として召し抱えられます。しかし、信仰を捨てることと側室になることを断っため、1612年の禁教令によって伊豆大島に流刑となってしまいました。その後も赦免と引き換えの恭順を拒み続けたため、1ヶ月後には新島、さらに神津島へと送られました(流された島々は諸説あり)。

しかし、ジュリアは、流された先々で嘆き悲しんでふさぎ込むことなく、聖書を読み、祈り、礼拝を欠かしませんでした。そして、薬草の知識を生かして病人を助け、見捨てられた弱者を保護し、自暴自棄になった流人を励ますなど、島民や流人たちに献身的に尽くし続けます。そのため、一説によると、禁教時代にもかかわらず、信仰を持つ人々が続出したと言われます。

ジュリアはその後、神津島を出て大阪へ、さらには長崎に向かったとも、神津島で亡くなったとも言われています。たとえ死ぬまで目に見える形で安住が得られなかったのだとしても、彼女が永遠の世界で大きな報いを受け取るということははっきりしています。「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう」(黙示録2:10)。

問題が続いて絶望しそうになることがあります。どうして自分はこんな不幸な目に会い続けるのだろうかと、自暴自棄になってしまいそうになることがあります。しかし、そんなときこそ、私たちは神さまに喜ばれる生き方を学び、それを実践し続けていきたいですね。

Copyright(c) 2017 Nakadoori Community Church All Rights Reserved.