(2012年11月11日)
イントロダクション
イエスさまが公の働きを開始なさるまでのプロセスです。これは、私たちが神さまのみこころを実践していくときの参考になります。
1.洗礼を受けた
なぜ洗礼を?
イエスさまは、ヨハネからバプテスマ(洗礼)をお受けになりました。このバプテスマは、先週のメッセージで触れたように、罪の悔い改めを意味していました。
しかし、イエスさまは罪のない方のはずです(第1ペテロ2:22)。どうして悔い改めのバプテスマをお受けになったのでしょうか?
イエスの最終目的
それは、十字架で死ぬことによって、人類の罪をあがない、私たちを救って神の子にするということです。
第2コリント5:21にはこのように書かれています。
「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」。
イエスさまは罪人ではありませんが、私たちを救うために、私たち罪人と同じになってくださいました。ですから、公の宣教をお始めになる前に悔い改めを意味する洗礼をお受けになったのです。
自分の進む道を知る
イエスさまは、神さまがご自分に与えておられる道、役割、使命をしっかりと自覚しておられました。神さまは、あなたに今、どんな行動をするように求められていると思いますか?
2.聖霊の満たしと神の語りかけを受けた
御霊の満たしが必要
水から上がると、イエスさまのところに天から聖霊が下ってこられ、イエスさまを満たされました。
私たちが神さまの喜ばれる道を進み、喜ばれない生き方から離れるのは、私たちの努力だけでは足りません。聖霊なる神さまの助けがあればこそです。
いつも、聖霊さまに満たしてくださるよう祈りましょう。
神に認められているという確信が必要
聖霊が下られると、今度は天の父なる神さまの声が聞こえました。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」。父なる神さまが、イエスさまを承認なさったわけです。
私たちも、この自分自身、そしてその自分が今やっていることは、神さまに認められ、喜ばれているという確信が必要です。神さまに認められ、喜ばれているならば、たとえどんな困難が待ち受けていたとしても、必ず神さまが守り、支えてくださるから大丈夫だと信じられ、そのよい行ないや働きを続けていけるからです。
あなたは、今やっていること、あるいはこれからやろうとしていることが、神さまの喜ばれることだという確信がありますか?
3.試練を受けた
神に従うと、必ず試練が来る
聖霊に満たされ、父なる神さまの承認をもらったイエスさまは、その聖霊によって直ちに荒野に追いやられ、そこでサタンの試みを受けます。
具体的には、マタイ4:1-11に書かれていますが、
- 石をパンに変えるようにという試み
- 高いところから飛び降りるようにという試み
- 世界をやるからサタンを拝めという試み
です。これらは、要するに「十字架を避けよ。それ以外の方法で、人を救え」という誘惑です。しかし、イエスさまはこの試練に勝利し、十字架による人類の救いという目的を見失いませんでした。
私たちも、神さまの喜ばれる生き方をしようと心に決めて、実践し始めると、必ずサタンが妨害してきます。サタンにしてみれば、あなたに神の御心を実行してもらっては困るからです。だから、もし「サタンの誘惑なんか感じたことがない」という方がいらっしゃったとしたら、自分の生き方が神さまのみこころにかなっていたかどうか、逆に心配した方がいいかもしれませんね。
とにかく、サタンは私たちが神さまのみこころにかなう生き方を始めると、壁にぶつからせたり、意気消沈するような出来事を起こしたり、失敗し続けたり、反対者を起こしたり、何も起らない退屈な状況を続けさせたり……。そうして、次第に神さまのみこころを実行するためのやる気や根気を奪い去ろうとします。
試練は我々を純化する
みこころを行なおうとすると、必ず試練が来ます。試されているのは、「この働きや行ないは、神さまが認めてくださったものなのだから、何があっても大丈夫」という信仰です。サタンは、一見大丈夫そうに見えない状況をもたらして、この信仰を揺るがせようとします。
しかし、この試練を通り抜けたとき、私たちの信仰は強められ、純化されます。ちょうど、不純物が混じった鉄が灼熱の炉の中で熱せられ、ぱんぱん叩かれて純度を増し、堅さとしなやかさを手に入れていくように。
あなたは今、つらい状況や退屈な状況に置かれていませんか? それを、サタンの試みだと捉えてみましょう。あなたが試されているのは、どんな信仰、確信でしょうか? それを通り抜けたとき、あなたはどんなふうに成長しているでしょうか?
まとめ
イエスさまが通られた道を覚えて、この自分に与えられている人生を生きていきましょう。