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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

反面教師ヘロデ

マタイによる福音書14章1節〜13節

(2018年2月4日)

参考資料

「ヘロデ」(1節)は、イエスさまが誕生した時代にいたヘロデ大王の息子、アンティパスです。ローマ帝国からパレスチナの統治を委託されていたヘロデ大王の死後、パレスチナは3人の息子に分割されました。アンティパス(ヘロデ)はガリラヤ地方とペレヤ地方(ヨルダン川の東)を統治しました。

「ピリポ」(3節)は、同じくヘロデ大王の息子で、イツリア地方やテラコニテ地方(ガリラヤ湖の北東)を任されました。アンティパスとは母親が異なります。

なお、もう一人の兄弟アルケラオ(アケラオ。マタイ2章に登場)がエルサレムを中心としたユダヤとサマリヤ地方、およびイドマヤ地方(ユダヤの南)を任されました。ところが、あまりに残忍な行為を繰り返したため、すぐに退位させられ、その領地はローマ人の総督が直接統治するようになりました(この時代の総督は、あのポンテオ・ピラトです)。

「ヘロディア」(3節)は、元はピリポの妻でしたが、アンティパスと恋仲になり、それぞれ離婚して夫婦となりました。

ヘロディアの娘の名は、新約聖書には記されていませんが、ユダヤの歴史家ヨセフスによればサロメといいます。実父はピリポです。

イントロダクション

聖書の中には、私たち信仰者にとっての反面教師がたくさん登場します。今回登場するヘロデ・アンティパスもその一人です。彼を反面教師として、どんな状況の中にあっても平安と確信を持って生きていくための秘密を学びましょう。

1.ヘロデの行動

感情のままに罪を犯す

ヘロデは、自分の元々の妻を離縁して、兄弟ピリポの妻ヘロディアをめとったことについて、バプテスマのヨハネから「モーセの律法に違反する行為だ」と非難されました。
  • ヘロデとヘロディアには、それぞれ配偶者がいた時期に恋仲になったわけですから、二人の関係は姦淫です(出エジプト20:14)。
  • レビ18:16では、兄弟の妻との性的関係が禁止されていますから、当然結婚もダメということです。兄に子ができないまま亡くなった場合には、弟が未亡人を妻に迎えて子をもうけ、兄の土地や財産を相続させるという定めは律法の中にもありましたが、今回のケースは当てはまりません(ピリポはまだ生きていました)。
  • 実は、ヘロディアはヘロデ大王の孫娘です。ということは、前夫であるピリポや、現在の夫であるヘロデ・アンティパスにとっては姪に当たります。モーセの律法は甥とおばの性的関係を認めていませんが(レビ18:12-13)、当然これは姪とおじの間にも適用されるでしょう。
  • ヘロディアはヘロデと一緒になるために、夫であるピリポと離婚してしまいました。また、ヘロデも自分の妻を追い出してヘロディアを迎え入れます。モーセの律法は、正当な理由(相手が姦淫を犯した場合)のない離婚を認めていません(マタイ5:31-32と19:4-9参照)。
ヘロデは、自分の欲望のままに、罪を犯してしまいました。しかも、ヨハネに罪を指摘され、悔い改めるどころか、怒りの感情にまかせて彼を逮捕して罪を重ねてしまいます。

プライドが邪魔をして悔い改めない

ヨハネを捕らえたヘロデでしたが、民衆がヨハネを預言者だと信じて尊敬していましたから、暴動が起きることを恐れ、死刑にすることははばかっていました。それどころか、マルコ6:20によれば、ヘロデは牢獄にいるヨハネの話に、当惑しながらも喜んで耳を傾けていたと書かれています。

前回の学びを覚えておられるでしょうか。教会を迫害して多くのクリスチャンを死に追いやったパウロも、国中に異教礼拝、偶像礼拝を蔓延させ、多くの信仰者を殺し、人間の子どもを犠牲にささげるという悪を行なったマナセ王も、自分の罪に気づき、神さまに悔い改めたときに、罪を赦され、永遠の刑罰から救われ、新しい人生、神の国の市民権、永遠に続く命を手にしました。ヘロデの前にも、同じように悔い改めのチャンスが与えられたのです。

ところが、ヘロディアは自分たち夫婦を非難したヨハネを殺したくてたまりません(マルコ19:6)。そこで、娘に命じて、ヘロデの誕生パーティで踊りを踊らせます。ヘロデは大変喜び、おそらく酔った勢いもあって、何でも褒美を取らせると約束してしまいました。すると、娘は母に命じられたとおり、ヨハネの首を要求しました。

9-10節には「王は心を痛めたが、自分が誓ったことであり、列席の人たちの手前もあって、与えるように命じ、人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた」と書かれています。ヘロデは、の本心ではヨハネを殺したくありませんでした。しかし、いったん約束したことを撤回しては格好が悪いと思いました。そんなことは、領主としてのプライドが許しません。そこで、渋々死刑を執行しました。彼は、せっかくの悔い改めのチャンスを、プライドのために生かすことができなかったのです。

罪責感におびえて過剰反応する

ヨハネの死後、ヘロデはイエスさまの噂を聞きました。イエスさまはたくさんの力ある奇跡を行なっていました。どんな病気でも障がいでもいやし、悪霊を追い出し、死人さえもよみがえられていると言います。彼は思いました。あれは自分が殺したヨハネがよみがえったのだと。

ヘロデは自分が罪を犯したこと、今も罪の中にとどまり続けていることを知っていました。いつか天地を造られた神の前に引き出され、自分の罪が白日の下にさらされ、ひどい報いを受けるのではないかという恐れがありました。もしヨハネがよみがえったのなら、昔預言者エリヤがしたように、天から火を下して自分を滅ぼしてしまうかもしれないなどと、震え上がったかもしれません。

そんなことは考えないよう、一生懸命心に蓋をしていますが、それでも恐れが心をさいなみます。ヘロデの心から、平安が全く失われてしまいました。そして、「悪者は追う者もないのに逃げる」(箴言28:1)という聖書の言葉通り、ちょっとした出来事にも過剰反応してしまうのです。

以前、別の教会の方から伺った話です。Aさんは奥さんから外出のついでに買い物を頼まれました。Aさんが買い物を済ませて帰宅すると、奥さんが「おつりはいくらだった?」という言葉にキレてしまいます。そして、「俺がごまかしたとでも言うのか!」と怒鳴り声を上げ、部屋の中の物を投げたり蹴飛ばしたりして暴れ回りました。

感情の嵐が収まった後、自分がどうしてこんなことをしてしまったのか訳が分からず、Aさんは泣き崩れてしまいました。一時トイレに避難していた奥さんも、普段は優しいAさんがこんなに暴れたのにはきっと理由があると思い、部屋に戻ってきてAさんの背中をさすりながら祈ってくれました。

すると、突然子どもの頃の記憶が浮かんできました。それは、小学生の頃、たった一度だけ、母親に頼まれた買い物でおつりをごまかしたことです。もうそんなことはすっかり忘れていたのに、「おつり」というキーワードに引っかかって、その時味わった罪責感や後悔の念、いつか自分の悪事がばれるのではないかという恐れなどが一気に噴き出してしまって、「自分は今度はごまかしてない!」と過剰反応してしまったのです。

では、ヘロデを反面教師として、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.できるだけ早く罪を処理しよう

罪を犯さないよう努力する

聖書が言う「罪」とは、的外れ、すなわち神さまのみこころからはずれることです。神さまがして欲しいと思っておられることをしなかったり、して欲しくないと思っておられることをしたりすることが罪です。そして、表に現れる行動だけでなく、私たちの心の問題にされます。貧しい人に施すことは神さまが喜ばれることですが、その人に対する愛情ではなく、自分がほめられるために行なうのだとすれば、それは罪です。

神さまの要求水準は非常に高いので、誰も自分には罪がないと言うことはできません。しかし、私たちはイエスさまの十字架の血によって、罪を赦され、神さまの子どもにされました。ですから、救われた後に罪を犯しても、神さまに告白すれば必ずきよめられ、神さまとの関係が回復します。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます」(第1ヨハネ1:9)。

しかし、殺したはずのヨハネの陰におびえるヘロデの様子を見たように、罪は私たちから平安を奪い、過剰反応を引き出し、本来私たちに与えられるはずの祝福された人間関係や喜びと希望に満ちた生活を台無しにしてしまいます。ですから、いくら赦されるからといっても、最初から罪を犯さないに越したことはありません。この話をお読みください

ヘブル12:4には、こんな言葉があります。「あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません」。罪を避けることに対して、私たちはもっともっと力や知恵を尽くしましょう。そして、イエスさまが主の祈りで教えてくださったように、「悪い物からお守りください」と神さまの守りと助けをいつも祈り求めましょう。

すぐに悔い改める

それでも、私たちが生きて地上にいる間は、私たちの内側には罪の性質が残っています。ですから、どうしても罪を犯してしまうことがあります。そんなときには、可及的速やかに罪を告白して、悔い改めましょう。

ヘロデには何度も悔い改めのチャンスが与えられました。しかし、彼はそのチャンスを生かすことがありませんでした。プライドが邪魔をしたのです。そして、さらに罪を重ねていき、その分だけ平安を失っていきました。

神の守りを確信する

先ほどの箴言28:1全体はこういう言葉です。「悪者は追う者もないのに逃げる。しかし、正しい人は若獅子のように頼もしい」。

正しい人とは、罪を全く犯さない人ではありません。人類史上、罪を全く犯さなかった人は、人となられた神であるイエスさま以外にいません。正しい人とは、自分の力で救われないことを知っており、神さまの恵み、すなわち神さまが一方的に愛し、罪を赦し、守り、祝福してくださるということを信じた人のことです。

ノアも、アブラハムも、イサクも、ヤコブも、モーセも、ダビデも、みんな罪人でしたが、正しい人たちです。

正しい人たちは、自分の罪が赦されているので、神さまが自分を怒っておられないこと、それどころか自由に交わりを持たせてくださることを知っています。全知全能で愛と恵みに満ちた神さまと自由に交わり、愚痴や弱音を聞いていただいたり、守ってくださるよう求めたり、知恵や勇気を与えてくださいとお願いしたりできるというのは、何という幸いでしょうか。まさに、サバンナに凜と立つ若獅子のように、頼もしい精神状態でいることができます。

先ほど紹介したAさんは、奥さんとお母さんと神さまとに罪を告白して赦しを請いました。赦しを受け取ったAさんは、もう二度と「おつり」という言葉に感情が乱されることがなくなりました。

いろいろな問題がやってきます。誘惑がやってきます。「おまえなんか幸せになれるはずがない」「おまえみたいな不完全な奴が、神さまに祝福されるなんておこがましい」「おまえのはきっと不幸になるに決まっている」などという声が、内から外から聞こえてきます。

それでも、私たちは聖書に基準を置きましょう。第1ヨハネ1:9によれば、罪を告白するならば、その瞬間神さまとの関係は回復します。そして、あなたは神さまの祝福の御手の中に戻ることができます。信じましょう。たとえ心が揺れても、何度でもここに戻ってきましょう。

まとめ

告白と悔い改めによって罪を処理しているなら、神さまが共にいてくださると信じられるので、何があっても大丈夫だという平安と確信を持つことができます。

あなた自身への適用ガイド

  • ちょっとしたことに過剰反応してしまった経験がありますか?
  • その過剰反応の背後に、まだ処理されていない罪の問題が隠れていませんでしたか?
  • 最近、罪だと分かっていることをするよう誘惑され、それに打ち勝った経験、逆に負けてしまった経験がありますか?
  • 罪を犯してから、悔い改めるまでの最短時間と最長時間はそれぞれどれくらいですか?
  • 神さまが共にいるから大丈夫と思うことができ、困難な状況を耐え抜くことができたという経験がありますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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