本文へスキップ

礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

針の穴を通るらくだになろう

マタイによる福音書19章16節〜26節

(2018年4月15日)

参考資料

聖書は、人の霊魂は永遠に存在し続けると教えています。問題は、どのような状態で永遠に存在し続けるかです。「永遠のいのち」(16節)とは、全知全能の創造主と出会い、その方と深い愛の交わりを持つということです。「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです」(ヨハネ17:3)。

「天の御国」(23節)、あるいは「神の国」(24節)は、旧約聖書で預言された、救い主が地上に実現する理想的な王国のことです。神さまによって救われ、永遠のいのちを与えられた人たちは、神の国の市民となり、そこで1000年間幸せに暮らし、さらにその後実現する、永遠に続く新天新地に迎え入れられます。

イントロダクション

金持ちの青年は、永遠のいのち(参考資料をご覧ください)を求めていました。全知全能で、愛に満ちた神さまが共にいてくださる。これこそ私たちのあらゆる希望の源です。

パウロは言いました。「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」(ローマ8:31)。
  • 私の財布の中にお金がほとんど入っていなくても、大金持ちの父親がそばにいてくれたら、別に気にする必要はありません。
  • 私に力がなくても、力持ちの父親がそばにいてくれたら、困ることはありません。
  • 病気になっても、名医である父親がそばにいてくれたら安心です。
ですから、青年は永遠のいのちを求めていました。それは私たちも必要としているものです。永遠のいのちを求めてやってきた青年に対して、イエスさまは何とおっしゃったでしょうか。

1.良い方はひとりだけ

イエスは良い方ではないの?

青年に対して、イエスさまは「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方はおひとりです」(17節)とお答えになりました。これは、イエスさまが良い方ではないとか、自分にも罪があるとおっしゃったわけではありません。

「良いことは、もうすでに神のことばである聖書の中に書かれている。だから、わざわざ他に良いことを探して歩く必要はないでしょう」。イエスさまはそうおっしゃっているのです。そして、「聖書に書かれている神さまの命令、あなたもよく知っているはずですよ」と、改めて聖書の言葉に青年の目を向かせようとなさいました。

神は惜しみなく与える

神さまは、私たちに永遠のいのちを与えて、私たちといつも共にいて、祝福し、幸せにしたいと願っておられます。そこで、永遠のいのちを手に入れるのに必要な情報を、惜しみなく与えてくださいました。

その情報はこれから与えられるのではなく、もうすでに与えられています。それが聖書です。私はこうして礼拝式でメッセージを語っていますが、新しい真理を語っているのではありません。すでに聖書の中に書かれている真理を、ただ解説しているだけです。

クリスチャンとして神さまと共に生き、永遠の祝福を手にするために、聖書はなくてならない情報源です。もっともっと親しみたいですね。

主の教えを口ずさむ

神さまは私たちと共にいたいと願っておられるし、私たちを祝福したいと願っていらっしゃいます。そして、私たちのことを大切な我が子と呼んでくださっています。

ところが、私たちの心の中には、自分自身の過去のいろいろな経験や、世の中の様々な価値観や、悪魔の惑わしによって、「お前はダメな奴だ」「お前なんかが幸せになれるはずがない」「お前は神に見放されている」という誤った声が響いてきます。その結果、私たちは希望を失い、やる気を失い、落ち込んだり悲しくなったり空しくなったりしてしまいます。本当だったら手に入れることができる祝福を、受け取り損ねてしまうのです。

ですから、その誤った声を、聖書に書かれている言葉によって追い出さなければなりません。詩篇には、幸いな人についてこう書かれています。「【主】のおしえを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて栄える」(詩篇1:2-3)。

OLのAさんは、仕事で配置換えとなり、苦手なタイプの上司の下につくことになりました。毎日毎日、憂鬱で仕方がありません。そこで、それまで礼拝式以外で聖書を読むという習慣がほとんどなかったAさんですが、毎朝聖書を読んでから仕事に向かうことにしました。すると、不思議と勇気が与えられて、職場に向かうことができるようになりました。そればかりでなく、Aさん自身の心に余裕ができたせいか、苦手だと思っていた上司との関係も良くなったそうです。

感情的に受け入れられなかったとしても、聖書が私たちに語っている神さまの愛の約束を、何度も何度も口ずさみ、宣言し、心に思い描きましょう。

2.持ち物を売り払え

悪徳牧師の教え

イエスさまは、青年に聖書の教えを思い出させました。しかし、「そんなことはすでに守っています」と答えた彼に、イエスさまは「完全になりたいのなら、帰って、あなたの財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい」(21節)とおっしゃいました。

ところが、この命令は、青年にとっては大変難しいものでした。というのは、彼がお金持ちで、多くの財産を持っていたからです。それだけ手放す物も多く、彼は惜しいと思ったのでしょう。

ところで、私がもし悪徳牧師なら、ここは大変都合のいい箇所です。私は皆さんに「ほら、イエスさまは、救われるためには全財産を献げなければならないとおっしゃっていますよ」と言います。しかも、「貧しい人たちに与えなさい」という部分には一切触れず、私の所に持ってきなさいと命じます。そして、皆さんが献げるお金を自分の懐に入れてしまうでしょう。もちろん、実際にそんなことはしません。イエスさまのこの命令は、そういう意味ではないからです。

私たちには、様々な欲しいものがあります。そして、それを神さまに求めてもかまいません。聖書には、神さまに欲しいものを願い、それをかなえられた信仰者がたくさん登場します。
  • 子どもがいなかったハンナは、子どもを求めて神さまに祈り、後の預言者サムエルを与えられました。
  • 意地悪な伯父の元に身を寄せていたヤコブは、伯父よりも多くの財産を求め、それがかなえられました。
  • 若いソロモン王は、国民を導くための知恵を求め、それが与えられました。
  • ヒゼキヤ王は、外国に攻められて都を包囲された時、神さまに平和を求めたところ、神さまは天使を遣わして敵を蹴散らされました。
イエスさまがここでおっしゃっているのは、「あなたの願いが、願いを叶えてくださる神さま以上に大切になっていやしないか?」ということです。

握ったものに振り回される

この青年は、永遠のいのち、すなわち神さまとの深い愛の交わりを求めていました。それは嘘ではありません。しかし、彼自身は自覚していませんでしたが、お金を持っているということが、彼にとって大きな安心の土台になっていたのです。神さまと同じ、いやそれ以上に大切な大切な人生の土台です。ですから、それを手放せと言われたとき、彼は躊躇してしまいました。

私たちは握っているものに振り回されてしまいます。
  • お金を握っていれば、お金のあるなしで一喜一憂してしまいます。
  • 健康を握っていれば、体調の善し悪しで一喜一憂します。
  • 成功することを握っていれば、成功して人から認められないと落ち着かなくなります。
セミナー会社で講師として働いているBさんの話です。知り合いが悩んでいたので、「これは普段は貸し出ししないものだけれど、あなたの役に立つと思うから、特別に貸してあげるね」と、先輩講師が行なったセミナーのCDを貸し出しました。ところが、受け取ったその人は、感謝の言葉を述べながらも、ちょっと迷惑そうな表情を見せました。Bさんは、せっかく貸してあげたのにと、嫌な気持ちになってしまいました。そして、そのことがいつまでも気になって仕方がありません。

そこで、上司に相談すると、「相手からすれば、頼みもしないのに、しかも上から目線で恩着せがましくCDを貸し出されても、かえって嫌な気持ちになるでしょう」と指摘されました。そこでBさんは、「自分は相手のためというより、感謝されることを第一に求めていたんだ。それなのに、感謝されなかったから、嫌な気持ちになったんだ。それが自分の偶像だったんだ」と気づかされました。

握っているもの。自分の人生の中で、神さま以上に大切にするもの。それを聖書は「偶像」と呼びます。あなたはどんな偶像を握りしめていましたか? そのため、どんなふうにそれに振り回されてきましたか?

自由を味わおう

間違えないでください。お金が悪いわけでも、健康が悪いわけでも、社会的成功が悪いわけでもありません。それを大いに求めて構いません。キリスト信仰は、決して禁欲主義ではありません。

しかし、パウロは、「私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています」(ピリピ4:12)。そんな自由を失うほどに囚われてしまうなら、それが問題なのです。神さまは、私たちに自由を与えたいと願っておられます。

3.人にはできないことが神にはできる

聖書を読んで落ち込むとき

第一のポイントで、聖書の言葉に触れ続けようという話をしましたね。それを実践していると、うれしい気持ちになるときばかりではありません。聖書を読んでかえってつらくなるときもあります。それは、聖書が教えている基準に、自分がとても追いつかないと示されたときです。

この青年は、神さま以上にお金に頼っている自分の姿に気づかされ、神さまに信頼するようにチャレンジを受けました。しかし、彼にはそれをする力がありませんでした。そこで、悲しみながら去って行ったのです。

私は「人から評価されること。非難されないこと」を偶像にして生きてきたわけですが、クリスチャンになってだいぶマシになってきました。しかし、それでも折に触れて人目を気にして自由を失ってしまうことがあります。そして、そんな自分に気がつくと、「またか。いつになったら本当に解放されるのか」と、ちょっぴり落ち込んでしまいます。

なおも留まるべきだった

青年は、悲しみながら去って行きましたが、本当はそこに留まり続けなければなりませんでした。すなわち、お金を偶像にして、お金のあるなしによって振り回される、そのままの状態で留まり続け、イエスさまの話にさらに耳を傾ける必要があったのです。

イエスさまは、なぜこんな厳しい命令を青年になさったのでしょうか。それは、そもそも彼の最初の質問が間違っていたからです。彼は、「何をしたら」永遠のいのちが手に入るかと尋ねました。

これに対してイエスさまは、「あなたの行ない、あなたの努力によって、永遠のいのちを手に入れることはできないのだよ」ということを彼に教えたいと思われました。そこで、あえて厳しい基準をお示しになったのです。

実際、もしも行ないによって神さまに認められ、ごほうびによって永遠のいのちをいただこうとするなら、パーフェクトを求められます。99.999…%の出来でもダメです。完璧な生き方をするなんて、人間には不可能です。

ですから、イエスさまは、私たちの足りないところを、いちいちあげつらって責めたりはなさいません。私たちに何かが欠けていることなんて、最初からわかりきっていることだからです。

もしも、イエスさまが私たちの足りないところを指摘なさるとしたら、それは責めるためではなく、自分の力で神さまに認めてもらおうとしなくていいということを思い出させるためです。そして、その代わりの生き方を教えてくださいます。自分の努力によって勝ち取るのではない、永遠のいのちの手に入れ方です。この青年は、なおもそこに留まって、それをイエスさまに教えてもらう必要がありました。

留まって何を聞くのか

青年が去った後、弟子たちは「それでは、だれが救われることができるでしょう」と尋ねました(25節)。当時、長寿と子だくさんと金持ちというのは、神さまに祝福されている証拠だと考えられていましたから、「金持ちが救われるのは、らくだが針の穴を通るより難しい」というイエスさまの言葉に反応したわけです。

これに対してイエスさまは、「それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます」(26節)とお答えになりました。人は、自分の力で自分を救い、永遠のいのちを手に入れることはできませんが、神さまには、人を救い、永遠のいのちを人に与えることができるということです。すなわち、一方的なプレゼントとして、ただで永遠のいのちを与えてくださるのです。

私たちが永遠のいのちを手に入れるための条件は、イエスさまがすべて代わりに満たしてくださいました。完全にきよい生き方をなさったイエスさまは、私たちのすべての不完全さ、罪の尻拭いをしてくださいました。私たちが受けるべき罪の罰を、身代わりに受けて十字架にかかり死んでくださったのです。そのため、私たちの罪はすべて赦され、私たちはきよい者とされ、永遠のいのちが与えられました。

そこに、私たちが何かを付け加える必要はありません。ただ「ありがとうございます」と受け取るだけです。イエスさまは、あなたに永遠のいのちを与えたい、いつも一緒にいて、なんとしても祝福したいと願っておられます。そして、信仰もまた神さまから私たちに与えられるプレゼントです。ですから、「それを信じます。信じさせてください」と祈りましょう。

まとめ

金持ちの青年は悲しみながら去って行きましたが、私たちは図々しく踏みとどまって、聖書に触れ続け、教会の礼拝式や交わりに加わり続けましょう。そして、イエスさまの愛の語りかけを聞き続けましょう。そうすることで、私たちは「針の穴を通るらくだ」になることができます。

あなた自身への適用ガイド

  • あなたの心の中に響いてくる「あなたはダメだ」という声を自覚しましょう。どんな声ですか? そして、その否定的な声に対して、聖書はどんな約束をしていますか?
  • 聖書の約束は本当だったと実感した出来事が、最近ありましたか?
  • あなたの偶像は何でしたか?
  • 今の自分が情けないなあと感じることがありますか? それに対して、イエスさまは何とおっしゃっていると思いますか?
  • 「信じます。信じさせてください」と祈ったとき、どんなことを感じましたか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

連絡先

〒962-0001
福島県須賀川市森宿辰根沢74-5

TEL 090-6689-6452
E-Mail info@nakakomi.com


guests have visited here
since July 15th, 1999.