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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

パワーゲームから降りよう

マタイによる福音書20章17節〜28節

(2018年4月29日)

参考資料

20節の「ゼベダイの子たち」とは、十二使徒であるヤコブとヨハネ。

28節の「購い」(あがない)とは、いったん自分の手を離れてしまった物や人を、代価を払って買い戻すこと。特に聖書では、罪人の罪を神さまに取り消していただくため、犠牲を払うこと(獣や鳥のささげものなど)。その中でも特に、イエス・キリストが十字架で全人類の罪の罰を身代わりに受けて、我々が罪の責めを負うことがなく、神の子になれるようにしてくださったことを指します。

「人の子」とは、人間という意味ですが、イエスさまはご自分のことをそうお呼びになりました。これは、イエスさまがご自分のことを救い主だと宣言しているのと同じです。ダニエル書7:13は、やがて来る救い主のことを「人の子のような方」と表現しているからです。

イントロダクション

ヤコブとヨハネは、イエスさまが神の国の王となられたときには、右大臣、左大臣の地位に就けてくれるよう母親を通じて求めました。つまり、神の国で支配的な立場になりたいということです。他の10人の弟子たちが怒ったということは、彼らもまた同じことを願っていた証拠です。

イエスさまは、エルサレムに向かっておられましたが、それは十字架にかかって人類の罪をあがない、救いをもたらすためです。今回の箇所でもご自分の死について語っておられますね。しかし、弟子たちはそこのことを理解せず、当時のほとんどのユダヤ人が期待していたように、いよいよローマ軍を追い払って神の国を建設するためにエルサレム入りするのだろうと勘違いしていました。

19:28では、イエスさまは弟子たちに、「まことに、あなたがたに言います。人の子がその栄光の座に着くとき、その新しい世界で、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族を治めます」と約束しておられます。これもまた、上記の勘違いの一因になっているでしょう。

これに対して、イエスさまは神の国で偉い人はどういう人だと教えているでしょうか。そして、神の国の市民権をすでにいただいている私たちに、今この地上でどういう生き方をせよと教えておられるでしょうか。

1.他人を動かす動機を知れ

コントロール欲求

一言で言うと、私たちが人を動かしたいのは、自分が幸せになりたいためです。この目的を見失わないようにしましょう。

25節には、権力者が他の人を支配している様子が描かれています。そこまで横柄な態度を取らなかったとしても、私たち多くの人間の心の中には、相手を自分の思い通りに動かしたいという思いがあります。権威、権力とは、他の人を思い通りに動かす力です。弟子たちが高い地位を求めた背後にはそういう力が欲しいという思いがありましたし、それは私たちの中にもあります。

人を自分の思い通りに動かしたいという思いを、コントロール欲求と呼びます。コントロール欲求を持つことそのものは、別に悪いものではなく、人として当然のことです。私たちは、自分の幸せのために、他の人や環境を動かそうとします。

たとえば、休日に退屈でたまらないとします。そこで、楽しい一日を過ごすために、映画を見に行こうと友だちを誘いました。この場合、こちらは友だちを思い通りに動かそうとしています。

また、商売をするというのも、お店の人やお客さんが、互いに相手を思い通りに動かすことです。お店の人は、宣伝したり魅力的な陳列をしたりすることによって、お客さんに商品を買うという行為をさせていますし、お客さんは代価を払うことによって、お店の人に商品を売るという行為をさせています。

私たちは、このように、人を思い通りに動かしたり、逆に動かされたりしながら社会生活を営んでいます。先ほど挙げた例は、別に不健全でも、嫌なことでもありませんね?

問題が生じるとすれば、動かされた方が嫌な気持ちになる場合です。友だちを映画に誘う例で、友だちが納得して誘いに乗っているのなら、別に嫌な気持ちにはならないでしょう。しかし、本当は映画なんか行きたくないのに、何らかの理由で無理矢理誘い出され、半日を潰されたのだったら、友だちは嫌な気持ちになるでしょう。そして、誘った方も、いやいやつき合っている友だちの態度を見れば、やっぱりいい気持ちはしませんね。

コントール欲求を持ち、それを実践することそのものは悪くありませんが、問題はその方法です。相手の気持ちや願いを無視して、無理矢理動かすやり方をしてしまうと問題が生じます。 それでは、幸せになりたいという目的をかえって達成できなくなってしまいます。

支配の方法

相手の気持ちや願いを無視して、無理矢理動かすやり方を「支配」と呼びます。支配的な方法は様々ありますが、いずれも相手を嫌な気持ちにさせることによって、無理矢理動かそうとします。
暴力・暴言
たとえば、体や心に痛みを与え、恐怖心を引き起こすやり方。暴力や暴言です。相手は、怖いのは嫌ですから、こちらの思い通りに動くでしょう。
脅し
思い通りにしないと殴られるとか、捨てられるとかいう不安感をあおり、そうなりたくなければ思い通りにしろというやり方をするのが脅しです。
嫌み
羞恥心を使うのが嫌みです。たとえば「中学生にもなってこんなことができないのか」というように。羞恥心を与えるのは、相手から「なにくそ」という反発を引き出すことで、こちらの思い通りに動かそうという動機があるからです。
弱さ
以上のような強さを使った支配方法ではなく、弱さを使った支配方法もあります。たとえば涙や悲しいか、拗ねた態度などです。それにより、相手の心の中には罪責感が生じます。そして、「悪いことをした」と反省して、こちらの思い通りに動いてくれるという寸法です。
愛情
愛情だって支配の道具として使われることがあります。「あなたのためよ」という言い方で、相手が望んでいないようなよけいなお世話を焼くというやり方です。「いい人がいるのよ。あなたにぴったり。その人と一緒になったら絶対幸せになれるよ。おばちゃん、あなたのこと一番よく知ってるんだから。その人と結婚するのがあなたのためよ。だから、今度の土曜日、スケジュール空けといてね」。

愛情による支配を断ると、せっかくの善意を無にしたということで、断った方が悪者になります。ですから、ついつい思い通りに動いてしまうかも知れません。

どんな方法でも、支配は嫌な感情を引き出します。誰も嫌な気持ちになりたくなんかありませんから、思い通りに動きやすいでしょう。だからこそ、この世ではよく用いられます。ですが、関係は確実にこじれていきますし、反発されてかえって思い通りに動かせないということにもなりかねません。

自発的に

私たちは、人を思い通りに動かしたいと願います。特に、相手の言動に困っているときには、相手に変わって欲しいと願います。それ自体は悪いことではありません。しかし、私たち自身のことを考えてみましょう。人から嫌な気持ちにさせられて、変わることを強制されるのはお断りですよね? もし行動や態度を変えるとしても、納得して、自発的にそうしたいと思うはずです。

これは他の人も同じです。ですから、相手に納得してもらい、自発的に行動や態度を変えてもらう。そういう人の動かし方を心がける必要があります。そのためには、
  • 相手にどういう行動をして欲しいか、そしてその理由は何かということを、相手に分かるような言い方で「説明」しなければなりません。それは、相手に納得してもらうためです。
  • その上で、そうしてくれるよう「お願い」しなければなりません。それは、相手の自発性を尊重するためです。
人には自由の欲求がありますから、強制的に動かされるのではないかと感じると、よけいに反発を感じます。しかし、お願いされるということは、「嫌だ」と言う自由を保障されるということです。そこで相手は安心し、かえって「いいよ」と言いやすくなります。

というわけで、分かりやすい説明と謙遜なお願いというのが、互いの幸せにつながるおすすめの人の動かし方です。

2.仕える人となれ

パワーゲームから降りよう

説明してお願いするという方法は、一般論としては納得できても、実際にやろうとすると、なかなかできません。こっちが「納得」できないのです。特に、相手の言動でこちらが迷惑している場合、「なぜこちらが譲歩して、いちいち説明したり、頭を下げてお願いしたりしないといけないんだ。どんなふうに行動して欲しいか暗い、自分で察して、自発的に行動を変えろよ!」と思ってしまいます。

それに対して、イエスさまはなんとおっしゃるでしょうか。イエスさまは、人の上に立ち、人を支配したいと願っていた弟子たちに対して、「仕えられる人ではなく、仕える人になりなさい」とおっしゃいました。

これは、相手を変えられればこちらの勝ち、変えられなければこちらの負け、勝つか負けるかというパワーゲームに陥らないように、むしろ爽やかに負ける強さを養いなさいという教えです。そういう人が、神の国では最も偉い人なんだよと。

お父さんと小さい息子が相撲ごっこをすることを考えてみましょう。健全なお父さんなら、本気で息子を叩きのめすような真似はしません。適当に勝ったり負けたりしてやりながら、息子の力を引き出そうとするはずです。息子の方は全力で勝負しているでしょうが、お父さんの方は勝ち負けにこだわっていません。負けたからといってお父さんが弱いということになりませんから、負けても悔しくありませんし、惜しくもありません。お父さんは勝負の外にいるのです。

こちらがていねいに説明してお願いしたとしても、それはこちらの負けではありません。むしろそれで成功率が上がるのですから、使わない手はありません。それに、神さまはそれができるあなたを偉大な人間だと認めてくださいます。

仕える≠言いなりになる

ただし、仕える人になるというのは、本当は嫌なのに、相手の思い通りに動き続けるということではありません。それはやっぱり勝負の世界に生きていて、勝負に負けているということになります。

かといって、攻撃的なやり方で反発したのでは、やっぱり勝負になってしまいます。

相手の要求に応えたくないときには、理由を「説明」して、そうしたくないから諦めて欲しいと「お願い」しましょう。やはり説明とお願いです。それが仕える人として行動することです。

別の次元で幸せになる

仕える人になるとは、勝ち負けとは関係ないところで、幸せを感じられるようになるということです。

これまで、家庭や職場での人間関係に悩んでいる人たちの相談を受けてきましたが、多くの人は、相手に問題があって、相手がこのように変わってくれたら問題が解決するのにとおっしゃいます。それはその通りであることが多いです。

ただ、すでに体験的に理解していらっしゃると思いますが、相手を変えるのは非常に難しいです。相手を変えるには、まず自分が変わる必要があります。少なくとも、強制的な変え方をやめて、これまで紹介してきた説明とお願いというやり方に変える必要があるでしょう。

さらに、「相手が変われば自分が幸せ」という、他人に自分を幸せにしてもらおうとする態度をやめて、「相手がどうでも自分は幸せになれる。自分の幸せの鍵は自分が握っている」と腹をくくったとき、実際に幸せを感じられるようになり、さらに相手との関係も変化していったという例を、私はたくさん見てきました。

たとえば、ご主人がうつ病のため苦労しておられた奥さんは、ご主人の病気を治そうとして、薬を飲めとか、散歩に出ろとか、あれこれ「指導」してこられました。しかし、ちっともご主人は奥さんの思い通りに行動してくれませんし、かえって症状が悪化していく気がします。私がおすすめしたのは、奥さんがご自分の趣味を持ち、それを大切にすることです。最初は、苦しむご主人を放っておいて、自分だけ趣味を楽しむのは後ろめたいとおっしゃいましたが、実践なさると心に余裕が出てきて、ご主人への態度も柔らかくなりました。そして、そのせいかご主人も治療に前向きになっていかれました。

私たちは、相手と勝ち負けを争い、張り合うのではなく、仕える人として、勝負を超えた世界で幸せになりましょう。

3.仕えられることを学べ

爽やかに負けてもらう経験

では、どうしたらパワーゲームにこだわらず、また「自分の幸せは自分持ち」という自立した生き方ができるようになるでしょうか。それは、実際に自分が爽やかに負けてもらう経験をすることによって、学ぶことができます。

爽やかに負けたイエス

イエスさまは、自分は「仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来た」とおっしゃいました(28節)。

イエスさまは神の国の王であり、神さまですから、「私の言う通りにしないと、地獄に堕として苦しめるぞ」と私たちを脅して、無理矢理従わせることもできました。そういう怖い神さまをイメージしておられる方も、一般にはたくさんいらっしゃいます。

しかし、実際のイエスさまは私たちを無理矢理動かそうとはなさいませんでした。私たちの身代わりとして十字架にかかって苦しみ、血を流して死ぬことによって、私たちの罪が赦され、そのままの姿で神さまの子どもになることができるようにしてくださいました。

その上で、「どうか信じておくれ。私と仲直りしておくれ」と懇願しておられます。

「こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい」(第2コリント5:20 新改訳第三版)。

罪とは神さまを無視し、神さまの存在や価値を否定することです。神さまが私たちの罪の被害者です。にもかかわらず、神さまの方から私たちと仲直りしたいと願い、罪の赦しに必要な条件を全部整えた上で、神さまの方から手を差し伸べてくださいました。何という謙遜、何という仕える姿勢でしょうか。

人を大切にできる人は、他の人から大切にされる経験をたくさんしてきた人です。イエスさまは、あなたを大切にしてくださっています。そのことをこれからもたくさん学び、体験しましょう。

まとめ

パワーゲームから抜け出して仕える人となることにより、人に振り回されない、自由で幸せな人生を手に入れましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 嫌な感情を使って支配したり、されたりした経験が、最近ありましたか?
  • 誰かとパワーゲームで張り合うということについて、思い当たる関係がありますか?
  • 説明してお願いをするというやり方を、具体的に誰に対してどのように使えそうですか?
  • 「幸せは自分持ち」という言葉から、どんなことを考えましたか?
  • さわやかに負けてもらった経験が、最近ありましたか?
  • 最近、神さまに大切にされているなあと感じた出来事がありましたか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

連絡先

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福島県須賀川市森宿辰根沢74-5

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