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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

7人兄弟連続死事件

マタイによる福音書22章23節~33節

(2018年5月20日)

参考資料

サドカイ人とは、ユダヤ教のサドカイ派に属する人たちです。パリサイ派が一般民衆の間に広がっていたのに対し、サドカイ派は祭司や貴族たちの間に広がっていました。彼らは、パリサイ派と違い、旧約聖書の中でモーセの五書(創世記~申命記)からしか教理を導き出してはいけないと考えていました。このため、死後のさばきや復活を否定していました。

24節の命令は申命記25:5-6に書かれています。兄が死んで未亡人となった兄嫁を、弟が妻に迎え、子を残して兄の遺産を相続させる制度をレビラト婚と呼び、世界各地で行なわれていました(ちなみに、妻が死んだ後にその妹をめとるのをソロラト婚と呼びます)。

イントロダクション

以前、過越の祭りは、イエスさまの十字架の死を預言していたということをお話ししたことがあります(3月11日のメッセージ)。過越の祭りでささげられる子羊は、祭りの前に傷もシミもないことが検査されました。それと同じように、イエスさまも十字架にかかる前に、人類の罪を取り除く犠牲の子羊としてふさわしい存在かどうか、最後の検査をお受けになりました。それが、前回パリサイ派とヘロデ党の人たちがした質問であり、今回のサドカイ派の人による質問です。

イエスさまは、前回のパリサイ派やヘロデ党の人たちに対する質問に回答することにより、彼らの企みを退けただけでなく、それを聞いた私たちに人生についての大切な真理を教えてくださいました。さて、今回はどんなレッスンをしてくださるでしょうか。まずは、サドカイ人の質問とそれに対するイエスさまの回答について、詳しく内容を見ていきましょう。

1.サドカイ人とイエスの問答

レビラト婚と復活

サドカイ人がした質問はこうです。

「先生。モーセは、『もしある人が、子がないままで死んだなら、その弟は兄の妻と結婚して、兄のために子孫を起こさなければならない』と言いました。ところで、私たちの間に七人の兄弟がいました。長男は結婚しましたが死にました。子がいなかったので、その妻を弟に残しました。次男も三男も、そして七人までも同じようになりました。そして最後に、その妻も死にました。では復活の際、彼女は七人のうちのだれの妻になるのでしょうか。彼らはみな、彼女を妻にしたのですが」(24-28節)。

この質問の意図は、純粋に答えが知りたかったからではなく、イエスさまが救い主ではないということを証明するためです。妻子たちが属していたサドカイ派の人々は、「宮きよめ」事件を起こして自分たちの既存権益を否定し、非難するイエスさまのことを、救い主だと受け入れていませんでした。

パリサイ人は、人は死後も命があって存在し続けること、死後に生前の行ないについてさばきをうけること、そして復活するということを信じていました。イエスさまもそれらがあることを教えてこられました。

ところが、同じユダヤ人でもサドカイ人はそれらを信じていませんでした。今回の変な質問によって、彼らは復活などないということを証明しようとしています。そして、もしイエスさまがサドカイ人にやり込められ、これまで教えてきたことが間違いだったと認めたとしたら、この人は救い主ではないということになります。

イエスがしなかった回答

当時はまだ新約聖書は与えられていませんでしたから、聖書と言えば旧約聖書のことでした。そして、旧約聖書の中にも、世の終わりに死者が復活することについて教えている箇所があります。たとえば、
  • イザヤ26:19
    「あなたの死人は生き返り、私の屍は、よみがえります。覚めよ、喜び歌え。土のちりの中にとどまる者よ。まことに、あなたの露は光の露。地は死者の霊を生き返らせます」。
  • ダニエル12:2-3
    「ちりの大地の中に眠っている者のうち、多くの者が目を覚ます。ある者は永遠のいのちに、ある者は恥辱と、永遠の嫌悪に。賢明な者たちは大空の輝きのように輝き、多くの者を義に導いた者は、世々限りなく、星のようになる」。
  • ホセア13:14
    「わたしはよみの力から彼らを贖い出し、死から彼らを贖う。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。よみよ、おまえの針はどこにあるのか」。
これらを示し、死後の命や死後の復活があることを神さまが教えておられるではないかと言えば、質問者の口を封じすることができたはずです。ところが、イエスさまはそれをなさいませんでした。というのは、相手がサドカイ人だったからです。

サドカイ人もパリサイ人などと同様、旧約聖書に含まれる39巻の権威を認めていましたが、教理(宗教上の教え)を打ち立てるのに用いていいのは、モーセが書いたと言われている最初の5巻(モーセ五書。創世記~申命記)だけだと主張していました。他の34巻は、教理を説明するために用いることはできますが、そこから教理を導き出してはいけないというわけです。

先ほど紹介した復活を教える箇所は、いずれもモーセ五書には含まれません。ですから、これらの箇所を示して復活を証明しようとしても、サドカイ人に対しては意味がありません。そこで、イエスさまは、それ以外の回答をなさいました。

イエスの回答1

イエスさまはおっしゃいました。「復活の時には人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いたちのようです」(30節)。

世の終わりに復活すると、今の私たちの体とは違う、栄光の体が与えられます。

「兄弟たち、私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。そして、この朽ちるべきものが朽ちないものを着て、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、このように記されたみことばが実現します。『死は勝利に吞み込まれた』」(第1コリント15:50-54)。

栄光の体、すなわち復活の体は、もはや死ぬことがありません。病気になることも、老いることもありません。様々な心身の障害とも無縁です。

そして、復活後のイエスさまの体の特徴は、私たちに与えられる栄光の体の特徴を知る参考になるでしょう。たとえば、 弟子たちは、復活後のイエス・キリストに会った時、すぐにそれがイエスさまだとは分からないことがありましたが、しばらくするとイエスさまだと分かりました。復活前の体と全く同じ姿形ではないけれど、よく見ると以前の特徴を残していたのでしょう。また、声を聞いてイエスさまだと分かった弟子もいますから、声も以前と全く同じとは言わないまでも、復活前の特徴を残していたのかもしれません。私たちに与えられる栄光の体もそれと同じだと考えられます。

また、復活したイエスさまは食事をなさっています。ですから、栄光の体でも食事をすることができるでしょう。ただし、死なない体なので、生きるのに食事が必須というわけではありません。純粋に楽しみのために食べることになるでしょう。もちろん、それで太りすぎたり栄養が偏ったりして、健康や美容を損ねることはありません。うれしいことですね。

そして、復活の体は性別がないようで、もはや結婚することもありません。ですから、サドカイ人たちの質問は的外れだとイエスさまはおっしゃいました。

イエスの回答2

次にイエスさまは、サドカイ人たちも教理の源として受け入れている、主エジプト3:6のことばを引用なさいました。「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」。しかし、これのどこが復活の証明になるのでしょうか。

神さまはアブラハムを選び、彼と契約を結ばれました。そして、子どもがいなかったアブラハムから多くの子孫が生まれ、土地を持たない遊牧民だった彼にカナンの地が与えられ、彼とその子孫が大いに祝福されることを約束なさいました。そして、この契約は、アブラハムの子イサク、その子ヤコブ、さらにその子孫であるイスラエル民族(ユダヤ人)に継承されました。

「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」というフレーズは、イスラエルと契約を結ばれた神という宣言です。この言葉には、「神さまは契約を守る誠実なお方だから,安心しなさい」という励ましを含んでいます。実際、約束の一部はすでに実現しました。たとえば、アブラハムにイサクが生まれるという約束です。

ところが、たとえば土地が与えられるという約束は実現していません。生前、アブラハム、イサク、ヤコブが手に入れた土地は、墓地とそこに隣接する畑、そしていくつかの井戸くらいです。彼らは、約束されたものを受け取ることなく死にました。このままでは、神さまは嘘つきだということになってしまいます。

もしも、神さまが約束を守る誠実な方なのであれば、アブラハムたちを復活させ、その上で土地を与えなければなりません。死後の復活がないとしたら、神さまの契約は果たされなくなってしまいます。だから、死後の復活はなければならないと、イエスさまはおっしゃっているわけです。

自分たちが受け入れているモーセ五書から証明された以上、サドカイ人たちは口をつぐむしかありませんでした。イエスさまの完全勝利。イエスさまが、人類の犠牲としてふさわしいお方だということが、また証明されました。

では、ここから今の私たちは何を学ぶことができるでしょうか。それは、死後の命、死後のさばき、死後の復活が確かにある以上、それを前提とした今の生き方をしなければならないということです。

2.死後の復活を織り込んで今を生きよう

現世主義への警告

サドカイ人たちは、死後の命を否定していました。彼らは生きている間だけ幸せであればそれでいい、今が良ければ死んだあとのことなんかどうでもいいという現世主義者です。そして、その結果、お金や財産やおいしい食事など、物質的なものに心を奪われていました。

現代の日本でも、現世主義・物質主義が人の心に大きな影響を与えています。牛丼の「うまい、はやい、おいしい」ではありませんが、「すぐ・楽・得」を追い求める風潮が蔓延し、ともすれば私たちクリスチャンもそれに染まってしまいます。努力しないで、すぐに利益が欲しいと思ってしまうのです。しかし、イエスさまは、「それでいいのかい?」と私たちに問いかけておられます。

長期計画で人生を考えられる人は、目先の「すぐ・楽・得」を捨てても、未来のよりすばらしい祝福のために、なさねば成らぬことを行なうことができます。

たとえば、受験生がなぜ、テレビやゲームなどの楽しみを制限して、勉強に時間をかけるのか。アスリートが、なぜ苦しい筋トレをするのか。音楽家が、なぜ単調な基礎練習を何時間も繰り返すのか。それは、今このときの楽しみを手放したとしても、なおそれに勝るすばらしい未来が待っているということを知っているからです。

それをもっともっと長いスパン、永遠というスパンで考えてみよう。イエスさまはそうおっしゃっています。もし死後の命と復活があるなら、今の人生の他に、死んだ後の第2の人生、そして復活した後の第3の人生があるということになります。そして、今の人生でどのような生き方をしたかによって死後のさばきが行なわれ、その結果によって復活後の、永遠に続く第3の人生が決まるとしたら、今をどのように生きるかをもっと真剣に考えなければならないのではないか。イエスさまは、そう私たちに語っておられるのです。

「自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません」(マタイ6:19-20)

永遠に価値あるものを追い求めよう

では、物質に対するものは何でしょうか。天に蓄えることができる宝とは何でしょうか。それは、神さまが喜ばれる生き方です。愛、そして正義です。

善きサマリア人のたとえ(ルカ10:25-37)で、サマリア人は強盗に襲われて死にかけているユダヤ人を助けました。応急手当をし、宿屋に泊まらせ、世話を任せました。その料金は、サマリア人が支払うと言いました。

歴史的な事情から、サマリア人とユダヤ人は仲が悪く、付き合いがありませんでした。いわば敵国人です。彼は先を急いでいましたから、時間を犠牲にすることになります。しかも、ユダヤ人を助けたからといって、何かサマリア人に利益がもたらされるわけでもありません。むしろ、薬として使ったぶどう酒や包帯、宿代などを損することになります。「すぐ・楽・得」の価値観とは真逆の行動です。しかし、彼はユダヤ人を助けました。イエスさまは、彼のような生き方をしなさいと教えておられます。

この話をお読みください

聖霊の助けによって

今日はペンテコステです。十字架にかかり復活なさったイエスさまが天にお帰りになった後、天から聖霊さまが弟子たちの上に下ってこられ、彼らを満たしました。このときに教会が誕生しました。ペンテコステはそれを記念する日です。

聖霊さまは、今も私たちクリスチャンと共にいてくださり、その内側を満たしてくださいます。そして、キリストの体である教会の一員にしてくださっています。

聖霊さまによる満たしは、私たちがいい気分になるために与えられるものではありません。私たちが、短期的には「すぐ・楽・得」に反するようなそんな生き方に見えても、神さまが喜ばれる、長期的には得になる行動ができるよう、勇気や力や知恵が与えられるためです。

まとめ

今、祈りましょう。聖霊さまが私たちを満たしてくださり、支配してくださるように。それによって、神さまが喜ばれる、天に宝を積むような行動を選ぶことができるようにと。

あなた自身への適用ガイド

  • この世に生きる者として、「すぐ・楽・得」を追い求める心が私たちのうちにもあります。それに惑わされて、神さまが喜ばれない生き方を選んでしまったと気づいたことがありますか?
  • 神さまが喜ばれる生き方を示されているのに、それを行なう上で葛藤を覚えていることがありますか? どんな葛藤でしょうか。
  • 葛藤をものともせず、神さまが喜ばれる生き方の方を選んだ経験があるはずです。最近どんな決断をなさいましたか?
  • 今、あなたはどんな行動を取るように神さまから示されていますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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