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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

素晴らしい未来のために

マタイによる福音書20章17節〜28節

(2018年6月17日)

参考資料

31節の「人の子」とは、元々は人間のことですが、ここでは救い主のこと。預言者ダニエルが救い主の幻を見て、「人の子のような方」と表現したことに基づきます(ダニエル7:13)。

イントロダクション

私たちの現在の生き方は、どのような未来がやってくると思っているかに強く影響をされます。

現代は、幸せな未来をなかなか信じられない時代です。差し迫った危険というわけではないにしても、個人の生活も、この国も、世界も、だんだんと状況が難しくなっていくのではないかという、「漠然とした不安」が漂っています。そのようなこの世の中で、私たちクリスチャンは、どのような未来を想像することができるでしょうか。

1.私たちの未来

携挙

聖書は、今のこの世界、この宇宙には終わりがやってくると教えています。いわゆる世の終わり、終末です。そして、永遠に続く新しい世界がスタートします。

世の終わりに起こると聖書に預言されていることはたくさんあって、そのすべてを紹介することはできません。その中でも、特に注目すべき出来事の一つは、神学者たちが「携挙」と呼ぶものです。31節に書かれている出来事です。

第1テサロニケには、もう少し詳しくこの出来事について記されています。4:13 眠っている人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないためです。
4:14 イエスが死んで復活された、と私たちが信じているなら、神はまた同じように、イエスにあって眠った人たちを、イエスとともに連れて来られるはずです。
4:15 私たちは主のことばによって、あなたがたに伝えます。生きている私たちは、主の来臨まで残っているなら、眠った人たちより先になることは決してありません。
4:16 すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、
4:17 それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
4:18 ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい。


内容を整理すると、
  • ある日突然、天使が吹き鳴らすラッパの音が鳴り響き、今は天にいらっしゃるイエス・キリストが空中まで降りてこられます(空中再臨)。
  • その瞬間、クリスチャンですでに亡くなっていた人たちが(新しい栄光の体で)復活し、空中に引き上げられます。
  • 続いて、その時地上に生きているクリスチャンも(新しい栄光の体に変えられて)、空中に引き上げられます。
  • 両者は迎えに来られたイエスさまと出会い、天に迎え入れられます。

その後起こること

大患難時代
その後しばらくして、7年間の大患難時代が始まり、地上には大変な災害がもたらされます。
再臨と千年王国
その7年の最後に、イエスさまが地上まで降りてこられます。携挙の時の空中再臨と区別して、地上再臨と呼ぶ場合もありますが、通常は再臨というとこの地上再臨のことを指します。

このとき、天で待機していたクリスチャンたちも一緒に地上に戻ってきます。そして、イエスさまは、神さまとイスラエルの敵を滅ぼし、サタンや悪霊たちを封印して、地上に千年続く王国(千年王国、神の国、天の御国)を建設なさいます。

この千年王国には、私たち地上に戻ってきたクリスチャンだけでなく、復活した旧約時代の信者たち、携挙後に救われて、大患難時代の迫害で命を落とし、その後復活した信者たち、大患難時代を生き延びた信者たちが住みます。
永遠の世界への振り分け
千年たつと、封印されていたサタンと悪霊が活動を再開しますが、イエスさまは彼らを打ち負かします。こうして、サタンや悪霊たち、そして神さまの救いを受け取らなかった歴代の不信者たちは、ゲヘナと呼ばれる火の池に堕とされ、そこで永遠に苦しみを味わいます。

それから、今の宇宙が消えて無くなり、新しい天と新しい地(新天新地)が創造されます。ゲヘナに堕とされなかった人たち、すなわち救いを受け取っている歴代の信者たちは、その新天新地で祝福に満ちた永遠の時を過ごします。
  • 終末時代に起こることについて、もう少し詳しく知りたい方はこちらの記事からお読みください。

人間の存在は、たとえ死んでも消えて無くなることはありません。すべての人が、永遠の時を過ごします。ところが、すべての人が同じ状態で永遠を過ごすわけではありません。

聖書によれば、2つの可能性があります。一つは、破壊、破滅、悲しみ、虚しさ、絶望、死というイメージの暗い未来。そしてもう一つは、成長、完成、喜び、感動、希望、いのちというイメージの明るい未来。

そして、そのどちらの未来を手にするかは、私たちが自由に選ぶことができます。イエスさまが私たちにぜひ受け取って欲しいと願っておられるのは、もちろんすばらしい祝福に満ちた明るい未来です。イスラエルの民がいよいよ約束の地に入ろうとする直前、神さまはモーセを通して、民にこう語りかけました。「私は、いのちと死、祝福とのろいをあなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい」(申命記30:19)。

では、祝福に満ちた未来を選ぼうとする私たちは、今この一瞬一瞬をどのように生きれば良いのでしょうか。

2.今をどう生きるか

重要なポイント

今回の箇所で強調されていることの一つは、携挙がいつ起こるのかは、天の父なる神さま以外誰も知らないということです。天使ばかりか、イエスさまですら知らないとおっしゃいました。

ですから、何年後に世の終わりが来るなどという預言を語る人がいたとしたら、それがたとえ有名な牧師であったとしても偽の預言です。決して惑わされてはいけません。

そして、霊の目を覚ましていなければなりません(42節)。これは、油断せず、いつ携挙が起こってもいいように準備していなさいということです。どんな準備が必要でしょうか。続いてイエスさまが語られた4つのたとえ話からそれを読み解きましょう。

4つのたとえ話

忠実で賢いしもべのたとえ(24:45-51)
旅から帰ってきた主人は、留守を任せていたしもべの忠実さや思慮深さを認め、彼を昇進させて、さらにやり甲斐のある充実した仕事を任せました。このしもべは「昇進したいなあ。もっとやり甲斐のある仕事がしたいなあ」と、ただ夢見ていただけでなく、忠実で思慮深いしもべだと言われるのにふさわしい仕事を、普段から怠りなく実践していたのです。

逆に、主人が見ていないことをいいことに、ひどい生き方をしていたしもべは、帰ってきた主人に叱られ、仕事を取り上げられてしまいました。

クリスチャンは未来の罪もすでに赦されています。ですから、罪を犯したからといって、それで救いが取り消しになることはありません。しかし、来たるべき千年王国でより大きな祝福を味わい、よりわくわくするような働きの場が与えられるためには、罪を犯さないよう注意し、イエスさまが喜ばれる行動をし続けなければなりません。仮に罪を犯してしまっても、気づいたらすぐに悔い改めて生き方を正しい方向に修正しましょう。

見られていないと思うと、人は変なことも平気でできてしまうものです。いつもイエスさまが隣にいることを意識しながら生活したいですね。この話をお読みください

イエスさまが迎えに来られた時、「うわ、よりによってこういうことをやっている、今このタイミングで来なくても」というふうに後悔しないで済む生き方を選び取っていきたいですね。そのためには、次の心構えが必要になります。
賢い娘のたとえ(25:1-13)
ここでは千年王国が結婚披露宴にたとえられています。当時、ユダヤの結婚式と披露宴は花婿の家で行なわれました。そこで、花婿は花嫁の家まで花嫁を迎えに行ったのです。その花婿を花嫁の友人である乙女たちが出迎えます。そして、彼らは花嫁に付き添って、披露宴に参加します。

賢い5人の娘たちは、途中でランプの油が無くなって慌てないように、余分な油を準備していました。この油とは、聖霊さまのことです。聖霊さまは、私たちに罪の赦しを確信させ、父なる神さまやイエスさまが私たちにとってどのようなお方かを教えてくださいます。そして、私たちの内側から造り変え、イエスさまのような人格に成長させてくださいます。

このたとえが教えている、幸せな未来を実現させるためにしなければならない準備とは、神さまとの霊的な交わりを保ち続けることです。途中で油ぎれにならないように、「コンスタントに」持ち続けるということです。

救われたときの喜びだけで、何年も信仰生活を送っていくことは困難です。毎週の礼拝だけでも、週の半ばには息切れしてしまいます。主の祈りでも、「日ごとの糧を与えてください」と求めていますね? 毎日毎日聖書を開いて神さまからの語りかけに耳を傾け、一瞬一瞬祈ることで、神さまとの交わりを保つことが大切です。それによって、私たちは、新たな感動や喜びをいただくことができます。

そうして力をいただいた私たちは、次の準備をすることができるようになります。
タラントのたとえ(25:14-30)
タラントというのは、ローマ帝国のお金の単位で、大金です(1タラント=5000万円前後)。旅に出る主人は、3人のしもべに、それぞれの能力に応じてお金を配分し、それで商売をさせようとしました。

2人のしもべは、そのお金を使って商売をし、主人に喜ばれ、さらに大きな仕事を任されるようになりました。ところが、最後の一人は、ゆだねられたタラントを用いることなく、時を無駄に過ごしてしまいました。そこで、主人に叱られ、仕事を任されなくなってしまいました。

このタラントという言葉から、英語のタレント、すなわち才能という言葉が生まれました。神さまが与えてくださった、様々な能力のことです。それを見出して用いること。これが、幸せな未来への準備の3つ目です。

あなたには、様々な能力が与えられています。能力だけでなく、人脈や、財産や、経験などの様々な資源があります。それを見出して、精一杯使いましょう。使い切りましょう。「自分にはタラントなんかない」などと最初から決めつけないで、あると信じて探してみましょう。できないことにではなく、あなたができることに目をとめましょう。
羊とやぎのたとえ(25:31-46)
では、私たちが与えられているタラントを用いるのはなぜでしょうか。それは、私たち自身が人から「すごい才能がありますね」とほめられるためではありません。以前も申し上げましたが、私たちの行動の目的は愛です。神さまへの愛、そして人への愛でしたね?

あなたの才能や資源を、ただあなたの欲望を満足させるためだけに用いるのではなく、他の人の幸せのために用いましょう。イエスさまは、私たちが誰かに対して、まるでイエスさまに対してするように、心を込めて愛のわざを行なうなら、それはイエスさまに対して行なったのと同じだと評価してくださいます。

励ましの言葉

このような点に注意しながら地上を生きているならば、携挙が起こったとき、「もう少し意味のある生き方をしておけば良かった」と後悔する必要がありません。そして、今がどんなに矛盾に満ちていて、苦しみや悲しみに満ちていたとしても、必ず幸せな未来を手にすることができると確信することができます。

ところで、皆さんは大切な友だちの結婚披露宴に出席したことがおありだと思います。それはとてもすばらしいひとときです。喜びに満ちあふれた時間です。私たちクリスチャンを待っている世の終わりは、恐ろしい破滅ではなく、喜びと感動に満ちた世界です。

そして、それが単なる絵に描いた餅ではなく、実際に私たちのものになるように、神さまはそれを計画し、着々と準備を進めておられます。

今のあなたがどんな状況にいらっしゃるとしても、あなたは必ず祝福され、喜びと感動に満ちた人生を味わうことができます。それは、死んだ後だけではありません。イエスさまは「神の国は、あなたがたのただ中にある」とおっしゃいました(ルカ17:21)。生きている今、私たちは天国の喜びを体験できます。

だから、問題がやってきて、絶望しそうになったり、悲しみに心がふさがれそうになったりしたとき、「神さまは、私に幸せな未来を約束してくださった。だから、必ず何とかなるから大丈夫。いや、それどころか、この問題が祝福の種にだってなるんだから、絶対に大丈夫」と、自分を励ましましょう。そして、人に向かっても「あなたは大丈夫」という言葉を、確信を持って語りましょう。この話をお読みください

まとめ

私たちには素晴らしい未来が待っています。それがさらに素晴らしいものになるよう、今の生き方を見つめ直しましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • これまでのクリスチャン生活を振り返ってみましょう。最長、どれくらい悔い改めを先延ばしにしましたか? その後、どんなきっかけで悔い改めに導かれましたか? そして、悔い改めたとき、どんなことを感じたり考えたりしましたか?
  • 神さまとのコンスタントな交わりを保つために、あなたは何をしていますか? あるいはこれから何をなさいますか?
  • あなたに与えられている能力や資源を、できるだけたくさん挙げてみましょう。その中に「こんなものは、持っていても意味がない」と感じるようなものがありますか?
  • 他の人への愛を現すため、今週何を実践しようと思いましたか?
  • 「何があっても大丈夫」と、10回自分に宣言してみましょう。何か気持ちに変化が起こりますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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