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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

陰の功労者

使徒の働き9章10節〜31節

(2018年9月30日)

参考資料

18節は、「目からうろこ」ということわざの元になりました。

23節の「かなりの日数がたち」は3年以上です。ガラテヤ1:15-18によると、サウロ(パウロ)は回心後しばらくダマスコで伝道した後、アラビアに退き、またダマスコに戻ってきました。アラビアでは、神さまから様々な真理を啓示されましたが、それを体系的にまとめていたものと思われます。ダマスコに再び戻ってから3年後、今回の記事にあるようにダマスコを脱出し、エルサレムに向かい、そこで15日間過ごしました。

30節の「タルソ」は、小アジア南部(キリキヤ州)にある都市で、サウロの故郷。

イントロダクション

神さまは、ご自分のみこころを実現なさるのに、時に奇跡さえ行なうことがおできになります。そのような神さまのお働きに参加することができるなら、それは私たちにとって、充実した、わくわくするような、素晴らしい体験ですね。

今回は、2人の人物、アナニアとバルナバに注目します。彼らがどのようにして、神さまの素晴らしいお働きに参加したのかを学ばせていただきましょう。

1.アナニアとバルナバ

アナニアの働き

前回、教会を迫害していたサウロ(後の使徒パウロ。以下、混乱を避けるため、パウロと呼びます)が、イエスさまの栄光の光に打たれて目が見えなくなり、「どうしてわたしを迫害するのか」というイエスさまの声を聞いた場面を読みました。ダマスコのユダという人の家に担ぎ込まれたパウロは、3日間断食して祈りながら、自分の身に起こった出来事について思い巡らしていました。

すると、アナニアというクリスチャンに、イエスさまが幻を通して語りかけました。イエスさまは彼にパウロの元を訪ねなさいと命じました。そして、パウロも幻を見て、イエスさまによって、アナニアという人が自分の元を訪れ、手を置いて目が見えるようにしてくれるということを知ったとおっしゃいました。これは要するに、アナニアに対して、パウロの所に行って彼をいやしてこいという命令です。
躊躇したアナニア
最初、アナニアはその命令を素直に聞くことができませんでした。アナニアはエルサレムからダマスコに逃げてきたクリスチャンではなく、元々ダマスコに住んでいて、エルサレムから逃げてきたクリスチャンの伝道によって救われた人ですが、パウロの悪名は他のクリスチャンから聞かされてよく知っていました(13-14節)。パウロは、エルサレムで多くの主にある兄弟姉妹を逮捕し、殺害してきたし、今回ダマスコまでやってきたのも、ダマスコでも同じことを行なおうとしてのことです。

アナニアが躊躇した理由は、大きく2つ考えられます。
  1. そんな危険人物のところに行けば、自分も逮捕されてひどい目に遭うかも知れないという恐れ
  2. 愛するイエスさまや仲間たちをあんなにも苦しめてきた敵をいやすことなんかしたくないという、感情的な抵抗(すなわち恨み)
です。アナニアが感じた恐れと恨み、それは私たちにもよく分りますね。
従ったアナニア
しかし、イエスさまはアナニアにおっしゃいました。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示します」(15-16節)。

この言葉によって、イエスさまは、アナニアが逮捕されることはないと保証してくださっただけではなく、アナニアがこれからしようとしていることは、全世界にイエスさまの福音を宣べ伝える大伝道者を生み出すことなのだだということを示してくださいました。「彼がわたしの名のためにどんなに苦しまなければならないか」というのは、パウロがこれまでの悪行の罰を受けるという意味ではなく、パウロ自身が迫害の恐ろしさを身をもって知っているにもかかわらず(自分が行なっていたのですから)、それに負けずに伝道の働きを進めていく、そんな忠実な神さまのしもべとなるのだという預言です。

この言葉に奮い立ったアナニアは、イエスさまの命令通りパウロの元を訪れ、彼をいやし、イエスさまによって救われたことのしるしであるバプテスマ(洗礼)を授けました。
後にパウロは、この時の出来事を振り返っています。

「すると、律法に従う敬虔な人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人たちに評判の良い、アナニアという人が、私のところに来て、そばに立ち、『兄弟サウロ、再び見えるようになりなさい』と言いました。するとそのとき、私はその人が見えるようになりました。彼はこう言いました。『私たちの父祖の神は、あなたをお選びになりました。あなたがみこころを知り、義なる方を見、その方の口から御声を聞くようになるためです。あなたはその方のために、すべての人に対して、見聞きしたことを証しする証人となるのです。さあ、何をためらっているのですか。立ちなさい。その方の名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい』」(22:12-16)。

なんと力強いアナニアの態度でしょうか。そこにはもう、恐れや恨みにとらわれている姿は見られません。

バルナバの働き

もう一人はバルナバです。

パウロはダマスコで命を狙われ、エルサレムにやってきました。しかし、エルサレムのクリスチャンたちは、彼がイエスさまを信じて救われただけでなく、ダマスコでイエスさまを証ししていたという事実を知りませんでした。ですから、自分たちをだまして逮捕するつもりだろうと警戒して受け入れてくれません。すると、バルナバがパウロの身柄を引き受け、保証人となってくれました。
バルナバが、ダマスコでの出来事を事前に知っていたのかどうかは分りません。もし知らなかったとしたら、バルナバの行為は大変勇気あるものだったと言えます。どちらにしても、バルナバはパウロと直接面談して話を聞き、彼の回心が本物であることを確信しました。
その後のバルナバ
後にバルナバは、アンティオキア(アンテオケ)に遣わされます。たくさんの異邦人が救われていたためです。しかし、実際に行ってみると、予想以上に多くの人々が救われていたため、彼らへの教育は自分一人の手には負えないと判断し、タルソに戻っていたパウロを探し出し、牧会・伝道を手伝ってくれるよう依頼します。その後、二人は、アンティオキアを拠点として、飢饉の際にエルサレムに支援物資を届けたり、小アジア(今のトルコ)を巡る伝道旅行に出かけたりします。

ところが、2回目の伝道旅行の直前、パウロとバルナバは激しく対立し、それぞれ別の場所に向かうことになってしまいました。実は、1回目の伝道旅行のとき、バルナバのいとこであるマルコが同行しました。ところが、マルコは途中でエルサレムに帰ってしまいました。どうやらマルコは臆病な性格だったようです(イエスさまが逮捕された時、マルコは捕り方の一人に服をつかまれたため、服を脱ぎ捨てて裸で逃げたと言われています。マルコ14:51-52)。

バルナバは、2回目の旅行にマルコを同行させたいと主張しましたが、パウロは途中で大切な奉仕を投げ出したような奴は連れて行けないと言います。それが元でパウロとバルナバの間に対立が生じてしまったのです。結局、バルナバはパウロに同行せず、マルコを連れてキプロス島で伝道することにしました。

この対立とその後の出来事については、15章に行ったときに詳しく学びますが、今回注目したいポイントは、エルサレム教会に受け入れられないパウロの保証人になったことといい、失敗したマルコにまたチャンスを与えたことといい、バルナバは「人は変わることができる」ということを強く信じていた人だったということです。

バルナバの本名はヨセフで、バルナバというのはおそらくあだ名です。「慰めの子」という意味があります(4:36)。彼はその名の通り人の可能性を信じることで、失敗したり壁にぶつかったりしている人に慰めを与えました。

私たちの働き

アナニアもバルナバも、パウロほど有名ではありませんし、世界の歴史を変えるほどの働きをしたわけでもありません。しかし、彼らがいなければ、パウロの働きはここまで広がっていたかどうか分りません。いわば、陰の功労者です。

私たちはパウロのような大きな働きはできないかも知れませんが、アナニアやバルナバのようなやり方で、神さまの素晴らしいみわざの実現に参加することができます。そのためには、どんなことを心がければよいのでしょうか。

2.神の器となるために

聞いて行なう

神さまの偉大な働きに参加するためには、神さまの声に耳を傾け、それに忠実に従うことが必要です。アナニアは、迫害者だったパウロの所に行って祈れと言われたとき、最初感情的には抵抗を感じましたが、最終的にその指示に従いました。その結果、大伝道者パウロが誕生し、アナニアは間接的にたくさんの人を救いに導くことになりました。

たとえその命令が、人間的に見ればどんなに些細でつまらないものに見えたとしても、神さまがおっしゃることならば、心を込めて一生懸命に取り組みましょう。そうすれば、必ず神さまは素晴らしい実を結ばせてくださいます。

ハワイで裁判官を務める男性がいました。ワイキキを一望できるオフィスには、シャワールームやベッドまで完備され、さながら高級ホテルのようでした。しかし、イエスさまを信じたこの男性は、この素晴らしい救いを他の人に伝える仕事がしたいと願うようになり、裁判官の仕事を辞めることにしました。

教会のスタッフとして働き始めたとき、最初に与えられた任務は「バスルーム・ミニストリー」。その教会には(中通りコミュニティ・チャーチと同じで)会堂がなく、土日にかけて5回開かれる礼拝式は、高校の体育館を借りて行なわれます。そのトイレをきれいに掃除するというのが、この男性に与えられた任務でした。

裁判官を務めていた自分が、イエスさまによる救いを人に伝えたくて教会で働き始めたのに、よりにもよってトイレ掃除? しかし、イエスさまは忠実なしもべについてのたとえ話の中で、こうおっしゃっています。「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう」(マタイ25:21)。

また、牧師もメッセージの中で、「神さまへの奉仕で最も大切なのは、喜んで仕えるしもべの心だ」と折に触れて語っています。

そこで、この男性は心を込めてトイレ掃除に取り組みました。何ヶ月も、何年も、便器をピカピカに磨き続けたのです。すると、喜びにあふれてトイレを掃除するその男性を見た人たちが「この人の中にイエスさまが見える」と評するようになりました。そして、忠実に仕える姿勢が牧師や教会員たちから認められ、副牧師に抜擢されることになりました。

私たちも、神さまが聖書や祈りを通して、「これをしておくれ」と語りかけてこられる声を、心の耳を澄ましてキャッチし、それを、心を込めて実践しましょう。

赦しを実践する

では、神さまは、私たちが特にどんなことを実践するよう願っていらっしゃるのでしょうか。聖書は、最も大切なものは愛だと教えています。「たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです」(第1コリント13:2)。

私たちの行動は、愛を動機としているでしょうか。それをいつも心にとめておきましょう。それが、神さまのお働きを地上で行なう上で大切なことです。なぜなら、神さまのお働きは、神さまの愛の表れだからです。

そして、私たちのモデルであるイエスさまは、特に愛を赦しという形で表現なさいました。イエスさまが十字架にかかり、死んで葬られ、3日目に復活なさったのは、私たちの身代わりに罪の罰を受け、私たちの罪が赦され、神さまの子どもとされ、永遠に続く祝福をいただけるようになるためです。

アナニアは、敵であったパウロを赦し、彼のためにいやしの祈りをしました。私たちもまた、気に入らない人、たとえば敵だと思う人や嫉妬の対象である人に対しても、神さまが望まれる親切を示しましょう。その時、何か素晴らしいことが起こります。たとえ目に見える何かが起こらなかったとしても、少なくとも私たちの心は憎しみや嫉妬から解放され、平安や喜びが満ちあふれます。

カリフォルニアの教会を、元日本軍パイロットが訪問することになりました。彼は、神風特攻隊の一員でしたが、出撃直前に終戦となり、一命を取り留めたのでした。その後、彼は感動的な方法でキリストの元へと導かれました。その体験談(証し)を次の礼拝で話してくれることになったのです。

さて、次週この証しのゲストが礼拝に参加することを知った一人の老婦人が、牧師に電話をかけてきました。「申し訳ないけれども、来週の日曜日は礼拝をお休みさせてください」。実は、このおばあさんは、太平洋戦争で水兵だった息子を特攻隊の攻撃によって失ったのでした。そのことを知っている牧師は、無理に出席を勧めることをせず、電話を切りました。

次の日曜日の礼拝は感動的な集会となりました。人々は、このパイロットの驚くべき体験を聞き、イエスさまへの愛と感謝を新たにしました。

しかし、礼拝が終わったとき、会堂の後ろから、あのおばあさんが飛び込んできました。そして、元パイロットの前に立ちふさがると、こう言い放ちます。「私の息子は、カミカゼに殺されました」。一同は息を飲みました。

おばあさんは、さらに続けて言いました。「でも、神さまはあなたの罪を赦しておられます。そして、今日、神さまは私の罪、憎しみを捨てられなかった私の罪をも赦してくださいました」。そして、おばあさんは、元パイロットをしっかりと抱きしめ、激しく泣き始めました。

感動的な元日本兵の証しでした。しかし、この出来事は、さらに人々を感動させ、人を赦し、憎しみを愛に変えてくださるイエスさまをほめたたえさせたのです。

「私はあの人を赦します。そして、あなたが望まれる親切を示します」。そう祈りましょう。しかし、人の力ではなく、聖霊さまがそれを実行する勇気や知恵を与えてくださるよう祈り求めましょう。

可能性を信じる

そして、愛は、相手の可能性を信じるという形で表現されます。もちろん、この世には悪の力が存在しますし、人をだまそうとする人たちもたくさんいます。ですから、「羊のように素直」なだけではなく、「蛇のように賢く」もなければなりません(マタイ10:16)。

しかし、それでも人は変わることができるということを、いつでも信じ続けていましょう。なぜなら、私もあなたもイエスさまと出会って変わることができましたし、今も変わり続けているのですから。

「可能性を信じる人にしか可能性はない」と、元プロ野球投手の桑田真澄さんがおっしゃいました。それは、自分の可能性だけでなく、他人の可能性についても同じです。

この話をお読みください

まとめ

アナニアやバルナバのように、神さまに与えられた任務を忠実に行なうことで、神さまの素晴らしい働きに参加できる特権をいただきましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 「これは神さまのお働きだ」と実感できるような出来事に、最近遭遇しましたか?
  • 最近、神さまが祈りや聖書を通して語られた「これをして欲しい」という命令は、どんなものでしたか? それに素直に従えましたか? 従えなかったとしたら、それはどうしてですか? 従ったにしても従えなかったにしても、その結果はどうでしたか?
  • 気に入らない人に対して、愛の行動を取るよう神さまに促された経験が最近ありますか? 具体的に何をするように促されましたか?
  • 自分や他の人の中に、変化・成長する可能性を認めるというのは、具体的に自分やその人に対してどういう態度を取ることでしょうか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

連絡先

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福島県須賀川市森宿辰根沢74-5

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