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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

多くの苦しみを経て

使徒の働き14章19節~28節

(2018年10月28日)

参考資料

今回の箇所は、パウロの第一回伝道旅行の帰路を描いています。

21節の「この町」はデルベ。同じく21節の「アンティオキア」はパウロとバルナバを宣教師として派遣したシリア地方のアンティオキアではなく、小アジア(今のトルコ)のピシディア地方のアンティオキア。

イントロダクション

今日は、年に一度の召天者記念礼拝です。私たちは6年前にW姉を天に送りました。今、W姉は天のパラダイスにいらっしゃいます。そこは、世の終わりに実現する神の国に入るまでの待合室のような所ですが、イエスさまがともにいてくださり、地上での様々な苦労を補ってあまりある平安、慰め、喜びが満ちています。

しかし、この地上には、様々な苦労、苦しみがありますね。パウロとバルナバも、救われたばかりの小アジアのクリスチャンたちに対して、「私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない」(22節)と言いました。

一体、どんな苦しみを味わわなければならないのでしょうか。どうしてそのようなことが起こるのでしょうか。そして、どんなふうに対処したらいいのでしょうか。

1.どんな苦しみなのか

一般的な苦しみ

まずは、人間として味わう苦しみです。私たち人間は、病気にかかったり、事故に遭って怪我をしたりして苦しむことがあります。経済的に困窮したり、仕事に行き詰まったり、人間関係でトラブルになったりすることもあります。国によっては、国家権力から弾圧される人たちもいます。また、年齢を重ねれば、若いときにできたことができなくなっていきます。それもまた苦しいことです。

これらの苦しみは、イエスさまが再臨して世界の王となり、理想的な王国である神の国が実現するまでは地上に存在し続けますし、クリスチャンであってもそれらの苦しみを完全に避けることはできません。

迫害

また、クリスチャンだからこそ味わう苦しみも存在します。今回の箇所の冒頭で、パウロは石を投げられて死にかけています。それは、イエスさまを救い主だと信じようとしない人々、特にユダヤ人たちからの迫害でした。今回だけではありません。第一回伝道旅行の間、行く先々でパウロとバルナバは迫害を受けてきました。
日本では、宗教的自由が憲法で保障されています。それでも、クリスチャンとして誠実に生きようとすると、それを邪魔されたり、馬鹿にされたりすることがありますし、ときには様々な攻撃を受けて、肉体的、精神的、社会的な痛みを負わされたりもします。

自己嫌悪

テレビや雑誌を眺めていると、定期的にダイエット特集が組まれています。特に人気なのが、これを食べるだけで痩せるという情報。そうすると、次の日には、スーパーからその食材が消えてしまいます。

なぜ定期的にこのような特集が組まれるかといえば、みんな痩せたいのにうまくいかないからです。本来ダイエットというのは、1回限りのことではなく、ずっと継続していかなければならないものです。たとえば、ウォーキングには脂肪燃焼効果がありますが、歩くのをやめてしまったら前のように太ってしまいます。

ところが、この継続するというのが大変なのです。だから、途中で挫折してしまいがち。そこで、お手軽に「これを食べるだけで痩せられる」というような、中途半端な情報に踊らされるんですね。

神さまのみこころにかなう生き方をするのも同じです。神さまが喜ばれる生き方を始めることは、あるいはそれほど難しくないかも知れません。特に、神さまに愛されている喜び、救われた感動に満たされているときはなおさらです。しかし、人間の感情は、時間の経過と共に醒めていきます。たとえ感情が醒めても、「しかし、これは私がなすべきことだ」と、自分を奮い立たせ続けるというのは、とても大変なことです。

しかも、私たちの罪は、今はまだ赦されただけであって、罪の性質そのものが取り除かれるのは天国に行ってからです。ですから、私たちはいつの間にか神さまに逆らうようなことを考えたり、行なったりしてしまいます。様々な失敗や挫折を経験します。

その結果、自分自身がいかに邪悪な存在なのか、あるいはいかに価値のない存在なのか、いかに無能な存在なのか……と、自分を責める思いにさいなまれることがあります。これもまた、神の国に入るまでに味わわなければならない苦しみです。

2.なぜ苦しまねばならないのか

サタンの目的

私たちの人生に問題を投げ込み、私たちを苦しめるのはサタン(悪魔)の仕業です。サタンが問題を投げ込んで私たちを苦しめるのは、それによって私たちを神さまから引き離すためです。

私たちは、神さまは私たちの幸せを願い、計画していらっしゃると信じています。ところが、そうは思えないような問題が人生の中に起こることがあります。すると、私たちは、本当に神さまは私を愛し、私の幸せを願っておられるのだろうかと心配になりますね。

私たちは、神さまがいやしなどの奇跡を行なう、全能者だと信じていますね。ところが、いくら祈っても病気がいやされないと、本当に神さまには全能の力があるのかと疑ってしまうかも知れません。

私たちは、神さまがすべてをご存じであり、また私たちの祈りを聴いてくださる方だと信じていますね。ところが、祈っても祈っても、苦しい状況が変わらないと、本当に神さまは私たちの問題を知っておられるのかと思いますね。

私たちは神さまが公正な方だと信じています。しかし、正直者が馬鹿を見て、悪人がのさばっている状況を見ると(しかも、そのために自分自身が苦しい思いをしたりすると)、本当に神さまは公正な方なんだろうかと、疑いたくなりますね。

預言者でさえ、ときにはこんなふうに神さまに抗議しました。「あなたの目は、悪を見るにはあまりにきよくて、苦悩を見つめることができないのでしょう。なぜ、裏切り者を眺めて、黙っておられるのですか。悪しき者が自分より正しい者を吞み込もうとしているときに」(ハバクク1:13)。

正しいことを行なっているはずなのに、そのために苦しい目に遭ったり、ひどい状況に陥ったり、失敗して罪責感にさいなまれるようなことが起こったりすることによって、私たちは神さまのご性質、たとえば愛や誠実さや知恵や力を疑いたくなってきます。あるいは、神さまのことを考えることさえ嫌になってきます。それがサタンの目的なのです。

神の目的

では、全知全能で、私たちを愛しておられる誠実な神さまが、そんなひどい目的を持っているサタンの活動を黙認しておられるのはなぜでしょうか。それは、神さまもまた、私たちを襲ってくる様々な苦しみを、ご自分の目的実現のために利用できると考えておられるからです。

神さまの目的、それは、私たちが神さまとさらに密接につながり、神さまがくださる、考えられないような素晴らしい人生を味わうことです。そのために、サタンがもたらす苦しみを利用なさるのです。

サタンは、苦しみを使って、私たちが神さまについて信じていることが嘘っぱちだと思わせようとします。ということは、もしもこのサタンの攻撃を乗り切ることができれば、その分だけ私たちは、神さまのことを信頼することができるようになるということです。

たとえ自分には実感できるような証拠が無くても、それでも神さまが全知全能であるとか、この自分を愛しておられるとか、奇跡を行なってでも私たちを幸せへと導いてくださるというようなことを信じることができるのです。

そして、何があっても大丈夫と思えるようになります。そんな平安に満ちた態度は、苦しみの中で恐れ惑っている他の人たちにとって、大きな慰めとなるでしょう。

また、苦しみを味わった人は、他の苦しみに遭っている人に対して、その苦しみをより深く共感することができるようになります。謙遜にさせられ、悩んでいる人を上から目線で指導するのではなく、共に人生の苦しみと闘っている戦友として、相手を慰めたり、励ましたりすることができます。

こうして、神さまや他の人との関係が、苦しみを通して親密になっていくと、神さまはより大きな働きをあなたにゆだねるようになります。今までは、10キロしかもてなかった人が、筋トレという苦しい時間を経ることによって、より重い荷物が持てるようになります。神さまは、苦しみを通り抜けたあなたに、よりワクワクするような、新しい人生をお与えくださることでしょう。

この話を読みましょう

サタンにとっては諸刃の剣

問題がやってきて私たちが苦しい思いをすると、一方的にサタンの言いようにされているような気がしますね。しかし、サタンが私たちを苦しめるというのは、サタンの立場に立てば、ものすごく危うい諸刃の剣なのです。

C・S・ルイスの「悪魔の手紙」という本の中には、下っ端悪魔が、不用意にクリスチャンに苦しみ(たとえば、当時行なわれていた第二次世界大戦下で感じるいろいろな不安)を与えたために、彼のいい加減な信仰が覚醒して、神さまにより寄り頼むようになったという出来事が記されています。

同様に、苦しみを味わったことによって、私たちは自分の弱さを自覚して、傲慢が打ち砕かれ、謙遜に磨きがかかるかも知れません。そして、ますます神さまへの信頼を深めるかも知れません。

あるいは、聖書の主張する神さま像と、自分のイメージしている神さま像とのギャップに気づき、聖書的な神さま像に修正するようになるかも知れません。たとえば、怖くていつも監視している神さま像から、気前よく赦し、受け入れ、愛してしてくださる神さま像へと……。

苦しみがやってきたときには、これはサタンが神さまと私たちを引き離そうと狙っているのだということに気づきましょう。そして、神さまは私たちを今よりもさらに素晴らしい人生へと導こうとしておられるのだということにも気づき、自分にそれを言い聞かせ、神さまに感謝しましょう。

3.苦しみにどう対処すればいいのか

信仰にしっかりとどまる

パウロとバルナバは、小アジアのクリスチャンたちにそう勧めました。この「信仰」とは、イエスさまに対する信頼のことです。

イエスさまが、私たちが救われるために必要な条件を全部代わりにクリアしてくださいました。私たちを導き、永遠の幸せへとお連れくださいます。あらゆるサタンの攻撃からも、私たちを守ってくださり、最終的に勝利させてくださいます。

結局のところ、私たちに求められているのは、イエスさまに対する信頼なのです。サタンは、苦しみを遣って、イエスさまへの信頼を失わせようとします。

だからこそ、苦しみに遭遇したときには、私たちの「イエスさま像」が試されているのだと言うことを自覚しましょう。あなたは今、苦しみを経験していますか? その苦しみの中で、神さま・イエスさま・聖霊さまに対する聖書的な信頼が揺らいではいませんか? それはどんな「揺らぎ」ですか?

苦しみにあったときには、自分の心を探ってください。この苦しみによって、自分は神さまについてどんな疑いを持つようになっただろうか、と。そして、その疑わしい神さまのご性質を、あえて「信じます」と宣言しましょう。なぜならば、サタンの目的は、その神さまの性質をあなたに信じ無くさせることだからです。だから、かえって、意識してその神さまのご性質を信じ、受け入れる必要があるのです。
あなたはわたしを誰だと言うか
イエスさまは、ある時弟子たちにそう尋ねました。「他の人たちはいろいろと言っていますが、私たちは、あなたが神の子キリストだと信じています」と、弟子の代表格であるペテロが言いました(マタイ16:16)。

この質問は、今の私たちにも投げかけられています。イエスさまはあなたに質問なさっています。「あなたは、わたしを誰だと言うのか?」と。
  • 全知全能の、奇跡の神だと言いますか? それとも力のない、人間に毛が生えた程度の教師だと言いますか?
  • あなたを命がけで愛している神だと言いますか? それとも、あなたのことなんてこれっぽっちも気にかけていない方だと言いますか?
  • 無条件で愛し、祝福してくださる方だと言いますか? それとも、祝福するためには、お金なり、労力なり、良い行ないなりの、見返りを要求するビジネスライクな方だと言いますか?
苦しいときほど、聖書をよく調べ、神さまがどういうお方だったのかを思い出しましょう。それを自分自身に向かって語り、そういう神さま、イエスさま、聖霊さまに信頼しつづけるよう、自分を励ましましょう。

教会で励まし合い、支え合う

そして、あなたはその作業を、たった一人でする必要はありません。あなたには、教会の一人一人がついています。

パウロやバルナバは、新しく誕生したばかりのクリスチャンを、バラバラに放置したのではありません。長老を選び、彼らを中心に「教会」を組織したのです。それは、クリスチャンたちが、個々人に苦しみや、それをもたらすサタンと戦うのではなく、教会というグループで、互いに力を合わせて戦えるためです。

苦しみにあったとき、あなたの教会の人たちにそれを告げ、祈ってもらってください。また、他の人の苦しみのためにも祈りましょう。その苦しみが取り除かれるように。

また、それだけでなく、その苦しみを通ったことによって、その人が(あるいはあなたが)、今よりももっともっと神さまと親密になり、どんな状況の中でも大丈夫でいられるようになり、それによって他の人たちを慰め、励ませるようになり、そうして、今よりももっともっとワクワクするような人生を送ることができるようになるように。

まとめ

苦しみに遭うとき、神さまが私たちを愛してくださり、幸せへと導いておられるのだということを思い出し、感謝しましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • あなたが今経験している苦しみは、どんなものですか?
  • その苦しみを味わわせることで、サタンはあなたをどのような方向に導こうとしているのだと思いますか?
  • 一方、神さまは、その苦しみを通して、あなたをどのような方向に導こうとなさっておられると思いますか?
  • あとから振り返って、「あの苦みは、益だった」と言えるような結果になった経験がありますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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