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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

私の判断では

使徒の働き15章13節〜21節

(2018年11月4日)

参考資料

この出来事が起こったのは、紀元49年のことです。イエスさまの十字架や教会の誕生が紀元30年ですから、それから19年後のことです。

13節の「ヤコブ」は、イエスさまの実弟(ヨセフとマリアの間に生まれた子)で、ヤコブの手紙の著者です。最初はイエスさまを救い主だとは信じていませんでしたが、イエスさまの復活後に信じるようになり、この頃にはエルサレム教会の指導者の一人になっていました。

14節の「シメオン」は、使徒ペテロのことです。彼の本名はシモンですが、これはシメオンのギリシャ語的発音です。

16節は、アモス9:11-12の引用です。17節の「残りの者」とは、ユダヤ人の中で、まことの信仰を持っている真の信者のことを指します。

21節の「安息日」は、金曜日の日没後から土曜日の日没まで。モーセの律法では、この日は仕事を休んで休息することが定められていました。バビロン捕囚で神殿が破壊されてからは、町ごとに組織された会堂(シナゴーグ)に集まって礼拝したり、律法について学んだりする日になりました。

イントロダクション

後にエルサレム会議と呼ばれるようになる会議で、イエスさまの弟ヤコブが最後に発言し、それによって最終的な決着を見ました。ヤコブは「私の判断では」と語っています。私たちが物事(特に神さまに関すること)を判断するとき、どんな基準で判断したらいいのでしょうか。ヤコブの判断材料を参考にしましょう。

1.エルサレム会議

背景

1-2節に、会議が開かれるようになった背景が描かれています。「さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに『モーセの慣習にしたがって割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と教えていた。それで、パウロやバルナバと彼らの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバ、そのほかの何人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった」。

すなわち、会議が開かれたのは、人は福音を信じるだけで救われるのか、それともそれに加えてモーセの律法を守る必要があるのかという、救いの条件について確認するためです。

なお、割礼とは、ユダヤ人の男の子が生まれた際、生後8日目に男性器の包皮を切り取る儀式で、その子が神さまと契約を結んだ民、ユダヤ人であるというしるしです。

当時のクリスチャンたちは、自分たちがユダヤ教からキリスト教に改宗したとは思っていません。先祖伝来のユダヤ教が教えてきた救い主を、自分たちはついに発見して従うようになった、すなわち自分たちは真のユダヤ教徒だというアイデンティティです。

ユダヤ教では、モーセの律法によってユダヤ人と異邦人を明確に区別していました。異邦人が聖書の神さまとの交わりを得て、霊的な祝福をいただくためには、ユダヤ人と同じように割礼を受け、モーセの律法を守る誓約をして、ユダヤ教に改宗する必要がありました。そして、改宗者はユダヤ人と見なされるようになりました。

ですから、一部の教師は、異邦人が救われるためには割礼を受け、モーセの律法を守る必要があるのだと主張していたわけです。

一方パウロたちは、福音を信じるだけで人は救われ、それ以外の条件は必要ないという立場です。ちなみに福音とは、「私の罪を赦すためにイエス・キリストは十字架にかかり、死んで葬られたけれども、3日目に復活した」という内容です(第1コリント15:1-8参照)。

議論と証し

エルサレムでは白熱した議論が続きました。するとペテロが立ち上がって、語り始めました(7-11節)。彼は、異邦人コルネリウスと家族・知人たちを救いに導いた際の出来事を振り返りました(10章)。コルネリウスはローマ軍の百人隊長ですからローマ人であり、異邦人です。しかも、改宗者ではありませんから、割礼を受けておらず、モーセの律法を守った生活も送ってはいませんでした。にもかかわらず、イエス・キリストを信じたときに聖霊が下り、異言を語ったり賛美したりし始めました。

このことは、割礼を受けず、モーセの律法を守っていなくても、福音を信じただけで異邦人が救われる証拠だとペテロは主張しているのです。

そしてペテロは人々に訴えます。「なぜ今あなたがたは、私たちの先祖たちも私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みるのですか」(10節)。

また、パウロやバルナバも、アンティオキア教会や伝道旅行で異邦人たちが救われていく中で、神さまが様々な奇跡を見せてくださったということを証言しました(12節)。これもまた、異邦人が割礼を受けたりモーセの律法を守ったりしなくても、神さまによって受け入れられ、救われている証拠だということです。

ヤコブによるまとめ

最後にヤコブが議論をまとめました。まずヤコブはアモス9:11-12の言葉を引用しました。「その後、わたしは倒れているダビデの仮庵を再び建て直す。その廃墟を建て直し、それを堅く立てる。それは、人々のうちの残りの者とわたしの名で呼ばれるすべての異邦人が、主を求めるようになるためだ。──昔から知らされていたこと、それを行う主のことば」(16-18節)。

アモスは、イスラエルの国はやがて滅びることと、ダビデの子孫として誕生する救い主によって、世の終わりの時代に神の国として再建されるということを預言しました。

そして、世の終わりの時代、ユダヤ人が救い主であるイエスさまを求めて救われるとき、異邦人も同じように救い主を求めて救われると聖書は教えているではないかと、ここでヤコブは指摘しています。ユダヤ人が福音を信じるだけで救われるのなら、異邦人も同じであり、それ以上の条件を付け加えてはならないという主張です。
ユダヤ人への配慮の要請
ただし、ユダヤ人信者のためにいくつかのことを避けるよう、異邦人信者にお願いしようとヤコブは提案します。その避けて欲しいこととは、「偶像に供えて汚れたものと、淫らな行いと、絞め殺したものと、血」(20節)です。

淫らな行ないは別として、偶像にささげたものや絞め殺したものや血を食べても、本当は差し支えありません。「彼らは結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人々が感謝して受けるように、神が造られたものです。神が造られたものはすべて良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべきものは何もありません」(第1テモテ4:3-4)。

しかし、偶像にささげたものや絞め殺したものや血は、モーセの律法を守ってきたユダヤ人が伝統的に忌み嫌ってきたものです。ですから、異邦人クリスチャンがユダヤ人の前でそのような行ないをしていると、イエスさまや教会に対して怖気がするほどの嫌悪感を抱かせ、信仰から遠ざけてしまう恐れがあります。ですから、配慮して欲しいというわけです。
結果
ヤコブの提案は皆に受け入れられ、アンティオキアや、第一回伝道旅行で誕生した小アジア(今のトルコ)の諸教会にもその内容が伝達されました。

重要なのは、福音を信じるだけで救われるという教えは、この会議で決められたわけではないということです。そのことは最初から神さまが教えておられたことです。この会議はそのことを改めて明確にしたに過ぎません。

こうして、今に至るまで、正統的キリスト教会では、救いの条件は福音を信じることだけだと主張しています。あなたも、イエス・キリストの恵みの福音を信じるだけで、罪を赦され、神さまの子どもとなり、神の国の市民とされ、永遠に続く祝福をいただく身分とされました。

では、会議のまとめを行なったヤコブは、どのような基準で神さまのみこころを判断したのでしょうか。

2.判断基準

実際に起こっていること

ヤコブは、まずペテロやパウロたちが実際に目撃したこと、すなわち客観的な事実を基準に判断しました。

私たちは、けっこう自分勝手な思い込みで、自分自身や、他の人や、世界や、神さまのことを考えてしまうものです。しかし、その考えは、本当に事実に即しているでしょうか。

あるOLさんが、発熱のため会社を休むことにしました。電話をすると、課長が早出していて、「そうか。2、3日ゆっくり休んで、しっかり治してから出ておいで」と言ってくれました。ところが、落ち込んだのです。「期待されていないんだ」と。

「じゃあ、『この忙しいときに、37度台で休む奴があるか。君にしかできない仕事もあるんだから、這ってでも出てきてくれ』と言われたら、嬉しいですか?」とカウンセラーに尋ねられると、彼女はこう答えました。「いいえ。課長は私を会社の歯車くらいにしか考えてないんだと、落ち込むと思います。

このOLさんの中には、「自分は大切にされない、いらない存在だ」という思い込みがあるんですね。だから、世界がそんなふうに見えてしまう。

でも、実は、これまでに何度も課長から、「君には本当に期待しているんだ」と言ってもらっていました。お付き合いをしている彼からも、会うたびに「君のことを大切に思っている」と言ってもらっています。こういう事実に目を留めていくことで、自分の思い込みに気づき、修正していく必要があります。

あなたは、事実に反する思い込みをしていませんか?

聖書

ペテロやパウロたちが、自分たちが目撃したことを証言した後、ヤコブは聖書の言葉を引用して、異邦人も福音を信じるだけで救われることを確認しました。

私たちが判断を下すときも、周りで何が起こっているかも大事だし、常識も、個人的な好みも、過去の経験も、人の意見も、伝統も習慣も大事です。しかし、私たちの判断は、最終的には聖書のフィルターを通し、聖書によってチェックされなければなりません。

宗教改革者ルターは、当時の教会の伝統に反することを主張したために、批判を浴びました。そして彼は、批判者たちに対して、「聖書によって私の誤りを示してくれ。私が『これは神のみこころだ』と信じていることは、神のみことば自身によって誤りだと示されるのでない限り、曲げることはできない」と答えました。

私たちも、神のみことばである聖書の教えを、最終的に優先させる態度を身につけましょう。

聖書の教えを優先させるためには、聖書の言葉を知らないといけませんね。ですから、折に触れて聖書を読みましょう。
通読の勧め
読みやすいところだけをつまみ食い式に読むのもいいですが、一度、創世記から黙示録までを通して読んでみてください(通読といいます)。1日1章ずつ読めば、約3年で読み通すことができます。旧約3章と新約1章ずつなら約1年です。やり遂げると、きっと新しい発見をなさいますよ。

聖書を読むとき、感動したり、心を揺さぶられるような体験をしたりすることがありますね。でも、無味乾燥で、何も感じないときもあるでしょう。それでも、読むのです。その時は何も感じなくても、ある日ある時、心の中に蓄えられていたみことばが、あなたに何かを教え、あなたを支え、励まし、導きます。あるいは、そうやって蓄えられたみことばの束が、心の中で有機的に結びついて、あなたに大切なメッセージを伝えてくれるのです。

ですから、聖書を読みましょう。特に、通読にチャレンジを!

そして、ヤコブは、いくつかのことを避けるよう異邦人信者に要請しました。それは、ユダヤ人たちをつまずかせてキリスト信仰から遠ざけないようにという配慮のためでした。

真理は大切です。ないがしろにしてはいけません。しかし、真理は人を傷つけることがあります。たとえば、「最近太ったね」……事実かも知れませんが、そんなことを言われたら、ムッとしますね。

「知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます」(第1コリント8:1)。この言葉は、偶像にささげた肉を食べていいかどうかという質問に、パウロが回答している箇所で語られた言葉です。

パウロは言います。偶像の神など本当は存在しないのだから、偶像にささげた肉自体が汚れているわけではない。だから、それを食べても問題ない。しかし、実際に食べるかどうかは、よく考えなさい。何でも食べていいという知識のない人が、平気で肉を食べているあなたを見て、「これはみこころに反している」と思いながら、自分だけ肉を食べないのも雰囲気が悪くなるので食べてしまったとする。そうしたら、その人は信仰に基づいた行動をしていないのだから、罪を犯したことになる。そんなことになる恐れがあるなら、その人の前で肉を食べてはいけない、と。

また、ローマ14章では、何でも食べていいと信じている人と、そうではない人とが批判し合ったり、どの日も同じだと信じている人と、特定の日にこだわる人とが互いに批判したりするのもいけないと教えています。

真理についての知識は大切ですが、使い方を誤ると、他の人に不利益を与える場合があります。それは注意が必要です。ですから、ヤコブは、「救いは行ないによらず、福音を信じる信仰によってのみ」という真理を主張しながら、同時にユダヤ人がつまずかないように配慮してくれと、異邦人クリスチャンに頼んだのです。
相手の益を考える
大切なことは「人を育てる」(別訳:人の徳を建てる)、すなわち相手の成長に役立つということです。

真理を語ることで、相手が傷つく場合もあるでしょうが、もしもそれが本当に相手の成長に役立つなら、あえてズバッと伝えることも必要でしょう。しかし、場合によっては、伝えないで、待つことが相手のためになることもありますし、伝え方をいろいろ工夫する必要がある場合もあるでしょう。

また、相手に対する親切も、考え無しに手助けしていると、かえって相手を依存的にさせてしまい、自立を邪魔する場合もあります。誰かのために何かをしてあげたいと思ったときは、「本当に相手のためになるのだろうか」という問いを発しましょう。

自分がどう思われるかを気にしなさいということではありません。自分を良く見せるためではなく、本当に相手のためになるかを考えるのです。

まとめ

真理を賢く発見し、それを愛を持って適応することによって、神さまの栄光を現し、また自分自身も祝福を味わいましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 自分の信念と、事実の間にずれがあると気づいたことが何かありませんか?
  • あなたが迷っていることについて、聖書はどのように語っていますか?
  • 常識や好みではなく、聖書の原則を優先させたことで、祝福された経験がありますか?
  • 相手の益を考えるという原則について学んで、何か気づいたことがありますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

連絡先

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