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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

あなたにとってのローマ市民権

使徒の働き16章35節〜40節

(2018年12月16日)

参考資料

37節の「ローマ市民」は、ローマ市民権を持った人のこと。ローマ帝国では、文字通りローマに住んでいる人だけでなく、一定の条件をクリアすれば解放奴隷や他民族にも市民権を与えました。ローマ市民には、ローマの官職の選挙権と被選挙権、裁判を受ける権利と控訴権、ローマ正規軍に入隊する権利、公認の結婚(生まれた子どもが自動的にローマ市民となる)をする権利などが与えられ、また人頭税や属州民税も課されませんし、十字架やむち打ちなどの残酷な刑罰も免除されていました。

40節の「リディア」は、ピリピで最初に救われた女性。家族も一緒に救われました。彼女はティアティラの商人で、ピリピには紫布の商売のために滞在していました。

イントロダクション

パウロやシラスと同じイエスさまのしもべとして、私たちが生きる上で大切な原則は何でしょうか。

1.長官への抗議

不当な刑罰

前回の復習をしましょう。
  • パウロたち一行はピリピにやってきました。そして、ティアティラから来ていた商人であるリディアとその家族が救われました。
  • それから、悪霊の力によって占いをしていた女奴隷から、悪霊を追い出しました。
  • ところが、女奴隷に占いをさせて儲けていた主人から憎まれ、町を騒がせた犯罪者として訴えられてしまいます。裁判を行なう町の長官は、取り調べもせずにパウロとシラスをむち打ち、牢に入れてしまいました。
  • パウロとシラスが獄中で賛美していると、地震が起こって、牢獄の扉がすべて開き、囚人たちをつないでいた鎖が解けてしまいました。
  • それがきっかけで、看守が救われました。看守は、パウロとシラスを自分の家に引き取りました。

ローマ市民権の効果

一夜明けて、長官はパウロたちを釈放するように命じました。懲らしめは十分だと判断したのでしょう。ところが、パウロたちから思わぬ反撃を食らいます。パウロとシラスが、自分たちはローマ市民権を持っていると言い、今回の扱いについて抗議してきたのです。

当時のローマ帝国は、地中海世界を支配しており、その領土には元々のローマ人だけでなく、征服された異民族が住んでいました。そして、異民族であっても、一定の条件を満たした人たちに対しては、元々のローマ人が持っていた様々な権利を認めていました(参考資料参照)。

ローマ市民に与えられていた権利の一つに、裁判を受ける権利があります。ローマ市民は、正式な裁判の結果、有罪判決を受けない限り、刑罰を受けることがありませんでした。ところが、ピリピの長官は、正式な裁判を開かずにパウロたちをむち打ちの刑に処し、一晩とは言え牢獄に閉じ込めてしまいました。しかも、たとえ裁判で有罪となっても、ローマ市民をむち打ちの刑に処することは禁止されています。ですから、もしこのことが本国にバレれば、長官自身が罰を受けなければならなくなります。

ローマ市民権の効果は絶大でした。尊大な長官も、さすがに青くなって牢獄に飛んできて、二人に謝罪をします。そして、ピリピを出て行くよう丁寧にお願いをしました。このまま二人をピリピにとどめておくと、また住民たちとトラブルになり、それが元で今回の不祥事が公になってしまうかも知れません。

長官の依頼を受けれたパウロたちは、リディアの家の教会を訪問し、彼らを励ましてからピリピを後にしました。

なぜ最初に市民権を行使しなかったのか

さて、ここで疑問が一つ残ります。それは、どうしてパウロたちは、釈放されるときになって、初めて「自分たちはローマ市民だ」と言ったのかということです。長官の前に引き出された時、あるいは刑罰を受ける前にそれを語っていれば、今回のようなひどい仕打ちを受けることはなかったでしょう。

考えられる理由の一つは、刑罰を受ける前はそんなことを言い出すチャンスがないくらい、一方的に荒々しい扱いを受けたからでしょう。

そして、後になってローマ市民権を持ち出したのは、自分たちの名誉を回復するためでも、ひどい長官に恥をかかせて復讐するためでもありません。最も効果的な復讐は、今回の仕打ちを本国に告発ことです。そうすれば、長官は処罰されることになります。

パウロたちが長官に謝罪を要求したのは、ピリピに残されるできたばかりの教会、リディア一家と看守一家のためでした。
教会への配慮
何もしないでパウロたちがピリピを離れると、残されたクリスチャンたちに対しても、理不尽な迫害が待っていることでしょう。また、パウロたちに親切な態度を示した看守は、その態度をとがめられて、罰を受けるかも知れません。

長官は今回のことが負い目となっていますから、教会や看守に対してあまり理不尽な態度は取れなくなります。もしそんなことをして、今回の不祥事を告発されたら、自分の首が飛んでしまいますから。

ところで、以前の聖書のメッセージで、使徒の働きの著者であるルカが、トロアスでパウロ一行に合流したという話をしました。その証拠は、それまで「彼ら」となっていた主語が、「私たち」に変更されたことです。ところが、次の17章に入ると「私たち」という言葉が登場しなくなります。ですから、パウロたちはルカはピリピに残し、できたばかりの教会、まだリディア一家と看守一家しかいない教会を指導させたのでしょう(なお、17:14にテモテが登場しますので、テモテは二人についていったことが分ります)。

こうして、パウロとシラスは教会のことを心から案じ、できうる限りの手を尽くしてから、ピリピを後にしたのでした。

では、ここから、パウロやシラスと同じイエスさまのしもべとして、私たちはどんな事を心がければ良いのかを考えてみましょう。

2.神のしもべとして

持っているものは何でも使う

パウロとシラスは、神さまの働きのために、自分の持っているものは全部利用しようと思っていました。今回は、ローマ市民権を持っていたので、教会を守るためにそれを利用しました。

パウロはもともとユダヤ教のパリサイ派の学者で、旧約聖書に関する神学的知識が豊富でしたから、その知識を使ってユダヤ人に伝道しましたし、新約聖書27巻のうち、少なくとも13巻を執筆しました(他にヘブル書の著者もパウロだという説があります)。

また、ユダヤ教の教師(ラビ)は、民衆に聖書を無償で教え、生活の糧はそれ以外の仕事で得ていました。ヨハネの福音書に出てくるパリサイ人ニコデモは、井戸掘りの仕事で大変儲けていたことが、当時の文献によって分っています。ラビであったパウロも、テント職人として糧を得ていました。そして、後にパウロがコリントを訪問した際、同じテント職人であるアクラとその妻プリスキラと仲良くなり、彼らを伝道チームに引き込むことに成功しています。

あなたにはローマ市民権も、ラビの資格も、テント作りのスキルもないかもしれません。しかし、あなたが持っているスキルや資格、あるいは経験があるはずです。

自分が持っていないものを数え上げれば、数限りなく挙げられます。しかし、持っているものに注目すれば、それもまた数限りなく挙げることができます。たとえば、私は、自分には強力なリーダーシップやカリスマ性は皆無だと思います。フランクに人とつき合う能力にも欠けていると自覚しています。

しかし、心理学に関する若干の知識や、四半世紀ほどカウンセリングに関わった乏しい経験、教育現場に関わった多少の経験があります。パソコンやインターネットに関するスキルもそれなりにあります。それらはもちろん大いに利用できる資源です。中通りコミュニティ・チャーチの初期のメンバーは、ほとんどがネット上のやり取りか、カウンセリングセミナーの働きを通して来られた方々です。

プラスの経験だけが私たちの資源ではありません。失敗もまた重要な資源の一つです。私に関しては、教会を一つ潰した経験は、思い出すほどに心が痛む経験ですが、同時に今の私の働きの根幹をなしている大切な資源でもあります。あの経験があったからこそ、私は、
  • 教会は牧師が一人でリードするものではないということ
  • 会堂が教会なのではなく、クリスチャンの集まりそのものが教会の本質だということ
  • クリスチャンの義務ではなく、神さまの恵みに焦点を合わせるべきであるということ
などを学び、こうして須賀川の地に新しい教会を開拓し、今に至ります。

私たちは、プラスの経験であれ、マイナスの経験であれ、様々な経験をイエスさまの働き、価値あることを生み出す働き、人を助ける働きのために用いることができます。
  • ある人はヤクザ、別のある人は暴走族の過去があります。それを生かして、彼らは社会のアウトサイダーの人々にイエスさまがくださる希望を語っています。
  • ある人は、離婚を経験しました。それを生かして、夫婦のカウンセリングを行なっています。
  • ある人は、バリバリの企業戦士として生きてこられました。それを生かして、熱心な信仰者として生きながら、同時にビジネスマンとして成功することは可能なんだということを証ししておられます。
あなたは何を持っておられますか? 持っていないものではなく、持っているものに注目しましょう。そして、それを使って神さまのために何ができるだろうかと考えましょう。

置かれた状況で最善を尽くす

パウロとシラスは、ピリピの町を追い出されることになりました。その決定を覆すことはできそうにありません。あの長官がピリピの町を治めているのだとすれば、同じようなことを残されたクリスチャンたちにする可能性も高いでしょう。だとすれば、残されたリディア一家と看守一家のために何ができるだろうか。彼らは考え、それを実践しました。

迫害なんかない方がいいに決まっています。しかし、迫害が起きてしまいました。パウロとシラスは、起こった出来事を嘆くことに時間とエネルギーを費やしませんでした。その状況の中で、自分たちにできる最善は何だろうかと考え、それを実践しました。

どんなに泣こうが、わめこうが、人や神さまのせいにしようが、一旦起こってしまった出来事をなかったことにはできません。私たちにできることは、過去を振り返って嘆くことではなく、その残念な状況の中で、これから私はどうしたらいいんだろうかと考え、それを実践することです。

起こってしまった過去を嘆くことに時間とエネルギーを費やすのではなく、今の状況でできる最善は何かということを考え、それを実践しましょう。

動機は愛であることを確認する

当時のローマ帝国で、ローマ市民権を持っているか持っていないかは、非常に大きな違いでした。市民権を持っていないということは、奴隷か、征服された属州の民だということで、市民よりも低い地位にいるということでした。

パウロもシラスも、いわば特権階級にいたわけですが、それを自分のプライドを満足させるために使うことはありませんでした。また、以前紹介したエルサレム会議でも、おそらくパウロ以外のメンバーはローマ市民ではありませんでしたが、パウロは市民としての地位を利用して、自分の主張を押し通そうとはしませんでした。

パウロとシラスが長官に対して市民権を振りかざしたのは、自分の利益のためではなく、教会と看守を守るためでした。すなわち愛が動機だったのです。

クリスチャンにとって、何が正しいか、何をなすべきかを判断する基準の一つは愛です。愛とは、その人の最善を願うことです。今自分が行なおうとしていることは、神さまにとって本当に最善だろうか、自分自身にとって本当に最善だろうか、他の人たちにとって本当に最善だろうか、ということを考え、実践することです。

ある女性は、アルコール依存症のご主人のために、会社に欠勤の言い訳をしたり、飲んで暴れた部屋を黙って片付けたりしてきました。しかし、ある時それはご主人のためにならないということに気づます。そのようにご主人の無責任な行動の結果を尻拭いしていると、いつまでたってもご主人は自分の問題に向き合うことができず、酒をやめなければならないということに気づくことができません。そこで、かわいそうですが、ご主人を放っておくことにしました。それもまた愛の動機の故の行動です。

どんなふうに行動していいか迷ったときには、自問自答してみましょう。それは、愛の動機に基づくことだろうか、単に自分のプライドや欲望を満足させたり、自分の不安を解消するためだったりしないだろうか。それとも、神さまや自分自身や他の人に対する、真実の愛に基づいた行動だろうか、と。

まとめ

あなたにとってのローマ市民権は何ですか?

あなた自身への適用ガイド

  • あなたが持っているもの、たとえばスキルとか、資格とか、興味関心とか、失敗体験とかを数え上げてみましょう。それを今生かすとすれば、どんなふうに生かすことができますか?
  • どんなに残念な状況の中でも、できることは必ずあると思ってみましょう。できることが必ずあるあなたには、何ができますか?
  • 愛の原則にかなわない行動を取ってしまった経験が、最近ありましたか? その結末はどういうものでしたか?
  • 今、判断に迷っていること何かありますか? 愛の原則に則ったなら、どうすることがベストだと思いますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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