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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

知られていない神

使徒の働き17章22節〜31節

(2018年12月30日)

参考資料

22節の「アレオパゴス」はアテネの貴族議会(ただし、この当時はあまり実質的な権限はなく、重要な審議事項は市民が参加する「民会」で決定しました)。

23節の「『知られていない神に』と刻まれた祭壇」は、実際に発掘されて出てきています(発掘されたのは、「神々」と複数形ですが)。アテネの人々は、様々な神々の像を造って礼拝していましたが、世界にはまだ自分たちが聞いたことのない、知らない神がいるはずだからと考え、その神々ための祭壇まで造って拝んでいたのです。

イントロダクション

ピリピを去ったパウロは、テサロニケで3週間に渡って伝道し、少数のユダヤ人と多数のギリシア人が救われました。しかし、多くのユダヤ人たちがパウロに反対して暴動を起こしました。そこで、テサロニケのクリスチャンたちは、パウロを守るためベレアに送りました。その町では数多くのユダヤ人が救われましたが、テサロニケのユダヤ人がベレアにもやってきて暴動を起こしたため、パウロはシラスとテモテを残してアテネに向かいました。

アテネでシラスとテモテを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、憤りを覚えました。そして、ユダヤ人やギリシア人と議論していると、アレオパゴス議会で話をするように招かれ、演説をしました。それが今日の箇所です。

聖書は偶像礼拝を禁止していますが、どうしてなのでしょうか。それをこの箇所から教えていただきましょう。

1.神の偉大さを否定するから

被造物の上におられる方

まずパウロは、こう語りました。「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手で造られた宮にお住みにはなりません」(24節)。

本当の神さまは、天地を造られた創造主であって、あらゆるものを超越し、その上に存在しておられる方だとパウロは言います。だから、そういう偉大なお方を、小さな宮に押し留めることはできないのです。

ところで、日本では旧暦の十月を神無月と呼びました。本当の語源は分っていないそうですが、俗説として、この月には全国の神々が出雲大社に出張して会議を開くので、出雲以外は神がいなくなるということで、この名が付いたということになっているそうです。

しかし、聖書の神さまは、どこかの場所にいるからといって、他の場所には存在しないということはありません。あらゆるものを超越しておられる神さまは、場所に縛られません。

イスラエルの幕屋や神殿は?

ところが、古代イスラエルには幕屋や神殿があり、そこに神さまが臨在なさいました。そこは、神の家とも呼ばれました。これはどう考えればいいのでしょうか。

イスラエルの幕屋や神殿は、世界各地にある神殿と異なり、人間が勝手に造り、ここに神が住んでおられると決めたものではありません。神さまがモーセやダビデ・ソロモン親子にそれを建てるようお命じになったものです。すなわち、神さまがご自分で「わたしはそこにいよう」とお決めになり、そうなさった場所でした。

もちろん、上述の通り、そこにだけ存在しておられたわけではありませんが、特別にご自分の存在を明らかになさり、特別な働きをなさる場所となさったということです。

現在、聖書は、私たちクリスチャンの体を「聖霊の宮」と呼んでいます(第1コリント6:19)。神さまは、私たちの内に住み、私たちの内側からご自分の特別なお働きをなさっておられます。これもまた神さまのご意志によります。

人間が偶像を造り、手で造った神殿に押し込めることは、神さまの偉大で自由なお働き、しかも私たちを通して行なわれる偉大な働きを否定することになります。

完全自立しておられる神

また、パウロはこう主張します。「また、何かが足りないかのように、人の手によって仕えられる必要もありません。神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるのですから」(25節)。

聖書が教える神さまは全知全能です。ご自分一人だけで何でもおできになります。偶像をお神輿のようなものに入れて、人の肩に担いで運んでもらわないと移動できないということはありません。お金や物をささげないと何もできないほど困窮もしていらっしゃいません。

それどころか、私たち人間の方が、神さまからの祝福によって生かしていただいているのです。

だから、偶像を造ってそれに捧げものをすることは、かえって神さまに対する失礼、神さまを馬鹿にすることだとパウロは言うのです。

2.神の恵みを否定するから

私たちは神の子どもたち

パウロは言いました。「神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません」(26-27節)。

そして、ギリシアの詩の一節を引用して「私たちもまた、その子孫である」と言いました。もちろん、ギリシア詩人が歌ったのは、ギリシア神話の神々についての話ですが、パウロはそれを上手に利用して、私たち人間が聖書の神さまによって造られ、愛されている存在なのだということを、アテネの人々に教えようとしています。

教会の献金や奉仕は?

先ほど、聖書の神さまは、何かが足りないかのように、人の手によって仕えられる必要がないということを確認しました。では、教会で献金をしたり、奉仕をしたりすることはどう考えればいいのでしょうか。

確かに神さまは人の助けが必要なわけではなく、何でもご自分一人で行なうことがおできになります。それでも、私たちにお金や労力をささげることが勧められているのは、神さまが私たちと一緒に何かをしたい、共に時間を過ごしたいと思っておられるからです。

人間の親も、子どもと共にいることを望み、一緒に何かをすることに喜びを感じます。たとえば、母親は、自分一人で料理をした方が、おそらく手間も時間もかかりませんが、あえて子どもと一緒に料理をしようとします。そして、料理ができあがったら子どもの努力や工夫をほめ、一緒に喜びます。

それと同じように、私たちの父である神さまも、私たちを子どもとして愛し、守り、支え、導いてくださっています。そして、いつも共にいて、私たちと一緒に何かをし、私たちと共に喜びを分かち合おうとしておられます。教会の捧げものはその一環です。そうしなければ愛されないわけではありません。そうしなければ祝福されないからではありません。

ですから、偶像を造って義務として捧げものをするのは、神さまの愛を値引きすることです。

3.神の子たちの特権を否定するから

神の子なのだから

パウロは、私たちが神さまによって創造され、子どもとして愛されているということを示した後、こう言いました。「そのように私たちは神の子孫ですから、神である方を金や銀や石、人間の技術や考えで造ったものと同じであると、考えるべきではありません」(29節)。

金銀や石などで偶像を造ってはいけない理由が、私たちが神さまの子どもだからだとパウロは語っています。これはどういうことでしょうか。

まず、私たちが神さまの子どもであるということは、上述の通り、神さまが私たちを守り、導き、そして一緒に何かをしようとしてくださろうとしているということです。ところが、そのお方が愚かで弱く、不誠実で残酷な神であればどうでしょうか。そういう神さまが共にいると言われても、私たちはうれしくないし、安心もできませんね?

偶像がどんなに芸術的に優れていようとも、神さまの偉大さを形に表すことはできません。たとえば、慈愛に満ちた神さまの像を造ったとしましょう。すると、その像は、神さまの荒々しい奇跡の力を表現できません。では、荒々しい像を造ったとしたら、今度は慈愛を表現できません。偶像は不完全なのです。

不完全な偶像が表現する神もまた、不完全です。日本の神話やギリシア・ローマ神話に登場する神々は、人間臭くて魅力的ではありますが、弱くて嫉妬深くて怒りっぽくて不誠実です。偶像を作り、それを神さまとして拝んでいると、神さまについてのイメージがどんどん偏り、貧困になってしまいます。

そうすると、神さまの子どもである私たちのセルフイメージもゆがみ、生き方が本来神さまが用意してくださったものからかけ離れていきます。ですから、偶像を作ったり、拝んだりしてはいけないのです。

間違った神イメージを正そう

高校3年生で不登校の女の子、Mちゃんのカウンセリングしたことがあります。登校のために電車に乗ると、「みんなが自分のことを本当によい子かどうか見張っている」と感じて、途中でいたたまれなくなって降りてしまうのです。

Mちゃんは、牧師の娘として、生まれたときからキリスト教に親しんでいましたが、Mちゃんの神さまイメージは、「私が罪を犯さないか、いつも見張っている怖い神さま」でした。それが、Mちゃんのセルフイメージと生き方に大きな影響を与えていたのです。

そこで、Mちゃんに尋ねてみました。「聖書はどう言っているかな? イエスさまは、今のMちゃんのことをダメだって言ってる?」 しばらく考えていたMちゃんは、「お前の罪は全部私が赦したから、お前はダメじゃないっておっしゃってます。今のお前を愛している、大切だとおっしゃってます」。

「じゃあ、これから先のあなたについては? 罪を犯さないように、あなた自身ががんばって成長しないといけないの?」と尋ねると、「あなたのがんばりじゃなくて、聖霊さまが成長させてくれるから、心配するなとおっしゃってます」。

「じゃあ、『お前はダメだ』という悪魔の声じゃなくて、『あなたは大切。これから先のことも心配するな』とおっしゃるイエスさまの声に聞き従っていこうね」と申し上げると、Mちゃんは神さまに悔い改めの祈りをし、これからはイエスさまの声を聞いていくことを決意しました。こうして、カウンセリングは終了しました。

数年後、Mちゃんとお話しする機会を得ました。すると、あれから彼女は学校に行けるようになっただけでなく、平安や希望を与えてくださった「本当の神さま」のことをたくさんの人たちに伝えたくて、神学校に進学して勉強しているということでした。

神さまイメージが間違っていることに気がついたら、すぐにそれを正しましょう。それがあなたの人生を、幸せへと加速してくれます。

見えない偶像に注意

木や石、貴金属で造られた偶像は、いわば「見える偶像」です。皆さんは、自分はそんなものを拝んでいない、偶像礼拝なんてしていないとおっしゃるかも知れません。

しかし、「見えない偶像」があります。それは、頭の中に造られた、間違った神さまイメージです。

先ほど申し上げたMちゃんは、別に木や石で造った偶像を拝んだりはしていませんでした。しかし、聖書が教えていたのとは違う、間違った神さまイメージを頭の中に描き、神として従っていたのですね。そして、それがMちゃんをいつも緊張して、人の視線を気にする生き方へと追いやっていたのです。

見える偶像はまだしも、意識しない神、無意識に拝んでしまっている偶像は、意識していないだけに強力に私たちの人生を支配し、縛り付けます。ですからそれを意識することが大切です。

それは難しいことですが、無意識の偶像礼拝に気づくためのヒントがあります。それは、不安、恐れ、恥、とまどい、罪責感、無力感、絶望、虚無感などの、否定的な精神状態です。神さまは、私たちに喜びや平安、希望を与えようと思ってくださっています。

ですから、否定的な精神状態になったときは、私たちの心が偶像にとらわれているしるしかも知れません。少なくとも、私たちをまことの神さまイメージから引き離そうとするサタンの働きがあると、警戒することが必要です。

あなたは今どんな精神状態ですか? もしも、否定的な精神状態にあるならば、どこか間違った神さまイメージを抱えていないか、セルフチェックしてみましょう。そして、間違いに気づいたら、直ちに悔い改めて修正しましょう。そうするなら、神さまは必ずあなたを赦し、神さまの子どもとしての祝福された人生を与えてくださいます。

「神はそのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今はどこででも、すべての人に悔い改めを命じておられます。なぜなら、神は日を定めて、お立てになった一人の方により、義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです。神はこの方を死者の中からよみがえらせて、その確証をすべての人にお与えになったのです」(30-31節)。

まとめ

偶像礼拝を避けましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 神さまが超越者だということは、あなたにとってどんな意味がありますか?
  • 神さまがあなたと共にいて、一緒に何かをしたがっておられるということを聞いて、鈍なことを感じたり考えたりしましたか?
  • 神さまに対するイメージが、自分のセルフイメージや生き方に影響を与えるということについて、何か気づいたことがありますか?
  • 神さまに対するイメージで、修正が必要だと気づいた点がありませんでしたか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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