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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

神の国の市民

使徒の働き22章22節〜30節

(2019年3月3日)

参考資料

22節の「彼」は使徒パウロ。異邦人を神殿に入れたと一部のユダ人に誤解され、群衆に殺されかけていたところ、エルサレムに駐屯しているローマ軍が割って入ります。そして、何か悪いことをしたと誤解されたパウロは、ローマ軍に身柄を拘束されてしまいました。パウロは、千人隊長の許可を得て、自分がどのように救われ、異邦人を救いに導く伝道者となったのかを、ヘブル語でエルサレムのユダヤ人たちに語りました。今回の箇所は、その結果、また騒ぎになったところです。

イントロダクション

パウロは、ローマ兵たちからムチで打たれようとしていました。しかし、自分はローマ市民だということを告げると、ローマ兵たちの態度が一変します。ここから、私たちクリスチャンに与えられている市民権について考えてみましょう。

1.ローマ市民だったパウロ

パウロの弁明とさらなる混乱

パウロは、エルサレムのユダヤ人たちに向かって、自分がどのように救われ、異邦人を救うために神さまによって選ばれ、遣わされたかを語りました。

今回、パウロが殺されかけたのは、異邦人を神殿に入れたと誤解されたからでした。そして、パウロの話を聞いて再び群衆が騒ぎ始めたのは、パウロが、自分は神さまによって異邦人のところに遣わされたと主張したからです。パウロがこの話をしたのは、自分が異邦人と交わっているのは、モーセの律法を否定しているからではなく、神さまの命令に従っているからだと説明し、人々の誤解を解きたかったからです。

ところが、多くのユダヤ人は、ユダヤ人でなければ神さまに救われない。異邦人が救われたければ、ユダヤ人のように割礼を受けてモーセの律法に従う生活をしなければならないと教えられていました。ですから、神さまが異邦人を救うために、ユダヤ人であるパウロを遣わすなどという話は、神さまのお名前を語る不届きな所業だとしか思えませんでした。

ローマの千人隊長は、パウロをむち打って取り調べるよう部下たちに命じました。その理由は、「なぜ人々がこのように彼に対して怒鳴っているのかを知るため」(24節)です。というのも、パウロがヘブル語で群衆に話していたからです。たとえヘブル語を理解できたとしても、ユダヤ教やキリスト教について詳しくなかったでしょうから、やっぱり群衆がどうしてここまでパウロを憎むのか理解できなかったことでしょう。
それにしても、理由を知りたいのなら言葉で尋ねればいいのに、なんと乱暴な取り調べでしょう。しかし、これは当時のローマ兵たちの行動としては、特に珍しいことではありませんでした。それだけ、属州の人々は見下されていたということでしょう。

市民権の主張

今まさにむち打たれようとしたとき、パウロは言いました。「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むちで打ってよいのですか」(25節)。その効果は絶大で、直ちにむち打ちが中止されました。

ローマ市民とは、「ローマ市民権」を持った人のことです。市民権とは、「その国の国籍を持っている国民に与えられている権利」のことですが、ローマ帝国では、文字通りローマに住んでいる人だけでなく、一定の条件をクリアすれば、解放奴隷や他民族にも市民権を与えていました。

ローマ市民には、たとえば以下のような権利が与えられました。
  1. ローマ帝国の官職の選挙権と被選挙権。
  2. 裁判を受ける権利と、控訴権。
  3. ローマ正規軍に入隊する権利。
  4. 公認の結婚をする権利。公認の結婚の結果生まれた子どもは、自動的にローマ市民となります。
  5. 人頭税や属州民税を課されない権利。
  6. 十字架やむち打ちなどの残酷な刑罰が免除される権利。
しかも、パウロの市民権は、お金で買い取ったものではなく、生まれながらのものです(28節)。どうやら、生まれながらの市民権は、そうでないものよりも価値があったようです。

ですから、あのままパウロをむち打って取り調べてしまったなら、2番目と6番目の権利を侵害したことになります。パウロが権利侵害を訴えれば、千人隊長は責任を追及されて、その職を失い、重い罰を受けることになるでしょう。それだけ、ローマ市民権というのは尊重されていました。
市民であることを明かして後
パウロがローマ市民であることを明かしたとき、単にむち打ちが中止されただけではありません。パウロはユダヤ最高法院(サンヘドリン)による裁判を受けることができるようになりました。

ところが、サンヘドリンでの裁判も、また混乱したものになりました。パウロを訴えるユダヤ人たちの主張は、筋が通ったものではなく、単に感情的なものだったのですから当然のことです。

そして、パウロは罪状がはっきりしないまま、取り調べのためにローマ総督府があるカイサリアに送られ、さらに皇帝による裁判を受けるためにローマに送られます。もともとパウロはローマで伝道したいと願っていながら、なかなかそれが果たせないでいましたから(ローマ15:22-24)、それがようやくかなえられたことになります。しかもただでローマまでの旅ができるというおまけ付きです。

以前のメッセージでも紹介しましたが、ピリピで捕らえられたときにも、パウロはローマ市民権を主張して牢獄から出ることができました。このように、パウロは自分が持っていたローマ市民権を、時に上手に活用しながら伝道活動を続けました。

私たちに与えられている市民権

もう古代ローマ帝国は存在しませんから、当時のパウロたちが持っていたローマ市民権を持っている人はいません。しかし、私にもあなたにも自分の国の市民権が与えられています。

たとえば、私は日本国籍を持っていますから、日本の市民権を与えられています。すなわち、日本の憲法と法令によって、平等権、自由権、最低限度の文化的な生活を送る権利、参政権などの人権が保障され、国や福島県や須賀川市が提供する様々な公的サービスを受けることができます(もちろん、法律を守り、能力に応じて働き、しっかり納税するなどの義務もありますが、それは市民権と表裏一体です)。

そして、私たちクリスチャンには、自分の国の市民権の他に、神の国の市民権が与えられています。「私たちの国籍は天にあります」(ピリピ3:20)。ここを新共同訳は「わたしたちの本国は天にあります」と訳しています。どこに住んでいようとも、私たちの本国は神の国であり、私たちには神の国の市民権が与えられています。では、その権利はどんなものなのでしょうか。

2.神の国の市民である私たち

クリスチャンの特権

特権という言葉を聞いて思い浮かべるのは、ヨハネ1:12でしょう。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった」。

神さまの子どもというこの言葉には、様々な祝福の約束が込められています。たとえば、
  • 神さまの敵である罪人としての古い自分は死んで、神さまに愛された神の子どもとしての自分が新しく誕生しました。
  • 罪が赦され、将来決して赦されない罰を受けることがありません。
  • 信じた後に罪を犯しても、それを神さまに告白すれば、いつでも神さまとの関係を回復できます。すなわち、決して見捨てられることはありません。
  • 永遠のいのちが与えられます。永遠のいのちとは、文字通り消滅することがなく、永遠に存在が続くということです。
  • と同時に、それは質の問題でもあります。「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです」(ヨハネ17:3)。すなわち、愛と恵みに満ちた神さまとの親密な交わりを得るということです。
  • 親が子どもの話に耳を傾けるように、神さまが私たちの祈りを聞いてくださいます。
  • 私たちの永遠の幸せを願う神さまが、最も良いと思われるものを、最も良いタイミングで、私たちに与えてくださいます。
  • 神さまのみこころならば、いやしなどの奇跡でさえも起こります。
  • 聖霊さまが内に住み、私たちをきよめ、どうしてもやめられなかった罪深い行ないをやめたり、どうしてもできなかった正しいこと、特に神さまや人への愛を行なえたりできるようにしてくださいます。
  • そのほか、様々な精神的な束縛、恐れや不安、疑いなどから私たちを解放し、理由なく味わうことができる自由や平安、喜び、勇気、希望を与えてくださいます。
  • 内に住む聖霊さまは、私たちに賜物を与え、神さまや他のクリスチャンたちと一緒に、永遠に価値が損なわれない働きを地上で行なうことができるようにしてくださいます。
  • 聖書や聖霊さまの語りかけや状況などを通して、神さまが私たちが進むべき道、行なうべき事、知っておくべき真理などを教え、間違いのない正しい方向に導いてくださいます。
  • 死んでも、肉体は朽ち果てますが、魂は天にいらっしゃるイエスさまの元に引き上げられ、世の終わりの時まで平安の内に過ごすことができます。
  • 将来のある時点で携挙されて、天にいらっしゃるイエスさまの元に引き上げられます。その時すでに死んでいるクリスチャンは復活して、栄光の体が与えられます。生きているクリスチャンも、天に引き上げられるときに栄光の体に変えられます。
  • 栄光の体にかえられると、二度と死んだり病気になったり朽ち果てたりしないし、罪を犯すこともなくなります。
  • 私たちクリスチャンの集合体である教会は、携挙された後にイエスさまの花嫁となり、いつまでもイエスさまと共に暮らすことになります。
  • クリスチャンは携挙されるため、将来地球規模で起こる7年間の大患難を体験することはありません。
  • 携挙と大患難の後、イエスさまはもう一度地上に戻ってこられ(再臨)、地上のあらゆる悪を滅ぼされますが、その時私たちも地上に戻ります。そして、イエスさまが地上に建設なさる神の国(千年王国)に住み、イエスさまと一緒に地上を管理します。
    なお、旧約時代の信者や、大患難時代に信じて殉教した人たちも復活して神の国に住みますし、大患難時代を生き延びた信者たちも住みます。
  • 神の国建設千年後に、今の宇宙は消え、新しい宇宙が創造されますが、私たちは新しい地に招かれ、三位一体の神さまと共に、永遠にそこに住みます。

旧約聖書が教える神の国

将来私たちが招かれることになる千年王国、神の国は、一体どんな王国なのでしょうか。旧約聖書の中の預言にはたくさんの記述がありますが、その一部をイザヤ書の中から紹介しましょう。
平和
「主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない」(イザヤ2:2-4)。
健康
「そのとき、目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳は開けられる。そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う。荒野に水が湧き出し、荒れ地に川が流れるからだ」(イザヤ35:5-6)。
長寿
「そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命を全うしない老人もいない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる」(イザヤ65:20)。

復活して神の国の住民となった人たちは、もう罪を犯すことはありませんし、千年王国が始まった時点では住民は全員信者ですが、千年王国時代に誕生した人の中には、イエスさまを信じない人も現れます。信者は死ぬことがなく永遠に生きますが、信者にならなかった人はやがて死を迎えます。それでも100歳まで生きることができます。
労働への正当な報い
「彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。 彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない」(イザヤ65:21-22)。
被造物の回復
「狼は子羊とともに宿り、豹は子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜がともにいて、小さな子どもがこれを追って行く。雌牛と熊は草をはみ、その子たちはともに伏し、獅子も牛のように藁を食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子は、まむしの巣に手を伸ばす。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼさない。【主】を知ることが、海をおおう水のように地に満ちるからである」(イザヤ11:6-9)。

これらの祝福は、千年王国に住むことが許された私たちクリスチャンに約束されたものです。

特権を利用しよう

この話を読みましょう

私たちも、将来どんな素晴らしい祝福が待っているか、それを思い描き、喜び、ニヤニヤしましょう。

また、この地上ですでに与えられている特権、たとえば祈ることができる権利、導きを受けられる権利、きよめを体験できる権利などは、十分に用いましょう。神さまがこれらの権利を味わわせてくださると信じ、そう告白しましょう。そして、実際に味わわせてくださいと祈りましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 今回学んだ、クリスチャンに与えられている特権の中で、特に心にとまったものは何ですか?
  • 自分が十分に活用していなかったクリスチャンの特権は何ですか?
  • すでに十分活用している特権がありましたか?
  • 今後、どのように特権を活用しようと思いましたか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

連絡先

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TEL 090-6689-6452
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