本文へスキップ

礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

堂々としていられるために

使徒の働き24章22節〜27節

(2019年3月10日)

参考資料

22節の「フェリクス」(ペリクス)は、紀元52年〜59年の間、ユダヤ地方を担当するローマ総督になったアントニウス・フェリクス。元は解放奴隷の身分でしたが、兄マルクス・アントニウス・パッラスが皇帝クラウディウスの寵臣となったことから、フェリクスも重用されました。ユダヤ総督としては、武力による弾圧を行なたため、かえって多くの反乱を招きました。そして、反乱鎮圧のために多くのユダヤ人を殺したため、ユダヤ人たちがローマ本国に訴え、その結果皇帝ネロにより罷免されました。後のローマ人歴史家タキトゥスには、フェリクスは「あらゆる悪行を懲罰を受けることなく為し得る」と考え、「あらゆる残酷さと欲望から、王子の役割を奴隷の性質で行なった」と評されています。

22節の「この道」は、キリスト教の信仰のこと。

22節の「リシア」は、エルサレムでパウロを逮捕した千人隊長クラウディウス・リシア(23:26)。パウロがローマ市民だと知ったリシアは、彼をカイサリアにあるローマ総督府に送りました。そして、総督フェリクスによる裁判が行なわれました(1-21節)。

27節の「ポルキウス・フェストゥス」(ポルキオ・フェスト)がユダヤ総督だったのは、紀元59〜61年のことです。短期間なのは、彼が任期途中で死んでしまったからです。

カイサリアでの2年の牢獄生活の間に、パウロはエペソ書、ピリピ書、コロサイ書、ピレモン書の4通の手紙(いわゆる獄中書簡)を書いたという説があります(ただし、その後、ローマで軟禁されていた2年の間という説の方が有力です)。

イントロダクション

パウロは、エルサレムでのユダヤ人たちによる裁判に続いて、ローマ人である総督フェリクスによる裁判を受けました。いずれも、パウロは怯えたり、挙動不審に陥ったりせず、堂々とした態度を貫きました。私たちにもいろいろなつらい状況、苦しい状況、不利な状況がやってきます。そんなとき、揺り動かされないで、堂々としていられる秘訣は何でしょうか。

まずは、パウロが経験した総督による裁判の様子から見ていきましょう。

1.フェリクスによる裁判

双方の主張

大祭司たちの訴え
エルサレムからカイサリアに送られたパウロは、ユダヤ総督フェリクスによる裁判を受けます。

まず、ユダヤの大祭司たちのグループが、パウロの罪を訴えました。「実は、この男はまるで疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人の一派の首謀者であります。この男は宮さえも汚そうとしましたので、私たちは彼を捕らえました」(5-6)。

総督はローマ人ですから、ユダヤの宗教的な決まりに違反したなどというような理由でパウロを訴えても、相手にされないことは分りきっています。総督にパウロを処罰させるには、パウロがローマの法令に違反したということを示さなければならなかったのです。

そこで、大祭司たちは、このパウロという男は、あちこちで騒ぎを起こし、ローマ帝国の平和と安定をないがしろにする危険人物だと訴えました。総督フェリクスは、武力によってユダヤ人たちを弾圧してきたために、かえって反乱を招き、苦労していました。ですから、こういう訴えなら、きっと憎きパウロを処刑してくれるだろうと考えたのです。
パウロの反論
一方のパウロは、彼らの訴えには証拠が何もないと反論しました。

元々、大祭司たちがパウロを憎み、彼を殺そうと思ったのは、パウロがモーセの律法をないがしろにし、自分たちが救い主だとは認めていないナザレのイエスを救い主だと言い広めて、神さまを冒涜していると考えたからでした。

しかし、そのモーセの律法にはこう書かれています。「いかなる咎でも、いかなる罪でも、すべて人が犯した罪過は、一人の証人によって立証されてはならない。二人の証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない」(申命記19:15)。

そして、その証言は厳しくチェックされ、もし偽りの証言をしたことが分ったなら、その証人は死刑でした(申命記19:18-21)。誰かに罰を与える場合には、証拠に基づく公正な裁判によって罪を認定した上でなければならないというのが、モーセの律法の精神です。

ところが、大祭司たちは、パウロがモーセの律法に違反したと訴えながら、実際には自分たちの方がモーセの律法に違反しています。パウロは、総督の前で自分の無実を訴えながら、同時に神さまの前で、大祭司たちの罪を暴いているのです。

フェリクスの行動

法に対して誠実な裁判官であれば、証拠を出せない以上、大祭司たちの訴えを退けて、パウロに無罪を宣告するところです。ところが、参考資料にも書いたとおり、フェリクスは誠実な裁判官ではありませんでした。彼はその場では判決を言い渡さず、先延ばしにします。

フェリクスは、裁判を延期する理由について、こう説明しています。「千人隊長リシアが下って来たら、おまえたちの事件に判決を下すことにする」(22節)。すなわち、騒ぎの現場にいて、パウロを逮捕したリシアの証言を待つためだといういうことです。しかし、それは本当のことではありません。

千人隊長リシアは、パウロを総督の所に送る際、すでに手紙の中でこう証言しています。「ところが、彼が訴えられているのは、ユダヤ人の律法に関する問題のためで、死刑や投獄に当たる罪はないことが分かりました。しかし、この者に対する陰謀があるという情報を得ましたので、私はただちに彼を閣下のもとにお送りします。なお、訴えている者たちには、彼のことを閣下の前で訴えるように命じておきました」(23:29-30)。

すなわち、
  • パウロはローマの法律に違反しておらず、無罪である。
  • 総督の所にパウロを送るのは、ローマ市民であるパウロの身の安全のためである。
リシアはそう証言しているのです。彼としては、ユダヤ地方のトップである総督が、大祭司たちの前で、パウロは無罪であるとはっきり宣言し、この問題をすぐに決着してくれるものと期待していたわけです。

ところが、その期待は裏切られます。フェリクスは何の判決も下さないまま、2年に渡ってパウロを牢に留め置きました。それは、パウロから賄賂をもらいたいという下心があったためです(26節)。そして、参考資料に書いたとおり、フェリクスはユダヤ人に人気がなかったので、ユダヤ人たちの機嫌を取るため(27節)です。

フェリクスへの伝道

そんなわけで、2年に渡ってパウロは牢で過ごさなければならなくなりました。しかし、体を鎖でつながれることはありませんでしたし、弟子たちがパウロの世話することも許可されました。

そういう自由が与えられたのは、一つにはパウロがローマ市民だったということと、パウロが無実だということをフェリクスが知っていたためでしょう。しかし、主な理由は、パウロから賄賂をもらいたくて、あまり厳しくしすぎると逆効果だと考えたためでしょうね。

そして、フェリクスは、たびたびパウロを呼び出して話をしました。もちろん、その動機は、純粋にキリスト信仰のことを学びたかったからではなく、パウロの歓心を買うことで、うまいこと賄賂を引き出そうとしてのことでしょう。

一方、パウロにしてみれば、裁判のカギを握っているフェリクスに気に入られれば、無罪放免にしてもらえるかも知れません。しかし、パウロはキリスト信仰の話を、値引きや混ぜ物なしに語りました。その中には、フェリクスが聞いたら耳が痛くなるような話、すなわち「正義と節制と来たるべきさばき」(25節)についても話しました。人には神さまの命令を守る義務があり、それを破れば神さまに罪を問われ、罰として永遠の滅びを招くことになるという話です。

聖書が教える救いとは、この世でお金が儲かるとか、健康になるとか、願いが叶うとかいうことではありません。結果としてそうなることもありますが、本質的には、私たちの罪のために損なわれた神さまとの関係が、神さまからの一方的な愛と赦しによって回復することです。祝福の源である神さまと関係が回復したからこそ、私たちは神さまに祝福を求めて祈ることができるのです。ですから、罪や罪の結果として与えられるさばきについて語らなければ、救いについても語れないことになります。

パウロは、フィリクスの心証を悪くし、自分に不利益を被るかも知れないと恐れて、福音を語らなかったり、神さまの愛とか祝福とかの耳障りのいい話だけ伝えたりしたのではなく、すべて語ろうとしました。

では、ここから私たちが学ぶことができる、堂々とした生き方のためのレッスンは何でしょうか。

2.正義に立つ

法を犯さない

箴言の中に、「悪しき者は、追う者もいないのに逃げるが、正しい人は若獅子のように頼もしい」(箴言28:1)という言葉があります。心にやましいものを抱えている人は、堂々としていられません。一方、パウロが裁判や獄中で揺り動かされず、堂々としていられたのは、自分はローマの法律にも、神さまがユダヤ人に与えたモーセの律法にも違反していないという自信があったからです。

また、使徒ヨハネもこう語りました。「愛する者たち。自分の心が責めないなら、私たちは神の御前に確信を持つことができます。そして、求めるものを何でも神からいただくことができます。私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行っているからです」(第1ヨハネ3:21-22)。

ヨハネが言うのは、私たちがどんな状況でも神さまの守りや祝福を確信し、希望や喜びや平安を失うことなく堂々としていられる秘訣は、神さまの前に、罪責感なく出られる状態でいることだ、ということです。そのために、神さまの命令を守り、正しい生き方をするよう心がけなさいと。

前回申し上げたとおり、私たちクリスチャンは、地上の国の市民であると共に、神の国の市民でもあります。むしろ、私たちの本国は神の国です。前回は、神の国の市民としての権利に注目しましたが、権利と義務は表裏一体です。神の国の市民である私たちには、神の国の支配者である三位一体の神さまを信頼し、あがめ、そのみこころに従う義務があります。

そして、私たちが守るべき神の国の法令は、聖書を読むことによって知ることができます。聖書の教えに忠実に生きるなら、私たちは神さまに受け入れられ、守られ、祝福されると確信を持つことができ、堂々としていられます。信仰の先輩たちのように、迫害され、殉教するような目に遭ったとしても、堂々としていられるでしょう。
たとえ失敗しても
ただ、私たちは完璧ではありませんから、神さまの命令を無視し、自分勝手な行動を取ってしまうことがありますし、心の中で神さまに逆らうようなことを考えたりしてしまうことがあります。

そんなときでも、私たちはいつでも再出発することができます。イエスさまの十字架による罪の赦しは完全です。一度恵みの福音を信じたクリスチャンは、決して神さまから見捨てられることはありません。たとえ罪を犯しても、それを神さまに告白するだけで、神さまとの愛の関係は直ちに回復します。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。 」(第1ヨハネ1:9)。そして、神さまの守りや祝福を期待することができるようになり、堂々としていられるようになります。
地上のルールにも従う
そして、私たちクリスチャンは、神の国のルールに従うと共に、地上のルールにも従おうとします。

聖書は私たちを神の国の外交官にたとえています(第2コリント5:20)。たとえばアメリカに駐在する日本の外交官には、外交特権が与えられていて、仮にアメリカの法律に違反したからといって、直ちに逮捕されることはありません。だからといって、犯罪を平気で行なうようなことはしません。なぜなら、日本の外交官は日本国の代表であり、アメリカで破廉恥な真似をすれば、アメリや政府やアメリカ国民から、日本という国が破廉恥だと見なされてしまうからです。ですから、平気で法を犯すような外交官は、本国に呼び戻され、職を失うことになります。

もちろん、日本とアメリカの利害が対立するような場面では、日本の外交官は日本のルールや方針を、アメリカのルールや方針よりも優先します。しかし、そうでない限りは、アメリカのルールを尊重するのです。

私たち神の国の外交官であるクリスチャンも、神さまの命令に明らかに反しない限り、自分が置かれている国や団体、グループのルールを尊重し、それに従いましょう。それを神さまが喜んでくださるからです。

そして、もしも地上のルールが神さまの命令に反しているなら、たとえ人に非難されても、馬鹿にされても、それによって様々な不利益を被ることになっても、神さまの命令の方を優先させましょう。

神の国の外交官として、神の国と地上のルールを尊重し、守る。それが、堂々としていられる秘訣です。

聖書すべてを受け入れる

そして、神さまの教え、命令は、一部だけではなく全部受け入れ、それを実践することが大切です。大祭司たちは、自分たちの都合のいいところだけつまみ食い的に尊重し、そうでないところは従っていませんでした。そういう命令があるということを知らなかったわけではありません。彼らは聖書(この場合は旧約聖書)の専門家でした。彼らは知っていたけれど、自分たちに都合の悪いところは見ないようにしていたのです。

神さまの前で堂々としていられるためには、私たちはそれではいけません。パウロのように、聖書全体を受け入れ、実践していきましょう。

聖書全体を受け入れ、実践するためには、何が書いてあるか学ぶ必要がありますね。私たちも聖書を日常的に読み、学んでいます。その際、耳障りのいい所、読んでうれしくなったり感動したりするような所だけでなく、耳が痛い箇所、退屈な箇所も学ぶ必要があります。特に読んでつらくなるような箇所というのは、私たちが本来あるべき姿にないことを示しているからかも知れませんから、むしろ大切にしましょう。

そのためには、通読といって、聖書を最初から順番に読む読み方をするのがいいでしょう。

パウロは、フェリクスを喜ばせるために、聖書の教えの一部しか語らないような間違いを避けました。彼は、罪やさばきについてもはっきりと語りました。それは、フェリクスがイエスさまを信じ、本当の幸せを手にしてくれることを願っていたからです。

私たちもまた、選り好みしないで、神さまの教え全体を学ぶよう努めましょう。それが、堂々とした生き方の秘訣です。

あなた自身への適用ガイド

  • 大変な状況におかれても、不思議に神さまの守りや導きがあると信じられて、平安や希望が与えられたという経験が、最近ありましたか?
  • 最近、神さまが従うよう示してくださった命令は何ですか?
  • 今、現に神さまの命令に従っていないと知っていることが何かありますか? それについて、あなたはこれからどうしますか?
  • 地上のルールと神の国のルールが対立して葛藤したことが、最近ありましたか? その時、あなたはどんな行動をしましたか?
  • 最近、聖書を読んだり学んだりしていて、耳が痛いなと感じた箇所はどこですか? そこからあなたはどのような宝を見つけ出しましたか?
  • 聖書を選り好みしないですべて学び、受け入れるということについて、あなたが心がけていることが何かありますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

連絡先

〒962-0001
福島県須賀川市森宿辰根沢74-5

TEL 090-6689-6452
E-Mail info@nakakomi.com


guests have visited here
since July 15th, 1999.