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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

天からの啓示に背かず

使徒の働き26章19節〜32節

(2019年3月17日)

参考資料

24節の「フェストゥス」は、パウロを2年間牢に留め置いたフェリクスの後任として、ユダヤ州の総督になった人物。在職紀元60年〜62年。ユダヤ人歴史家ヨセフスは、前任者より賢いと評していますが、パウロの裁判に関しては、ユダヤ人たちの機嫌を取ろうとする態度を示しました(25:9)。そのため、パウロは彼を見限り、皇帝に上訴しました(25:10-11)。

27節の「アグリッパ王」は、アグリッパ2世(27年頃〜100年頃)。ローマ総督に協力して、ユダヤを統治しました。父は、使徒12章で「ヘロデ王」と呼ばれているアグリッパ1世。曾祖父は、ベツレヘムで幼児を虐殺したヘロデ大王。そして、祖父アリストブロス4世は、ユダヤ人の王朝ハスモン朝の王女マリアムネ1世と、イドマヤ(エドム)人であるヘロデ大王との間に生まれた子ですから、アグリッパ王にもユダヤ人の血が流れており、ユダヤ教徒でした。ただし、幼い頃から皇帝クラウディウスの宮廷で育ったため、心はローマ人であり、後にローマ帝国がエルサレムを攻撃したときにはローマ側につき、神殿を破壊するのを助けています。

30節の「ベルニケ」はアグリッパ王の妹です。2人の夫に相次いで先立たれ、3人目の夫からは冷遇されて兄王の元に身を寄せ、その後はいつも兄王と一緒に行動していました。その後、後のローマ皇帝ティトゥスの恋人となりますが、ローマ市民の大反対に遭って妃にはなれませんでした。ちなみに、もう一人の妹ドルシラは、前総督フェリクスの妻です(24:24)。

皇帝に上訴したパウロは、ローマに送られることになりましたが、総督フェストゥスは、ユダヤ人たちのパウロに対する告訴は、宗教的な理由からであり、パウロはローマの法律を犯していないことを理解していました。そのため、皇帝の元にパウロを送るに当たって、どんな罪状書きを添えればいいか悩みます。そして、ユダヤ教に詳しいアグリッパ王にパウロを取り調べてもらうことにしました。今回の箇所は、パウロがアグリッパ王に語った弁明の、最後の部分です。

イントロダクション

パウロは、「私が神に願っているのは、あなたばかりでなく今日私の話を聞いておられる方々が、この鎖は別として、みな私のようになってくださることです」(29節)と語りました。パウロをモデルにしてその生き方を真似ることが、祝福された信仰生活を送る秘訣です。そこで、パウロがアグリッパ王に語った弁明から、パウロの行動原理を学びましょう。

1.パウロの主張

前半の主張

今回の箇所の直前(4-18節)でパウロが語ったことを、簡単に説明します。

パウロは、かつてはユダヤ教徒の中でも最も戒律が厳しい、パリサイ人として生きてきました。そして、今パウロを訴えているユダヤ人たちと同じように、クリスチャンたちを激しく迫害していました。

しかし、ダマスコ途上で復活したイエスさまと出会います。そして、イエスさまはパウロにこうお語りになりました。「わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである」(17-18節)。

後半の主張

イエスさまから声をかけられたパウロは、自分もイエスさまを信じて罪の赦しを得たばかりか、多くの人にイエスさまによる救いを宣べ伝えました。そのことについて、19節では「天からの幻に背かず」(新改訳第三版は「天からの啓示に背かず」)そうしたと語っています。

パウロが宣べ伝えている内容は、22-23節に書かれています。「話してきたことは、預言者たちやモーセが後に起こるはずだと語ったことにほかなりません。すなわち、キリストが苦しみを受けること、また、死者の中から最初に復活し、この民にも異邦人にも光を宣べ伝えることになると話したのです」。

パウロがあちこちで宣べ伝えている内容は、キリストが十字架にかかって死に、その後復活なさったということであり、それを信じる者の罪が赦され、救いがもたらされ、やがて信者も死後に復活するということです。

しかも、そのメッセージは、パウロや他の弟子たちが、先祖伝来の信仰を捨てて、勝手に新しく考え出したものではありません。それは、預言者やモーセ、すなわちユダヤ人が信じている旧約聖書にはっきりと預言されていることだと、パウロは主張します。

イエスさまも、かつてユダヤの指導者たちにこうおっしゃいました。「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです」(ヨハネ5:39)。

パウロの主張を別の言い方で言うと、自分たちはユダヤ教徒であることを捨てて、異教あるいは異端であるキリスト教徒になったのではなく、ユダヤ教徒が昔から待ち望んでいた希望が、イエス・キリストによってついに実現したということを知り、それを皆に広く知ってもらおうとしているだけだ、ということです。

しかし、そうやってイエスさまによる救いを宣べ伝えているが故に、自分はユダヤ人たちによって捕らえられ、命を狙われているとパウロは語りました。彼らは、かつてのパウロと同じように、そうすることで神さまに従っているつもりでしょうが、実際には「天からの啓示に背く」行為なのです。

総督と王の反応

フェストゥス
それまで黙って聞いていた総督フェストゥスは、ついに我慢できずに叫びました。「パウロよ、おまえは頭がおかしくなっている。博学がおまえを狂わせている」(24節)。

ローマ人であるフェストゥスには、パウロが語っていることがさっぱり理解できません。特に、キリストや信者の復活などという話は、あまりにも荒唐無稽すぎます。そこで、パウロの頭がおかしくなったと思ったのです。

パウロは、自分は正常だとフェストゥスに言い返しましたが、本当のところ、フェストゥスにどう思われても別にかまいませんでした。26章の弁明の中で、パウロは何度も何度も「王よ」と個人的に呼びかけていますが、今回のパウロのターゲットはアグリッパ王でした。パウロは、王に対して個人的に伝道していたのです。「王様はこれらのことをよくご存じですので、その王様に対して私は率直に申し上げているのです」(26節)。
アグリッパ王
そのアグリッパ王はユダヤ教徒でしたから、パウロの話がよく理解できました。しかも、説得力のある話をしていることに気づいていました。

それだけに、パウロが「アグリッパ王よ、王様は預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います」(27節)と問いかけたとき、彼は重大な決断を迫られることになります。

彼は一応ユダヤ教徒ですから、「預言者を信じていない」とは言えません。しかし、もしも「信じている」と言えば、旧約聖書の預言者が預言してきたとおり、イエスさまを救い主と信じ、クリスチャンの仲間入りをしなければならなくなります。ただ、それはしたくないという思いがありました。おそらく、多くのユダヤ人たちの機嫌を損ねたくなかったからでしょう。ユダヤ人たちからの支持を失えば、王としての地位を失いかねないからでせす。

そこで、どちらでもない答えをしました。「おまえは、わずかな時間で私を説き伏せて、キリスト者にしようとしている」(28節)。これは、今は決断しないよという遠回しの回答です。

そこでパウロは、最後の一押しをしてから、アグリッパ王に対する弁明を終えました。「わずかな時間であろうと長い時間であろうと、私が神に願っているのは、あなたばかりでなく今日私の話を聞いておられる方々が、この鎖は別として、みな私のようになってくださることです」(29節)。

福音について聞いた時間の長さが問題なのではなく、あなたが決断するかしないかの問題なんだよと、パウロは最後の訴えをしたのです。

王たちの結論

パウロの弁明が終わると、その場にいた人たちは、やっぱりパウロは無罪だという結論を出しました。ただ、ユダヤ人たちがパウロを訴え、パウロが皇帝に上訴した以上、パウロを皇帝の元に送らなければなりません。フェストゥスとしては、パウロの無罪を確信していましたから、ユダヤ人たちの訴えをそのまま皇帝に報告するしかないでしょう。

そして、アグリッパ王は、フェストゥスに向かってつぶやきました。「あの人は、もしカエサルに上訴していなかったら、釈放してもらえたであろうに」(32節)。これは、ユダヤ人の顔色をうかがってパウロをすぐに釈放しなかった、フェウトゥスに対する痛烈な皮肉でしょう。そして、やはりパウロの無罪を知りながら、2年もパウロを牢に留め置いた、前総督フェリクスに対する皮肉でもあったでしょう。

とはいえ、アグリッパ王自身も、ユダヤ人たちの支持を失うことを恐れて、福音をその場で信じませんでした。まさに、以前私たちの教会で流行ったフレーズ、「どの口が言う?」ですね。

では、ここから私たちが学ぶべきポイントは何でしょうか。

2.天からの啓示に背かない

真理についての知識を得る

パウロは、ローマ人への手紙でこんなことを語っています。「『主の御名を呼び求める者はみな救われる』のです。しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか」(ローマ10:13-14)。

そして、続けてこう語っています。「ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです」(ローマ10:17)。

感情はとても大切なものですが、私たちの感情というのは、自分の体調や、他の人の態度や、状況によって、いとも簡単に揺れ動きます。ですから、信仰生活の土台が感情になってしまうと、非常にやっかいなことが起こります。いろいろな理由で気分が落ち込んでいると、自分が神さまに愛されていないんじゃないかと思ったり、もしかしたら救われているというのは嘘なんじゃないかとか、そもそも神さまなんていないんじゃないだろうかとか、ろくでもないことを考え始めるのです。

キャンパスクルセードという団体が発行している、「四つの法則」という伝道用小冊子の中で、列車の絵を使って、私たちの信仰生活を説明しているページがあります(こちらをご覧ください)。
  1. まず列車全体を引っ張る機関車が、神さまや人間や世界に関する事実、真理です。真理は聖書を通して知ることができます。
  2. 次に連結部。これが信仰に当たります。信仰というのは、聖書を通して示されたことを、本当のこととして受け取ることです。
  3. その後に客車が来ます。これが感情です。
聖書→信仰→感情。この順番が大事です。これを逆にして、感情的な体験だけを追い求めても手に入らないし、感情的な体験をしたとしても、ちょっとしたことでひっくり返ってしまいます。

預言者イザヤは言いました。「草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ」(イザヤ40:8)。聖書を、私たちクリスチャンにとって、最終的な判断の基準としましょう。

知ったことに応答する

しかし、真理を知識として知っているだけでは不十分です。パウロは手紙の中でこう語っています。「しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。『主よ。私たちが聞いたことを、だれが信じたか』とイザヤは言っています」(ローマ10:16)。聖書が教えてくれる知識に従って、私たちは具体的に行動しなければなりません。

アグリッパ王は、パウロの話に納得しました。そして、イエス・キリストの十字架と復活を信じることが、罪を赦されて救われ、将来自分も復活して神の国に入れていただけるための方法だということを知りました。しかし、結局それを信じることをしませんでした。その結果、イエスさまと永遠に共に生きる素晴らしい人生を、彼は手に入れ損ねました。

世の中には、聖書の学者が非常にたくさんいます。聖書が教えている内容について、彼らは非常に精通しています。しかし、その中には、クリスチャンではない学者、それどころか半キリスト教的な学者、あるいは無神論者である学者もたくさんいます。知っているということ、それを自分のものとして体験しているということとは違うのです。

ですから、イエスさまの弟ヤコブは言いました。「みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません」(ヤコブ1:22)。

たとえば、ヤコブはこう語っています。「兄弟か姉妹に着る物がなく、毎日の食べ物にも事欠いているようなときに、あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、『安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい』と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう」(ヤコブ2:15-16)。
  • 愛しなさいという命令を聖書から聞いたなら、誰に対してどのような行動をすることか考え、実践する。
  • 赦しなさいという命令を聖書から聞いたなら、誰に対してどのような行動をすることか考え、実践する。
  • 罪を悔い改めなさいという命令を聖書から聞いたなら、自分のどんな行動や心の思いが罪なのか考え、それを神さまに告白して赦しを求めると共に、それに代わってどんな行動をするか考え、実践する。
聖書の教えを実践する。私たちはそうありたいと思います。

週報の「応答のためのガイド」(このサイトでは「あなた自身への適用ガイド」の項目)は、私たちが聞いたり読んだりして学んだことを、今の自分の生活に適用し、具体的な行動に移すことを目的としています。ぜひご活用ください。そして、個人の聖書の学びでも、学んだことを実践するという視点で読みましょう。

まとめ

私たちの信仰生活に必要な情報を、聖書を熱心に学ぶことで得、学んだことを実際に実行しましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 最近聖書を通して教わった、神さまや人や世界に関する真理は何ですか?
  • 神さまの命令や勧めだと知っていて、実行できていないものが何かありますか?
  • 聖書の教えを、知識としては分っていても、実際に行動に移そうとしたときに、いろいろ葛藤したり、不都合が生じて躊躇したりした経験が、最近ありましたか? あったなら、最終的にどうしましたか?
  • 自分の感情と聖書の教えが矛盾して葛藤した経験がありますか? あなたはその時どちらを選びましたか? そしてその結果は?
  • 今、あなたは神さまから、何をするように、あるいは何をやめるように勧められていますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

連絡先

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TEL 090-6689-6452
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