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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

良い感情を引き出す人

使徒の働き27章18節〜26節

(2019年3月24日)

参考資料

21節のクレタは、ギリシアの南にある島。

24節の「カエサル」(カイザル)は、ローマ皇帝の称号。

イントロダクション

皇帝による裁判を受けるため、パウロは船で護送されることになりましたが、その途中、大変な嵐に巻き込まれてしまいました。絶望的な状況の中で、パウロは他の人たちを元気づけました。

私たちも、絶望している人に希望を与えたり、悲しんでいる人を慰めたり、やる気をなくしている人にやる気を与えたりする存在になれます。今回もパウロからその秘訣を学びましょう。

1.嵐の中の励まし

パウロの勧告

皇帝による裁判を受けるため、百人隊長ユリウス(1節)率いるローマ兵たちによって、パウロは他の囚人たちと共に船でローマに向かいました。その船には、使徒の働きの著者であるルカ(「私たち」と書かれていますので)と、テサロニケ出身の信者アリスタルコの二人も同乗しました(2節)。

風の具合が悪くて船はなかなか前に進まず、クレタ島の南岸にある「良い港」と呼ばれる入り江に着いたのは、断食の日(贖罪の日。10月上旬)がとうに過ぎた頃でした。

冬になれば地中海が荒れることを、これまでの旅の経験から知っていたパウロは、この入り江で冬を越すことを提案します(8-10節)。しかし、船員たちはその意見には反対でした。そこは単なる入り江ですから、水や食料を補給したり、上陸して繁華街で羽を伸ばしたりするためには、近くのラサヤという町まで、わざわざ陸路で行き来しなければなりません。

隊長であるユリウスは、パウロに対して非常に親切で、カエサリアを出航してシドンの町に着いたときには、そこに住む友人たちに会いに行くことを許可してくれました。パウロがローマの法律を犯しているわけではないということは隊長も知っていたでしょうし、カイサリアの総督府で2年間の牢獄生活を送る中で、他のクリスチャンたちや番兵たち、あるいは前の総督フェリクスと話をするのを脇で聞いていて、パウロの人となりを気に入ってくれていたからでもあるでしょう。

しかし、今回は、ユリウス隊長はパウロの意見を退けて、船員たちの意見の方を採用します。パウロはいかに旅慣れているとはいえ、航海術に関しては素人であり、船員たちはその道のプロですからね。こうして、島の北西岸にある大きな港町、フェニクスを目指すという方針が定められました(11-12節)。

ところが、案の定暴風に襲われ、船は風に流されて、どんどんクレタ島から離れて行ってしまいました(13-17節)。そして、嵐は一向に収まる気配がなく、今回の箇所にあるように、「太陽も星も見えない日が何日も続き、暴風が激しく吹き荒れたので、私たちが助かる望みも今や完全に絶たれようとしていた」(20節)という状況に陥ってしまいます。

元気を出しなさい

そんなとき、パウロが口を開きました。「皆さん。あなたがたが私の言うことを聞き入れて、クレタから船出しないでいたら、こんな危害や損失を被らなくてすんだのです」(21節)。

今さら過ぎたことを持ち出して、「あなたたちのせいでこうなったんだ」と人々を責めたとしても、今の状況が変わるわけではありません。パウロが過去のことを持ち出したのは、助かる希望があったからです。

隊長や船員たちは、パウロの言うことを受け入れなかったために、こんな苦難を招くことになりました。ですから、これから語る希望の言葉については、今度こそ真剣に受け止めて欲しいという思いで、パウロは過去の話を持ち出したのです。

パウロは、「元気を出しなさい」と、2度に渡って勧めました(22節と25節)。この言葉は、原語のギリシャ語では「ユースメオー」です。ユーは、良いとか豊かなという意味、スメオーは感じるとか感情を持つとかいう意味ですから、ユースメオーは直訳すると「良い感情を持ちなさい」という意味です。絶望や悲しみ、疲れややる気のなさなどを感じている人が、希望や喜びや活力ややる気を感じるようになるということです。

パウロは、何日も太陽すら見えないようなひどい嵐に翻弄され、もうダメだという絶望的な気持ちになっていた人々に向かって、希望を持ち、船を守るための行動を生み出す活力を持てと語っているのです。なぜなら、船は失われるけれど、人間はどこかの島に打ち上げられて、誰一人として死なないからです。

聖書や聖霊さまは、私たちが過去犯してしまった罪について思い出させ、それを責めることがあります。しかし、それは私たちを絶望させるためではなく、希望を与えるためです。

イエスさまの十字架と復活を信じるなら、それだけで罪が赦されます。そして、過去の罪を悔い改めて、神さまのみこころに従うならば、いつでも希望や喜びや平安に満ちた新しい人生が与えられます。

大丈夫の根拠

パウロは、自分たちの命が守られる根拠として、昨夜天使が現れて、命を保証してくれたと語りました。天使はパウロにこう言いました。「恐れることはありません、パウロよ。あなたは必ずカエサルの前に立ちます。見なさい。神は同船している人たちを、みなあなたに与えておられます」(24節)。

「あなたに与えている」とはおもしろい言い方ですね。これは、同船している他の人たちの命は、パウロ次第だということです。パウロが、自分は助かると信じて希望を持ったなら、他の人たちも全員助かるということです。

パウロは、もちろん天使の言葉を信じました。というのは、パウロがエルサレムで捕らえられたとき、神さまはパウロにこうお語りになっていたからです。「その夜、主がパウロのそばに立って、『勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない』と言われた」(23:11)。ローマで証しすることが神さまのみこころである以上、ここでパウロが死ぬはずがありません。

そして、天使のおつげによれば、パウロが助かるという希望を失わない以上、他の人たちの命も大丈夫です。ですから、パウロは「元気を出しなさい」と他の人たちを励ますことができました。

この後、パウロたちは本当に命拾いします。船は流され流されて、イタリアの南にあるマルタ島の沖まで到達し、人々は泳いで島に上陸します。神さまの約束通り、誰一人として命を失いませんでした。

では、私たちがパウロのような励まし手となり、人から勇気や希望ややる気や活力を引き出すには、どうしたらいいのでしょうか。

2.励まし手となる

過去の失敗を責めない

相手がひどい状況に陥ったとき、過去の失敗を責めたとしても、それだけでは今の状況は良くなりません。かえって相手の絶望感を深め、やる気を削ぐだけで、意味がないどころか害悪です。

ですから、もし私たちにこれから現状を打開するための方策がないなら、相手の過去の失敗を責めてはなりません。もし、過去の失敗を取り上げるとしたら、それに代わって現状を打破できる別の方策、代替え案を私たちが持っている場合です。

パウロが隊長や船員たちの過去の決断を責めたのは、これからは自分が神さまによって示された方法を採用して欲しいと伝えるためでした。もしそうするなら、未来は安泰です。実際、この後は、ユリウス隊長はパウロの指示に忠実に従います。その結果、全員の命が助かったのです。

他人の失敗を責めるだけでは何も変わりません。代わりにどうしたらいいかという代案がない限り、他人の失敗を責めてはなりません。

まず自分が平安を得る

神さまは天使を通してパウロに、同船の人々をあなたに与えると語りました。人々のこれからの運命はあなた次第だということです。あなたが神さまの守りを信じて平安を抱くなら、他の人も大丈夫だということです。

苦しみの中にある他の人に、希望や平安を与えることができるためには、まず私たち自身が希望や平安を保ち続けることが大切です。こちらが不安な顔をして「大丈夫だよ」と言っても、相手が励まされるはずがありませんね。

ある病院で、手術前に患者が手術室から脱走するという事件が起こりました。逃げた患者はすぐに捕まり、院長室に連れてこられました。院長が、どうして逃げ出したりしたのか尋ねますと、患者は答えました。「看護師さんが、『簡単な盲腸の手術ですから、大丈夫ですよ』なんて言ったからですよ!」

院長は首をひねって、「それのどこがお気に召しませんでしたか?」 すると、患者は言いました。「だってね、それを執刀医に向かって言うんですよ?」
王としての心得
私が大好きなC.S.ルイスのナルニア国物語の中で、リューン王が主人公のコル王子に、王の心得について語って聞かせる場面があります。
「はげしい攻め戦ではいつも先頭に立ち、必死の逃げ戦ではいつもしんがりをつとめ、そして、国内に飢きんがあれば、国民のだれよりも貧しい食べ物を食べながらも、だれよりもりっぱな衣服を着てだれよりも大声で笑ってみせる。これが王というものじゃ」。
(第5巻「馬と少年」岩波少年文庫)
そして、実は私も皆さんも、神の国の大王であるイエスさまの下で、王となる身分です。やがて実現する神の国(千年王国)について、聖書はこう記しています。「この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対して、第二の死は何の力も持っていない。彼らは神とキリストの祭司となり、キリストとともに千年の間、王として治める」(黙示録20:6)。

やがて神の国の王の一人となる存在として、私たちは逆境の中でどのように振る舞うかが試されています。悲しんで当然の状況、人を恨んで当然の状況、絶望してわめき散らして当然の状況の中で、もちろんそうしたからとって神さまにさばかれるわけではありませんが、凜と立って希望を失わず、むしろ笑って希望を語る存在でありたいですね。

そのためには、大丈夫の根拠を私たちがしっかりと握っている必要があります。そして、聖書ははっきりと教えています。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています」(ローマ8:28)。このほかにも、たくさんの聖書の約束があります。

私たちの「大丈夫」の根拠は、私たちの経験や常識ではありません。神さまの約束です。神さまが私たちにどんな約束をしておられるか。それを聖書を通して貪欲に学びましょう。

口に出す

そして、自分が信じた「大丈夫」を、言葉に出して他の人に伝えることが大切です。口に出した言葉は、自分と他の人を励まします。

聖書は、言葉で宣言することをとても大切にしています。たとえば、「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです」(ローマ10:10)。あるいは「あなたは自分のことばによって義とされ、また、自分のことばによって不義に定められるのです」(マタイ12:37)。

私たちの普段の口癖を振り返ってみましょう。自分自身や他の人に、希望や勇気や平安ややる気を引き出すような言葉だったでしょうか。私たちが口にする言葉によって、私たち自身が、そして他の人たちが励まされるような言葉を発したいですね。

あなた自身への適用ガイド

  • 誰かの発言を聞いて、希望や平安ややる気が引き出された経験がありますか? 、逆に相手の発言を聞いて、希望ややる気や平安が取り去られてしまった経験がありますか? その違いはどこにありそうですか?
  • 今、あなたが直面している問題は何ですか? それに対して、神さまはどんな約束を与えておられますか?
  • 最近読んだ聖書を通して、神さまはどんな励ましを与えてくださいましたか? その励ましを受け取ったとき、あなたはどんな状況の中にいましたか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

連絡先

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福島県須賀川市森宿辰根沢74-5

TEL 090-6689-6452
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