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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

マムシへの勝利

使徒の働き28章1節〜10節

(2019年3月31日)

参考資料

1節の「マルタ」は、イタリア半島の南にある島です。パウロたちを乗せた船は、ギリシアの南の海からずっと西に流されたわけです。

2節の「島の人々」は、ギリシア語で「バルバロイ」。当時の公用語であるギリシア語をしゃべらない人々のことを指します。

イントロダクション

何でもない平穏な日々の中で、突然マムシにかまれるような試練がやってきます。そんなとき、私たちはパウロのように、周りの人たちに感銘を与えるような振る舞いができます。

1.マルタでの出来事

上陸

前回の話を思い出してください。パウロを乗せたローマ行きの船が、ひどい嵐に遭って漂流してしまいました。しかし、パウロは神さまのお告げについて語り、船は失われるものの、誰一人として命を失う者はないと励ましました。

それから15日が経ち、船はついにマルタ島に到着しました。しかし、船が浅瀬に乗り上げてしまったので、人々は船を捨てて泳いで上陸しました。船には、船員たち、兵士たち、そして囚人たちの、合わせて276人が乗っていましたが(27:37)、神さまのお告げ通り、その全員が助かったのです。

季節は10月の下旬であり、雨も降っていましたから、人々の体は冷え切っていました。そこで、島の人たちが彼らのためにたき火をしてもてなしてくれました。

今、たき火が密かなブームだそうです。たき火の炎をじっと見つめていると、体が温まるだけでなく、一種の瞑想効果があり、とても心がリラックスするのだそうです。パウロたちも、この半月のひどい状況から解放されて、ホッと一息ついたことでしょう。

そんな中、パウロは積極的に枯れ枝を火にくべていました。前回の出来事以来、パウロは船の実質的なリーダーになっていましたが、彼は傲慢になって仕える姿勢を忘れたりはしませんでした。

イエスさまも弟子たちにこうお命じになっています。「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい」(マタイ10:26-28)。

マムシにかまれる

ところが、枯れ枝の中にマムシがいたようです。火にくべられて驚いたマムシは、パウロの手にかみつきました。

マムシは日本にもいる毒蛇で、毒の量は少ないものの、毒の強さ自体はハブの数倍だと言われています。かまれると激しい痛みがあり、かまれた部分が腫れて紫色になって、それが体の中心部に向かって広がっていきます。放っておくと、意識が混濁したり、視力や血圧が低下したり、かまれた部分の筋肉が壊死したりします。ひどい場合には急性腎不全を起こして死んでしまいます。日本では毎年1000人程度がかまれ、10名ほどが亡くなっているそうです。

島の人々は、パウロもそうなってしまうだろうと予想しました。そして、せっかく海難から逃れられたのに、上陸した途端こんな目に遭ったのは、よっぽどひどい罪を犯したので、正義の女神(ローマ神話のユースティティア)によって一人だけ罰を受けたのだと考えました。

ところが、いつまで経ってもパウロは平気なままでした。そこで、島の人々は、今度はパウロのことを神さまに違いないと言い始めました。もちろん、これは天地を造られた聖書の神さまのことではなく、ローマ神話のたくさんの神々の中の一人という意味ですが、パウロに対する畏敬の念が生まれたことは間違いありません。

イエスさまが天にお帰りになる前、これから福音を世界中に宣べ伝える使命を帯びた使徒たちに対して、こんな言葉を残しておられます。「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばで語り、その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒やされます」(マルコ16:17-18)。

「しるし」というのは証拠という意味です。恵みの福音、すなわち、「私たちの罪を赦すために、イエスさまが十字架にかかり、死んで葬られ、3日目に復活なさった。それを信じるだけで、私たちの罪は赦され、神の子どもとされ、神の国の市民となり、永遠の祝福をいただくことができる」という素晴らしいメッセージが、本当なのだということを示す証拠。それがしるしです。

パウロもまた、福音を異邦人に届けるために選ばれた使徒です。パウロが無事だったのは、イエスさまがおっしゃった「しるし」の一環でした。

プブリウスの父のいやし

次いで、パウロたちはその島の地方長官である、プブリウス(ギリシア語でポプリオ)の領地に招かれました。276人を3日間に渡って手厚くもてなしてくれた(7節)というわけですから、なかなかの太っ腹ですね。

すると、長官の父親が熱病と下痢で苦しんでいるということをパウロが知ります。そこで、パウロがその人のために祈ると、すっかり病気がいやされました。長官はすっかり感激し、その後もパウロたち一行に非常に良くしてくれました。

これもまた先ほど紹介したしるしです。パウロは、言葉でイエスさまの福音を伝えただけではなく、その行動、存在そのものを通して福音を伝えていたのです。

こうして3ヶ月後、パウロはいよいよ首都ローマに入ります。

では、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。それは、私たちもパウロと同じように、イエスさまの存在や救いを、私たち自身の存在を通して伝えることができるということです。

2.人生のマムシに対処する

一喜一憂しない

マルタ島の人々は、パウロがマムシにかまれると、こいつはひどい罪人に違いないと考えました。しかし、全く害を受けないと知ると、今度は神さまだと言い出しました。

実に調子のいい態度ですが、私たちも同じような態度を取ってしまうことがないでしょうか。
  • 自分や人がひどい状況に陥ったのは、その人が罪を犯して神さまに呪われているせい。あるいは元々神さまに嫌われているせい。
  • 自分や人が良い状況にあるのは、その人が良い行ないをして神さまからご褒美をいただいているせい。あるいは元々神さまに愛されているせい。
そんなふうに考えることがありませんか?

確かに、神さまは私たちが本来の生き方から外れていることを教えるために、ショック療法として苦しみに遭わせることがあります。しかし、それは私たちを憎んでいるからではなく、むしろ深く深く愛しておられるからです。「わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい」(黙示録3:19)。

罪は、私たちを神さまから引き離します。神さまとの関係をおかしくしてしまいます。神さまとの素晴らしい交わりが絶たれることは、たとえ順風満帆の生活をしていたとしても、私たちにとって大きな不幸です。ですから、神さまは、私たちを本来の姿に戻すために、あえて厳しい態度を取られることがあるのです。それは、神さまが私たちを愛しておられる故です。

また、このようにも書かれています。「肉の父はわずかの間、自分が良いと思うことにしたがって私たちを訓練しましたが、霊の父は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されるのです。すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます」(ヘブル12:10-11)。

ですから、問題がないことが神さまに愛されている証拠であり、問題があることが神さまに愛されていない証拠だと考えるのはやめにしましょう。今置かれている状況がどうであっても、私たちは神さまに愛されており、祝福の中に生かされているということを忘れてはなりません。それが、周りの人たちにイエスさまの存在を意識させる秘訣です。

平穏の中にこそ誘惑があると知る

C・S・ルイスの著作の中に、「悪魔の手紙」というのがあります。これは、人間を誘惑する初心者の悪霊ワームウッドに対して、彼の叔父で悪魔の国では大臣を務める先輩悪霊スクルーテイプが、懇切丁寧にアドバイスをする一連の手紙という体裁の本です。私の愛読書の一つで、時々読み返しては、自分が悪魔の勢力にうまくだまされていないかチェックします。

この本の時代背景は、第二次世界大戦で、ナチスドイツが次々と周辺諸国を侵略しており、イギリスも戦渦に巻き込まれそうになっている時期です。初心者悪霊は、担当する人間(患者と呼ばれています)に、間近に迫る空襲の恐ろしさなどを吹き込んで、不安にさせて喜んでいました。すると、先輩悪霊はその有頂天な態度を戒めます。恐れや不安は、神さまへの信頼感を奪う成果を招くこともあるけれど、かえってイエスに近づいて、信頼感を深めるようになる恐れもある、いわば諸刃の剣だというわけです。

パウロは、大変な嵐に巻き込まれ、半月に渡って漂流するという問題に巻き込まれました。しかし、クリスチャンは、本当にひどい状況に陥ると、イエスさまに信頼するしかなくなって、かえって平安を手に入れてしまうことがあります。

以前も申し上げましたが、私の大学生時代は、仕送りのほとんどが学費に消えましたので、非常に貧しい生活を送っていました。だからこそ、生活のすべてをイエスさまにお任せするしかなく、いつもイエスさまのことを考え、絶えず祈りながら生活していました。下手をしたら、今よりもずっとずっとイエスさまとの関係は近かったかも知れません(……と反省)。

ところが、マルタ島に打ち上げられ、島の人々に優しく接してもらって、ホッとしたのもつかの間、マムシが出てきてかみつきます。クリスチャンにとっての本当に危険な試練や誘惑は、問題のまっただ中というよりは、平穏で問題のない生活の中でこそ起こります。

信仰的な王として有名なダビデも、サウル王に命を狙われて追い回されていたときではなく、ペリシテ人との戦いにめどが付いて、自分が最前線に立たなくても良くなってから、バテ・シェバとの不倫と、その夫ウリヤの謀殺という恐ろしい罪を犯してしまいました(第2サムエル11章)。

また、預言者エリヤは、数百人の異教の預言者たちとの雨乞い合戦をやっている最中には、自信に満ちあふれていました。しかし、戦いに勝利した直後に、イゼベル女王のちょっとした脅しに恐れを感じ、エジプトのシナイ山まで逃げて、死を願うほどのうつ状態に陥ってしまいました(第1列王19章)。

一方で、誘惑や試練は、逆に言うと神さまの素晴らしさを証しするチャンスでもあります。ですから、問題がないときほど、私たちはマムシの毒に備えて、イエスさまのことを考え、イエスさまに信頼し、イエスさまの教えに忠実に従うことを意識しましょう。

栄光を現すチャンスを日常的に探す

今回の箇所を読んで、私がパウロに抱いた印象は、「力が入っていないなあ」ということでした。マムシにかまれても、大騒ぎしないで、それをさっと振り払います。長官の父親をいやしたときも、「これからすごいことを行ないますよ」というような仰々しい態度をとることもなく、さらっといやしている印象です。今回の出来事は、パウロの日常の延長上にあったことだということです。

パウロは、毎日毎日、いや一瞬一瞬、イエスさまの福音を伝えたり、神さまの素晴らしさを現したりするチャンスは無いものかと、探しながら生きていました。パウロには、使徒として蛇の毒に打ち勝ち、いやしを行なう力が与えられていましたから、たまたまそれを用いるチャンスがやってきたときに、実行したのです。

では、私たちはどうでしょう。今はそんな奇跡は起こらないと言い切ることはすべきではありませんが、同時に聖書はこんなふうにも語っています。「皆が使徒でしょうか。皆が預言者でしょうか。皆が教師でしょうか。すべてが力あるわざでしょうか。皆が癒やしの賜物を持っているでしょうか。皆が異言を語るでしょうか。皆がその解き明かしをするでしょうか」(第1コリント12:29-30)。

ギリシア語の文法上、期待されている答えは「いいえ」です。クリスチャン全員がいやしを行なえるわけではありません。ですから、わざわざ毒蛇にかまれに行ったり、毒蛇にかまれて病院に行くのを拒否したりしないでくださいね。

私たちクリスチャンには、それぞれに聖霊の賜物、すなわち奉仕のために用いることができる能力や持ち味が与えられています。奇跡を行なう力が与えられている人は、それを使ってイエスさまのことを証ししましょう。しかし、奇跡を行なう力を持っていなくてもご心配なく。イエスさまに従い、イエスさまの素晴らしさを証しするのに、必ずしも人々がびっくりするような奇跡を行なったり、業績を残したりする必要はありません。あなたは別の誰かになる必要はありません。いつも自分らしく振る舞えばいいのです。

私が神学生時代、山形県の教会に1週間お邪魔し、実地訓練を受けました。家庭集会の一つに出席したところ、そこに当時80代のおばあさんがおられました。戦前から信仰を守ってこられた方で、戦時中は特高警察につきまとわれ、何度も迫害を受けたそうです。しかし、戦争が終わり、自分につきまとっていた警察官が東京に戻る際、わざわざ駅まで見送りに行き、笑顔で送り出したとのこと。

本当にその方の笑顔は素敵でした。苦しいことやつらいことがないわけではありません。体のあちこちに痛みも抱えておられました。それでも、どんな人にもニコニコと笑顔を向けておられます。そんな笑顔に惹かれて、何人もの方がその家庭集会に参加しておられました。その方には、いわば「笑顔の賜物」が与えられていたのでしょうね。

あなたにはあなたの持ち味が神さまから与えられています。大切なことは、それをイエスさまのために用いようと意識すること。そして、どんなときにもコンスタントに用い続けること。意識すること、し続けることが大切です。

特に、たとえマムシにかまれなくても、生きていれば思わぬ問題に巻き込まれることがあります。そんなとき、イエスさまの守りを信じ、普段通りイエスさまにお仕えする姿を人々に見せるだけでかまいません。その淡々とした姿がしるしとなります。そして、あなたの中に、人々はイエスさまを見るのです。

マムシの毒に打ち勝ち、熱病をいやす力が与えられていたパウロは、人々に仕えることを忘れませんでした。普段しているとおり、マルタ島でも行ないました。私たちもそうありたいですね。

あなた自身への適用ガイド

  • 問題のあるなしを、神さまの愛の基準にしていたことがありますか? その結果、どんな精神状態になりましたか?
  • 平穏の中に隠されている試練や誘惑について、思い当たることがありますか?
  • 普段通りにイエスさまに仕え、普段通りに神さまの栄光を現すために、特にあなたが心がけていることが何かありますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

連絡先

〒962-0001
福島県須賀川市森宿辰根沢74-5

TEL 090-6689-6452
E-Mail info@nakakomi.com


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