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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

神の栄光のために造られた

イザヤ書43章1節〜7節

(2019年4月14日)

参考資料

1節の「ヤコブ」は、イスラエル民族の祖先。イザヤの預言の中ではイスラエル民族を指します。

3節の「クシュ」は今のエジプト南部からスーダン北部あたりにあった王国。「セバ」はアラビア半島南西部に住んでいた民族です。

イントロダクション

本日は、教会員総会が行なわれます。改めて私たちの教会が目指しているものを確認しましょう。それは、「神さまの栄光が現れること」です。神さまの栄光とは、神さまの素晴らしさのことです。

7節には、「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。これを形造り、また、これを造った」と書かれています。これは、直接にはイスラエル民族、すなわちユダヤ人のことを指しています。

私たちはユダヤ人ではありません。しかし、イエスさまを信じたとき、神の家族に加えられました。「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです」(エペソ2:19)。クリスチャンという呼び名の中には、キリストという言葉が入っています。私たちもまた「神さまのお名前で呼ばれる者」です。ということは、私たちも神さまの栄光のために造られました。

それでは、「神さまの栄光のため」とは、どういうことでしょうか。まずは、イザヤの預言から解説します。

1.イスラエルに対する神の愛

神のさばき

今回の預言の背景になっているのは、イスラエル民族に対する神さまのさばきです。イスラエルには、神さまの存在とその救いを全世界に伝えるという使命が与えられていますが、多くのユダヤ人は神さまを信じず、偶像礼拝に耽り、神さまが喜ばれない生き方を繰り返し、預言者たちがいさめても悔い改めようとしませんでした。そこで、神さまから教育的指導として、苦しみがやってきました。

「だれがヤコブを、奪い取る者に渡したのか。イスラエルを、かすめ奪う者に。それは【主】ではないか。私たちはこの方の前に罪ある者となり、主の道に歩もうとせず、そのおしえに聞き従わなかった」(42:24)。

まず、イスラエルの北王国はアッシリア帝国に滅ぼされ(前722年)、多くの民が連れ去られてしまいました(アッシリア捕囚)。そして、イザヤが預言者として活躍した南王国もまた、バビロニア帝国(バビロン)に滅ぼされようとしています。実際、イザヤが預言した約100年後に、南王国は滅び(前586年)、これまた多くの民がバビロンの都に捕囚されていきました(バビロン捕囚)。

神の赦し

しかし、神さまはイスラエルをそのまま滅亡させることはなさいませんでした。それは、神さまがイスラエルをこよなく愛しておられるからです。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(4節)。この有名なみことばは、元々イスラエルに対して語られた言葉です。

そして、神さまはユダヤ人たちを赦し、必ず約束の地カナンに呼び集めると宣言なさいました。「恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは東からあなたの子孫を来させ、西からあなたを集める。北に向かっては『引き渡せ』と言い、南に向かっては『引き止めるな』と言う。わたしの息子たちを遠くから来させ、娘たちを地の果てから来させよ」(5-6節)。

事実、前539年にペルシア帝国のキュロス2世がバビロニアを征服し、前537年には捕囚されていた諸国の民に対し、希望者は故郷に帰ってよいという解放令を出します。こうして、多くのユダヤ人が約束の地に戻ってきました。

戻ってきたのはバビロンに捕らえられていた南王国のユダヤ人だけではありません。アッシリアはバビロンに征服され、そのバビロンがペルシアに征服されたのですから、アッシリアにに捕囚されていた北王国のユダヤ人たちも、キュロス2世の解放令によって国に戻ることが可能になりました。
  • いわゆる「失われた十部族」は存在しません。これに関してはこちらの記事をご覧ください。
さらにキュロス2世の息子カンビュセス2世は、エジプトも征服しました。そこで、この地域に逃れていたユダヤ人たちも、約束の地に帰ることが可能になりました。これが「エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする」(3節)「わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする」(4節)ということです。

神の栄光

なぜ神さまは、罪を犯して悔い改めようとしなかったイスラエルを赦し、約束の地に戻してくださったのでしょうか。その答えがイントロダクションで紹介した7節です。「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。これを形造り、また、これを造った」。

イスラエルという民族名は、ユダヤ人の先祖であるアブラハムの子イサクの子ヤコブが、神さまとレスリングをした故事から来ています(創世記32章)。イスラエルとは「神は戦う」という意味です。イスラエルは、文字通り神さまの名で呼ばれる民です。

神さまは、アブラハム、イサク、ヤコブと契約を結びました。そして、彼らとその子孫ユダヤ人を大いに祝福すると共に、彼らを通して全世界の国民を祝福し、救いに導くという使命をお与えになりました。その使命を忘れたため、教育的指導として、ユダヤ人たちはアッシリアやバビロンによって苦しみを受けたのです。

しかし、ユダヤ人を祝福するという約束もまた神さまが契約なさったことです。その契約の中には、アブラハムやその子孫にカナンの地を与えるという約束も含まれています。ですから、ユダヤ人を滅亡から守り、約束の地に呼び集めることは、神さまの栄光、神さまの名誉がかかっています。

ユダヤ人が度重なる苦難の中でも滅びることなく、今も存在し続けているのは、彼ら自身が素晴らしいからではなく、そうすることによって神さまの栄光が明らかになるためです。

ユダヤ人をアッシリアやバビロンの捕囚から救い出し、約束の地に戻すことで明らかになる神さまの栄光は、どんな素晴らしさでしょうか。たとえば、
  • 神さまは、一旦約束なさったことを、途中で取り消したりなさらない、誠実なお方だということ。
  • 神さまは、罪を憎む正しいお方だということ。
  • しかし、罪を赦してくださる、恵みに満ちた慈悲深いお方だということ。
  • 神さまは、約束を実現するだけの力をお持ちであり、場合によっては奇跡さえも行なうことができる力強いお方だということ。
などです。

聖書の記述、特にイスラエルに関する歴史を見るとき、私たちは神さまの素晴らしさ、その知恵の深さや、愛の大きさ、力の強さを見ることができます。イスラエルは、その存在を通して、神さまの栄光を現しているのです。

イエスさまの十字架の血潮によって、私たち異邦人も罪を赦され、神さまの家族に加えられました。ですから、私たちもまた神さまの目に高価で尊い存在であり、私たちもまた神さまの栄光を現すことができます。次に、その点について学んでいきましょう。

2.私たちが神の栄光を現すために

神の素晴らしさを味わおう

私たちが神さまの栄光のために造られたというのは、第一に、私たちが神さまの素晴らしさを味わうことができるということです。

2節で、神さまはこう約束してくださっています。「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない」(2節)。

おもしろいのは、バビロンの都で、「炎はあなたに燃えつかない」という2節の言葉が、文字通り実現したことです。

ダニエル3章には、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴという3人のユダヤ人青年の話が載っています。彼らは、バビロンの王ネブカデネザルの像を礼拝しなかった罪で、燃える炉の中に入れられてしまいました。しかし、炎の中に4人目の人物の姿が見えました。それは、やがて人間イエスとして地上にいらっしゃる救い主です。イエスさまが彼らを守ってくださったため、シャデラクたちは全く無事でした。その結果、ネブカデネザル王はユダヤ人たちに信仰の自由を認めるようになりました。

ダニエルも、ライオンの穴から救い出されましたね。イスラエルは、民族として神さまの知恵や愛や力を体験しただけでなく、個人としても体験しました。

私たちも、神さまの素晴らしさを自分の体験として味わいたいですね。
  • 神さまは、私たちの罪を赦し、愛してくださるお方です。ですから、私たちは人と比較したり、理想の自分と比較するのではなく、あるがままの自分を受け入れ、そこから一歩一歩進んでいくことができます。そのことを、あなたの人生の中で、体験したくないですか?
  • 神さまは、いやしの力をお持ちです。自分ではどうしようもできなかった体や心の病気、経済的な問題、人間関係などの問題を神さまはいやしてくださいます。それをあなたの人生の中で、もっと体験したくないですか?
  • 神さまは、どんな問題も祝福への踏み台になさるお方です。あの問題があったからこそ、こんな素晴らしいことが起こったという奇跡を、あなたの人生の中で、もっと体験したくないですか?
  • 神さまは、人をきよめ、造り変えることのできるお方です。今までやめられなかったことがやめられるようになり、今までできなかったことができるようになる。あなたは、それを自分の人生の中で、もっと体験したくないですか?
私は体験したいです。私は、神さまに「ついて」知りたいのではなくて、神さまご自身を知りたいのです。ヨブは言いました。「私はあなたのことを耳で聞いていました。しかし今、私の目があなたを見ました」(ヨブ42:5)。それでも、ヨブは神さまのすべてを知ったわけではありません。私たちの神さまの素晴らしさは無限大です。あなたも私も、まだ神さまの素晴らしさの、ほんの一部しか体験していません。

ですから、毎日祈ることにしましょう。「まだ私が知らないあなたの素晴らしさを、今日も味わわせてください」と。

そしてそれは、「神さま、あなたでしかできないようなやり方で、私を祝福してください」と祈っているのと、実は同じです。なぜなら、神さまは、ご自分の力や知恵を、私たちを困らせたり、滅ぼしたりするためではなく、祝福するために使ってくださるからです。

私たちは今まで、「祝福してください」と祈ってきました。それを、「神さまの栄光を、私たちの生活の中で体験させてください」という意味で祈っていくことにしましょう。

神の素晴らしさを伝えよう

私が神さまの素晴らしさを知って喜ぶとき、神さまの栄光が現されます。しかし、喜んだ私がそれを家族や友人たちに伝えたらどうなるでしょう。さらに神さまの素晴らしさが多くの人々の前で明らかになります。さらに神さまの栄光が明らかになりますね。

神さまの栄光のために私たちが造られたという2つ目の意味は、私たちが知った神さまの素晴らしさを、他の人たちにも伝える使命が与えられている、ということです。

私たちは、自分が教えられたり、体験したりした神さまの素晴らしさを、どのように他の人に伝えることができるでしょうか。

そのまま体験談として話すことができますね。これを、キリスト教業界(?)の専門用語で、「証し」と言います。証しというと、礼拝などの集会で、多くの人の前で語られるものだけではありません。数人のグループの中で、あるいは一対一で語られるものも、素晴らしい証しになります。インフォーマルな場で語られる、個人的な体験談の方が、より相手の心にインパクトを与えることだって多いのです。

また、いやしとか奇跡とか、何かものすごいことがないと証しにならないように思う方もおいでかも知れません。しかし、そんなことはありません。神さまの素晴らしさが、ちょっとでも分かったなら、それを他の人に話してみてください。

クリスチャンではない人に語るのが、まだ抵抗を感じるということでしたら、最初は仲の良いクリスチャンの兄弟姉妹に話してみましょう。

文章にして配るという方法もあります。私がクリスチャンになりたての頃、知らない人と話をするのが苦手でしたので、自分の救いの証しをB5版の紙1枚にまとめて印刷し、近所の家のポストに入れて回りました。

私がカウンセリングを勉強し、カウンセラーやセミナー講師になりたいと思ったのは、私のあるがままを愛し、素晴らしいと認めてくださり、期待してくださるイエスさまの愛を、直接・間接に伝えたかったからです。そして、これまでそうしてきたつもりです。

また、Windows95が登場する以前から、ネットを使って、イエスさまのメッセージを発信するということをしています。他の人たちのように、学問的なこととか、芸術的なものとかは発信できません。ただ、私が知っているイエスさま、私が見聞きしてきたイエスさまの素晴らしさを紹介してきただけです。

あなたにはあなたのやり方で、イエスさまの素晴らしさを表現し、それを他の人に伝えられるはずです。

第一のポイントで学んだように、まずあなた自身がイエスさまの素晴らしさに触れること。そして、それをとにかく表現してみること。文章であれ、音楽であれ、詩であれ、物語であれ、絵であれ、童話であれ、奉仕活動であれ、政治的な活動であれ、社会運動であれ、あなたにできるやり方で、イエスさまの素晴らしさを広めていくのです。

大切なことは、何をするにしても、神さまの素晴らしさができるだけ明らかになるためにする、ということ。その目的意識をしっかりと持つことです。

神の素晴らしさをほめたたえよう

私たち自身が神さまの素晴らしさを知り、それを他の人にも伝えることで、他の人たちも神さまの素晴らしさを知ります。するとどうなるか、私も他の人たちも、みんな神さまのことをほめたたえます。「神さま、あなたって何とすごいお方なんでしょうか!」と。

これが礼拝です。私たちは何のために造られたかと言えば、神さまを礼拝するためなのです。それが、「私たちは神さまの栄光のために造られた」という3つ目の意味です。

ですから、個人の生活の中で、神さまにお願いする時間だけでなく、神さまをほめたたえる時間をたくさん持ちましょう。どれくらいという具体的な時間は言いません。「これまでより、もう少し長く」です。

個人の生活の中で、神さまをほめたたえる方法はいろいろあります。一人で賛美歌を歌うという方法があります。ア・カペラだったり、賛美のCDに合わせて歌ったり、楽器が弾ける方はそれを演奏したり……。

また、その日体験したり、聖書から学んだりした神さまの素晴らしさを、ノートに書き出していくというやり方もありますね。そして「神さま、あなたはこんなふうに素晴らしいお方なんですね」と祈りましょう。それが賛美であり、礼拝です。

そして、教会としての公の礼拝式も、もっと充実したものにしていきたいと願っています。プログラムを充実させるとか、楽器を増やすとかいうことではありません。礼拝の心を充実させていくということです。

それは、皆さんに礼拝の心、神さまへの感謝が足りないという意味ではありませんよ。そうではなくて、神さまへの礼拝の思いに満ちた個々人が、バラバラに燃えているのではなく、「共同体」「集団」「グループ」として一つ思いとなって、まとまって燃えるようになりたいのです。

そのために……。
  • 開始時間前に集まりましょう。
  • 賛美は大きな声で。多少、音が外れてもいいです。美しく歌うことも大切ですが、それよりも、「神さまに向かって歌う」ということを意識して歌ってください。そして、この賛美歌は、神さまのどんなご性質やみわざについてほめたたえている歌なのかということを、意識しましょう。
  • 一緒に礼拝している人たちのことも意識しましょう。それは、人の目を気にしなさいとか、ちゃんと礼拝しているか監視しなさいという意味ではありません。この人もあの人も、そして私も、それぞれに人生は違うけれども、同じお方に愛され、同じお方に赦され、救われ、きよめられ、訓練され、同じお方に信頼しているんだという思いを持って礼拝するということです。

まとめ

毎日を、神さまの栄光を現す一日にしましょう。そのために、今のあなたが特に心がけるべきことは何ですか?

あなた自身への適用ガイド

  • 最近、あなたが「神さまって素晴らしい」と思ったのはいつでしたか? 神さまはどんなふうに素晴らしい方ですか?
  • 神さまの素晴らしさを他の人に伝えるために、今のあなたにできることは何ですか? できるだけたくさん挙げましょう。そして、その中ですぐにでもできることを一つ選んで実行してみましょう。
  • 「個人の礼拝」について、やってみようと思ったことが何かありますか?
  • 「公の礼拝」について、やってみようと思ったことが何かありますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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