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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

永遠のスパン

コリント人への第二の手紙4章8節〜18節

(2019年4月21日)

参考資料

13節は、詩篇116:10の引用です。七十人訳という当時使われていたギリシャ語訳の旧約聖書では、「私は信じた。それ故に語った。そして私ははなはだしく卑しめられた」と訳されています。

イントロダクション

イエスさまの復活を信じる私たちは、永遠というスパンで、自分の人生を考えられるようになります。永遠のスパンで人生を考えるとはどういうことでしょうか。そして、それにはどんな良いことがあるのでしょうか。

1.プロセスを大切にするということ

罪の赦しを信じよう

復活は、罪の赦しを保証します。イエスさまは、ご自分が約束なさったとおりに復活なさいました。ですから、他の約束、たとえば「イエスさまの十字架によって、あなたの罪は赦される」という約束も信用できるのです。

逆に、もしもイエスさまが復活なさらなかったのだとしたら、罪の赦しも、神さまの子どもにされることも、永遠の祝福も嘘ということになります。ですから、パウロはこのように語っています。

「もし死者がよみがえらないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。そうだとしたら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったことになります。もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です」(第1コリント15:16-19)。

しかし、確かにイエスさまは復活なさいました。私たちはそれを信じています。ですから、私たちは自分の罪が完全に赦され、神さまに受け入れられ、愛され、祝福の中で生きることができるということも、確信をもって信じることができます。

結果の良し悪しだけで判断しないようにしよう

復活を信じ、それによって罪の赦しが確かだと信じた私たちは、私たちの存在価値が、何ができたかとか、何を手に入れたかというような、結果だけで判断されないということを知っています。

というのは、私たちはたとえ失敗したとしても、罪を犯したとしても、神さまに受け入れられ、愛され、すばらしい大切な我が子よと呼んでいただけるからです。

もちろん結果は大切です。それを無視していいということではありません。しかし、復活を信じた私たちは、別の部分にも注目し、それを大切にします。その別のものとは、「プロセス」です。

プロセスに注目しよう

プロセスに注目するというのは、どうしてそれをしたのかという動機であるとか、途中、どんな工夫や頑張りをしたのかという部分に着目し、何か良いところ、前向き、肯定的、建設的なところを見つけ出すということです。

たとえばこんな例を考えてみましょう。小学生の子どもが、食事のあとに自分で自分の食器をシンクまで運ぼうとしました。ところが、途中で手を滑らせて食器を落とし、そのほとんどを割ってしまいました。

結果にだけ注目すれば、「何をやってんの! ぼやぼやしているからそういうことになるんだ!」と叱ることになります。食器を割ることはもったいないことであり、良くないことです。

しかし、自分で自分が使った食器を片付けようとすること自体は素晴らしいことですね。それを無視して、食器を割ってしまったことだけ叱ると、場合によっては自分の食器を片付けようという意欲そのものを削いでしまう恐れがあります。

ですから賢い親は、まず怪我はないかと確認し、無事で良かったと喜んだ後、自分で自分が使った食器を片付けようとしたことをほめるでしょう。その上で、落とさないで運ぶためには、今後どういうところに気をつければいいか教えたり、子どもと一緒に考えたりすることでしょう。

あなたは、これまで他の人を結果だけで評価していませんでしたか? そして、自分自身を結果だけで評価して、いじめてきませんでしたか? それとも、プロセスに注目して、それを正当に評価してきましたか?

復活を信じる私たちは、プロセスに注目しましょう。そして、良い動機や、がんばりや工夫を見つけ出し、それを肯定的に指摘しましょう。

2.真の価値に基づいて行動できるということ

すぐ・楽・得の道

気をつけていないと、私たちは「すぐ・楽・得」の道を選んでしまいます。努力しないで、すぐに利益が欲しいと思ってしまうのです。しかし、長期計画で人生を考えられる人は、目先の「すぐ・楽・得」を捨てても、未来のよりすばらしい祝福のために、なさねば成らぬことを行なうことができます。

たとえば、
  • 学生がなぜ、テレビやゲームなどの楽しみを制限して、勉強に時間をかけるのか。
  • アスリートが、なぜ苦しい筋トレをするのか。
  • 音楽家が、なぜ単調な基礎練習を何時間も繰り返すのか。
それは、今この時の楽しみを手放したとしても、なおそれに勝るすばらしい未来が待っているということを知っているからです。

天での報い

復活を信じる私たちは、私たちの命がこの地上で終わるのではないことを知っています。私たちは、やがて地上に実現する神の国(天の御国、千年王国)で1000年間住み、さらにその後現れる新しい天地に永遠に住み続けます。

そして、千年王国では、私たちが地上で行なったことの報酬をいただくことができます。イエスさまは、「自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません」(マタイ6:19-20)と教えてくださいました。これは、目先の利益にとらわれず、天の神さまが評価してくださることのために行動しなさいということです。

私たちクリスチャンたちは、やがて天に引き上げられます。その時死んでいたとしても新しい体に復活して、またその時に生きていたら復活の体と同じ新しい体に変えられます。これを「携挙」と呼びます。

携挙されたクリスチャンたちは、イエスさまの前に立ちます。「主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださることを知っているからです」(14節)。

イエスさまの前に立った私たちは、「キリストの御座のさばきとよばれるさばきを受けます。そして、一人ひとり地上で行なった行動について評価を受けます。「私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです」(第2コリント5:10)。

ただし、それは私たちが有罪か無罪かを決めるためのさばきではありません。有罪か無罪かは、地上でイエスさまを信じたときに決定しています。イエスさまの十字架と復活を信じた私たちは、その後どんなひどい罪を犯したとしても、決して有罪になることはありません。「こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ8:1)。

このさばきは、その後実現する千年王国でどんな祝福を受けるかを決めるための査定のようなものです。その査定に基づいて、千年王国での祝福の質や量が決められます。
  • もし、罪深い行動や自己中心的な行動をしていたとしても、その罰を受けることはありません。ただし、神さまが喜ばれる行ないが少なければ、その分プラス評価もいただけません。 第1コリント3:11-15など。
  • 自分がほめられるためにした行動も、神さまは評価してくださいません。マタイ6:1-2など。
  • 逆に、たとえ目立たないような行動、誰にもほめられないような行動であったとしても、イエスさまのためにそれを行なったのであれば、たとえ水いっぱいを必要としている人にあげるというような行動であったとしても高く評価していただけます。 マタイ10:42など。
貧しい人たち、困っている人たちのために、私財も時間も体力もささげて働く人たちがいます。見たこともない国の人たちに福音を届けるために、お金や物をささげたり、自ら宣教師として移住したりする人たちがいます。翻訳者として名前が載らないのに、聖書の翻訳に生涯をかける人たちがいます。

なぜ彼らはそうしているのでしょうか。それは、彼らが、この地上での栄誉とか快楽よりも、もっともっと大切なものあるということを知っているから、永遠に価値あるものを知っているからです。

永遠に価値あること

あなたは、何に価値を置いていますか? 人生において、何が大切だと思いますか? あなた自身の好みや欲求も大切です。しかし、最終的には永遠に価値あることのために、この人生を使いたいと思いませんか?

私たちは、そのために造られ、生かされているのです。

永遠に価値あるものとは、神さまが望まれること、神さまが喜ばれることです。聖書を通し、祈りを通し、もっともっと神さまについて学びましょう。神さまのことを知れば知るほど、私たちの生き方がしっかり筋の通ったものになっていきます。

復活を信じる私たちは、ただ単に地上生涯での未来の祝福を思い描き、長期計画を立てて行動するだけでなく、永遠の未来の祝福を思い描き、超長期計画を立てて行動しましょう。

皆さんは、イエスさまを信じ、神さまのみこころを熱心に学び、それを行なうことを第一の喜びとする人たちです。やがて、携挙されて天にいらっしゃるイエスさまの前に立ったとき、イエスさまはあなたに優しく語りかけてくださるでしょう。「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」(マタイ25:21)。

3.すべてのことに意味を見出せるということ

死は終わりではない

旧約聖書の「伝道者の書」の作者は、もしも死で人生が終わってしまうのなら、私たちの人生は空しいと語っています。善人として生きても悪人として生きても、知恵があっても愚か者であっても、大きな仕事をしてもしなくても、財産があってもなくても、結局は死んでおしまい。これではあまりにも空しいじゃないかと言うのです。

ただし、それは人生が市で終わるものなら、という前提での話です。聖書は人生が死んで終わるわけではないと語ります。イエスさまは自ら復活なさることで、それを証明してくださいました。私たちには、永遠の人生が与えられています。

ですから、私たちがこの地上で行ったり、体験したりすることには意味があります。

たとえ苦しみでも

仮にその体験が苦しいものであったとしても、そこには積極的・建設的な意味があります。私たちの目には、それが苦しみ、不幸、困難だと思えたとしても、永遠に続く人生の中で、その苦しみは必ず祝福の種になります。「私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです」(17節)。

たとえこの地上でその意味を理解し、味わうことができなかったとしても、永遠に続く人生の中で、その苦しみは、必ず私たちの祝福の種となります。復活を信じる私たちは、そう信じることができるのです。

ですから、私たちは私たちを襲う様々な出来事の中で、苦しんだり悲しんだりしたとしても、最終的には顔を上げて立ち上がり、希望を持って歩き出すことができます。

「私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません」(8節)。

「ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」(16節)。

アーメン(そのとおり)!

意味があると言い聞かせよう

ですから、何か苦しみや困難に出会ったときには、自分自身に向かって語り掛けましょう。この問題には意味がある。この苦しみは、悪魔の手先にしか見えないけれど、実際は神さまが私を祝福するために遣わした天使である、と。

そして、その具体的な表現として、感謝しましょう。意味がわかったらもちろん、意味が分からなくても、必ず意味があると信じて感謝するのです。「神さま、理由はまだわかりません。しかし、これが私の幸せの種となり、世界の祝福の種となることを信じて、感謝します」と。」

そうやって、自分を励ますことができる人は、困難に苦しんでいる人を励ますことができるようになります。
今を輝いて生きる
福島県出身の長嶺由宇(ながみねゆう)さんは、高校の英語の先生でした。しかし、仕事にも人生にも行き詰まってしまい、自殺を図りました。最初は首をナイフで切りますが死にきれず、ガスを部屋に充満させましたがそれでも死ねず、火を付けて大爆発。しかし、大やけどを負いながらも一命を取り留めます。

その後、由宇さんはイエスさまと出会ってクリスチャンとなりました。そして、元々好きだった歌を通して、イエスさまが与えてくださった新しい人生を伝えています。自ら命を絶とうとするほどに大変な苦しみを味わいましたが、その経験があったからこそ、今は多くの人たちを慰め、励まし、希望を与えています。昔、由宇さんが歌ってくださった歌の歌詞を紹介します。
「今を輝いて生きる」(作詞・作曲 関根信義)

(1番)
いつの間にか朝が来て、いつの間にか日が暮れる
何となく学び 仕事して 毎日同じ繰り返し
平凡な毎日は 虚しさ無気力無感動
だけどそんな生活に 愛の心知りました。
愛されている私 許されている私

力まずがんばらず 生きてゆける
素直に 感謝口に 素直に 笑顔生まれてる
そんな心知った時 今を輝いて生きられる
今を 今を輝いて生きられる

(2番)
のろのろして乗り遅れ うっかり忘れて叱られる
一度の挫折で すぐくじけ 自分の弱さ見え隠れ
鏡に映る姿には ためいきついてる自分がいた
だけどそんな毎日に 愛の言葉聞きました
見捨てられない私 見放されない私

力まずがんばらず 生きてゆける
弱いからこそ敏感に 優しい言葉がしみてくる
そんな言葉を知った時 今を輝いて生きられる
今を 今を輝いて生きられる

愛されている私 許されている私
そんな言葉を知った時 今を輝いて生きられる
今を 今を輝いて生きられる
輝いて生きられる

まとめ

イエスさまは復活なさいました。ですから、私たちも復活します。復活を信じる私たちは、今さえ良ければいいというような、近視眼的・刹那的な生き方をするのではなく、永遠のスパンで人生を考えていきましょう。

あなたも、イエスさまがくださる復活の力を、ぜひ味わってください。

あなた自身への適用ガイド

  • 仕事や家庭生活の中で、他の人のプロセスに注目して評価してみると、その人への関わり方が具体的にどのように変わりそうですか?
  • 自分自身を、結果でなくプロセスで評価してみると、どんな良い点が見えてきますか?
  • 本当に価値ある道というよりも、安易に「すぐ・楽・得の道」を選んでしまったなと気づいたことがありますか? そして、そこで本当に価値ある道を選ぶとは、どうすることだったと思いますか?
  • 最近、神さまの望みや好みについて、どんな気づきが与えられましたか?
  • 今あなたはどんな苦しみを味わっていますか? そして、そこにはどんな積極的な意味が隠されているでしょうか。
  • 苦しみやうまくいかない状況について、祝福の種だと信じて感謝してみてください。何かが変わりますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

連絡先

〒962-0001
福島県須賀川市森宿辰根沢74-5

TEL 090-6689-6452
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