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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

人生の城壁

ネヘミヤ記1章1節〜11節

(2019年6月2日)

参考資料

1節の「第二十年」は、ペルシャ王アルタクセルクセス1世(アルタシャスタ)の治世の第20年で、前445年。「キスレウの月」は第9の月。太陽暦だと11〜12月頃。

3節の「捕囚」とは、バビロン捕囚のことで、ペルシャ帝国の前に中東を支配していた新バビロニア帝国(バビロン)によって、たくさんのユダヤ人が奴隷としてバビロンの都に連れて行かれたこと。前586年には首都エルサレムと神殿が破壊され、南王国ユダが滅亡してしまいました。

7節の「モーセにお命じになった命令・掟・定め」とは、モーセの律法のことです。昔イスラエルがエジプトの奴隷であったとき、神さまからリーダーに選ばれたモーセは、民をエジプトから脱出させました。そして、モーセの律法と呼ばれる様々な規定を神さまからいただき、イスラエルに守るよう命じました。

11節の「この人」は王のこと。ネヘミヤ本人がリーダーになるにせよ、他の人がなるにせよ、城壁を再建するには王の許可が必要です。勝手に再建して、王への反逆と解釈され、ユダヤ人への迫害を招いては元も子もありません。

11節の「献酌官」は、王のそばにいて酌をしたり毒味をしたりしました。が、ただの給仕役ではなく、いわば王の相談役です。宮廷内で、王妃にも匹敵するような強い影響力を持っていました。

イントロダクション

前回学んだように、ネヘミヤの活躍により、エルサレムの城壁が52日間という短期間で修復されました。私たちも、ネヘミヤのように、神さまの働きをすることができます。といっても、必ずしも土木工事を指揮するということではありません。あなたにとって「城壁を修復する」というのはどういうことでしょうか。

1.ネヘミヤがしたこと

神と共に泣いた

兄弟から、エルサレムとそこに住む同胞たちの様子を聞いたネヘミヤは、まるで家族が亡くなったかのように悲しみ、泣いて断食しました。彼は、同胞たちの痛みを、自分の痛みとしました。

ここを読んだとき、イエスさまがエルサレムをご覧になって涙を流された箇所が思い出されました。旧約聖書の預言者たちは、やがて救い主が現れて、地上に理想的な王国、神の国を造り、全世界を平和と祝福の内に統治なさると約束なさいました。その神の国の中心はエルサレムであり、イスラエルです。

ところが、実際に救い主イエスさまが来られたのに、当時のイスラエルの国はそれを受け入れませんでした。そこで、神さまのさばきによって40年後の紀元70年に、ローマ軍の攻撃で滅びることになってしまいました。それをイエスさまはご存じでした。ですから、エルサレムをご覧になると、涙を流されました。

「エルサレムに近づいて、都をご覧になったイエスは、この都のために泣いて、言われた。『もし、平和に向かう道を、この日おまえも知っていたら──。しかし今、それはおまえの目から隠されている。やがて次のような時代がおまえに来る。敵はおまえに対して塁を築き、包囲し、四方から攻め寄せ、そしておまえと、中にいるおまえの子どもたちを地にたたきつける。彼らはおまえの中で、一つの石も、ほかの石の上に積まれたまま残してはおかない。それは、神の訪れの時を、おまえが知らなかったからだ』」(ルカ19:41-44)。

子なる神イエスさまは、ネヘミヤがエルサレムのために泣いたときも、天で涙を流してくださったことでしょう。
同情の涙ではない
しかし、ネヘミヤやイエスさまの涙は、単なる同情ではありません。この悲しみには一つの前提があります。それは「本来ならば、ユダヤ人はもっともっと祝福され、生き生きと命輝いて生きられるはずなのに」ということです。そして、ネヘミヤは本来のエルサレムの姿、ユダヤ人の姿を取り戻したいと思いました。

イエスさまもそうです。イエスさまを拒否したその時代のイスラエルは、神さまのさばきを受けました。しかし、それで神の国に関する約束そのものが取り消しになったわけではありません。やがて世の終わりの時代にユダヤ人たちはイエスさまを救い主と信じ、「主よお帰りください」と祈ります。すると、イエスさまはもう一度地上に戻ってこられ、神の国を建設し、新しく造られるエルサレムから全世界を統治なさいます。

神さまも、私たちの本来の姿、神さまと共にある祝福に満ちた人生を取り戻したいと、強烈に思ってくださっています。

神に祈った

そして、ネヘミヤは、ただいたずらに現状を嘆くだけではありませんでした。この問題を、全知全能の神さまの所に持って行きました。そして祈ったのです。神さまが、この問題を解決してくださるように、と。

ネヘミヤは大変有能で、リーダーシップもあり、かつ清廉潔白な人物でした。ですから、外国人であるにもかかわらず、ペルシャ王の信任を得て献酌官という重要な地位を得ていたのです。

しかし、いきなり行動を開始しませんでした。城壁再建は、有能な彼にとっても、実現が困難な仕事でした。彼の前には、様々な問題が待ち受けていました。たとえば、
  • 王の許可がもらえるかどうか。勝手に再建すれば、王への反逆と誤解される恐れがあります。それではかえってユダヤ人への迫害を招きます。
  • 自分たちの生活で精一杯のユダヤ人たちを、いかにやる気にさせることができるか。
  • 莫大な費用をどう捻出するか。
  • エルサレムの再建を喜ばないサマリヤなど周辺諸国の妨害を、いかに抑え込むか。実際、90年前に第1回目の帰還民たちが神殿を再建しようとしたときも、周辺諸国の妨害によって工事が16年もストップしてしまいました。
そこで、ネヘミヤは神さまに祈りました。祈るしかありませんでした。祈って祈って4ヶ月間祈り続けました。

神の約束を信じた

ネヘミヤが祈ったとき、彼は聖書の約束を持ち出しました。5-11節に書かれている彼の祈りの中で、特に9節と10節です。これは申命記29:1-30:10の内容を要約したもので、神さまがユダヤ人と結ばれた5つの契約の一つ、「土地の契約」と呼ばれる約束の内容です。

神さまがユダヤ人の先祖アブラハムと結んだアブラハム契約では、アブラハム、イサク、ヤコブとその子孫イスラエル民族には、カナンの地が与えられると約束されています。

ところが、神さまがモーセをイスラエルの代表者として結んだシナイ契約では、神さまに信頼してモーセの律法を守れば祝福が、そうでなければ呪いが与えられるというものでした。土地の契約の前半には、その呪いの一例が記されています。それは、イスラエルが神さまを無視して生きていると、約束の地から追われてしまうということです。

では、一旦神さまのさばきを受けて約束の地から追い出されてしまったら、もうアブラハム契約は無効になってしまうのでしょうか。そうではないというのが、土地の契約の後半部分です。イスラエルが悔い改めて、神さまへの信仰を取り戻すならば、神さまは彼らを必ず約束の地に呼び戻してくださいます。そして、物質的にも精神的にも霊的にも大いに祝福し、繁栄させてくださいます。

ネヘミヤは、この神さまの約束に基づいて、「ですから、私たちを赦し、祝福し、城壁が再建できるように導いてください」と祈ったのです。
祈りの結果
するとどうなったでしょうか。2章に記されていることを簡単に紹介します。

ニサンの月(第1の月。太陽暦だと3〜4月頃)のある日、王の方からネヘミヤに「何か心配事があるのではないか」と声をかけてくれました。一瞬ネヘミヤは恐れます。王の前で沈んだ顔をすることは王に対する不敬罪であり、殺されても文句が言えない失態です。しかし、王は心底ネヘミヤを心配して声をかけてくれたのでした。

しかも、事情を知った王は快くネヘミヤをエルサレムに送り出し、しかも私的な旅行ではなくユダヤ地方の総督に任命して公的な立場で遣わし、さらに工事のための材料も国で用意しようと言ってくれました。

それは、まさに神さまの働きでした。敵の妨害をものともせず、わずか52日間で城壁ができあがったとき、ネヘミヤはこう語っています。「私たちの敵がみなこれを聞いたとき、周囲の国々の民はみな恐れ、大いに面目を失った。この工事が私たちの神によってなされたことを知ったからである」(6:16)。

2.私たちの城壁修復の働き

修復可能だと信じよう

ネヘミヤの物語を私たちの人生に適用するならば、城壁とはあなたの人生、あなたの生活のことです。あるいは、大切なあの人の人生・生活のことです。

ネヘミヤは、大きな土木工事を行ないましたが、城壁を修復することそのものが目的ではなく、エルサレムに住む同胞たちの命と生活を守り、彼らの人生をより祝福に満ちたものにするためだったのです。

そして、神さまもまた。あなたの人生の城壁を必要に応じて修復しようとしておられます。イザヤ49:15-16にはこう書かれています。「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある」。

あなたは、ご自分の人生の城壁をご覧になって、それが破れて崩れ去っているようにお感じになることがありますか? あるいは、あなたの大切なあの方の人生の城壁はいかがですか?

それがどんなに崩れ去って、元の姿がどうであったのか思い出せもしないほどに破壊されていたとしても、なお人には可能性があります。ネヘミヤが「でも、どうせダメだ」とあきらめなかったように、神さまもあなたを、そして大切なあの人のことをあきらめていません。本来の祝福された姿へと造り変えようと決めておられます。まずは、そのことを信じましょう。

祈りの力を信じよう

神さまは、私たちがすべきこと、私たちにできることを、代わってやってはくださいません。ですから、いくら祈っても、掃除もしないで急に部屋がきれいに整頓されるなどということはありませんし、勉強しないで良い成績を取ることもできません

しかし、困難があまりに大きくて、私たちの手に負えないものであるとき、私たちは祈ります。自分の力ではなく、神さまに全面的に期待します。すると、神さまはその信仰に答え、全知全能の力を見せてくださいます。たとえ、私たちの願い通りのことが起こらなくても、神さまはもっと素晴らしいことを、もっと素晴らしいタイミングで行なってくださいます。

今、あなたに困難がありますか? あなた自身の困難かもしれないし、他の人を助けようとするときに直面する困難かもしれません。もしそれが、あなたの力や知恵や状況が整わず、人の力では克服できそうにない問題ならば、神さまの働きを期待しましょう。そして、祈りましょう。

神の愛を信じよう

神さまに愛されているということが、私たちの祈りの土台です。なぜ私たちは祈ることができるか。それは、神さまに愛されている、だから必ず祝福されると信じられるからです。

私たちの教会では、聖書を読むとき、していいこととしてはいけないことを学ぶことはもちろんですが、まず第一に、私たちがどれだけイエスさまから愛されているかを知ることを目的にしようと申し上げています。

神さまに愛されていることを知れば知るほど、私たちは神さまをより信頼できるようになるし、神さまに従いたいという願いも力もわいてきます。そして、確信を持って祈ることができるようにもなります。

イエスさまは、決してあなたをあきらめておられません。また、あの人のことをあきらめておられません。ご自分のいのちを犠牲にしても惜しくないと思われ、実際に十字架で犠牲にしてくださいました。それほどまでに、あなたのことを求め、愛しておられます。

まとめ

この話をお読みください

イエスさまによって、人は変わることができます。だから、大丈夫です。それを信じるところから始めましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • あなたの人生の城壁で、ほころびたり、崩れたりしている部分がありますか? あるいはあなたの周りに、人生の城壁が痛んでいる方がいらっしゃいますか?
  • 城壁が修復されたとき、あなた、あるいはその人はどのような生き方をしていると思いますか?
  • 自分の力や知恵の限界にぶつかっていることがありますか? また、祈りによって限界を突破させていただいたという経験がありますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

連絡先

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