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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

神の摂理

エステル記

(2019年6月9日)

参考資料

今回の話は、ペルシャ帝国の王クセルクセス1世(アハシュエロス)の時代です。この王は、前回登場したアルタクセルクセス1世(アルタシャスタ)の父親です。前480年に起こったペルシア軍とギリシア連合軍の戦いを描いた映画「300」(スリーハンドレッド。2007年公開)やその続編「300 〜帝国の進撃〜」(2014年公開)にも登場します。

イントロダクション

神さまは、ご自身の計画に従ってこの世界を無から創造し、今もこの世界を支配し、その目的に向かって導いておられます。すべての出来事は、正義であり愛であり全知全能である神さまの配慮の元に起こっています。これを「摂理」と言います。

今回取り上げるエステル記は聖書の中でもユニークな本です。それは、神さまが一切登場しないからです。しかし、神さまの摂理のわざについて学ぶのに、この本は最適でしょう。

今回は、歴史小説としても非常におもしろいエステル記のあらすじを簡単に追いながら、私たちにとっての摂理のわざについて考えてみましょう。

1.エステル記の概要

歴史的背景

前483年、ペルシャ王クセルクセス1世は、命令に背いた王妃ワシュティの位を剥奪して王宮から追放しました。そしてその4年後(前479年)、新しい王妃を迎えることになりました。
  • 映画「300」で描いているテルモピュライの戦いと、続編「300 〜帝国の進撃〜」で描いているアルテミシオンの海戦が行なわれたのは、その前年の前480年です。これらの戦いで、ペルシアは圧倒的な大軍を投入しましたが、少数精鋭のギリシア連合軍に手痛い敗北を喫して退却しました。家臣たちは王を慰めるために新しい王妃を選ぼうとしたのでしょう。
かつてバビロンによって捕囚されたユダヤ人の末裔であるモルデカイは、おじ夫妻が亡くなったとき、その娘(すなわちいとこ)であるエステルを引き取り、養女として育てていました。そのエステルが、お妃候補として王宮に連れて行かれてしまいます。他にもたくさんの候補者がいましたが、外見が美しいだけでなく、素直で慎み深いエステルは、王宮の人々に高く評価され、見事王妃の座を獲得しました。

さて、お妃選びがまだ続いていた頃、王に不満を持った2人の家臣が王の暗殺を企てている話を、たまたまモルデカイが耳にします。そこで、エステルを通して王に報告をしました。それによって2人の謀反人は捕らえられて処刑されました。ところが、暗殺を未然に防いでくれたモルデカイに対して、何の恩賞も下されませんでした。ちょっとがっかりですが、実はこの時褒美をもらえなかったことが、後で素晴らしい結果を招くことになります。
ユダヤ人抹殺計画
その5年後の前474年、王はハマンという人物を家臣の中で最も高い位に就けました。そして、王は人々にハマンの前ではひれ伏して礼をするようにと命じましたが、モルデカイはハマンの前でひれ伏そうとしませんでした。理由は記されていませんが、ユダヤ人として偶像礼拝を避けたかったからでしょう。

これに怒ったハマンは、モルデカイだけでなく、ユダヤ人すべてをこの世から抹殺してやろうと考えます。そして、王にこう進言しました。「王国のすべての州にいる諸民族の間に、散らされて離れ離れになっている一つの民族があります。彼らの法令はどの民族のものとも違っていて、王の法令を守っていません。彼らをそのままにさせておくことは、王のためになりません。王様。もしよろしければ、彼らを滅ぼすようにと書いてください」(3:8-9)。

この時、ハマンが言う「一つの民族」がユダヤ人であり、愛する王妃エステルもユダヤ人だということを王が知っていれば、その進言を受け入れなかったでしょう。ところが、ハマンはそれがユダヤ人のことだとは明言していませんし、エステルも自分がユダヤ人だということを公表していませんでした。
  • モルデカイがエステルにそう命じたのは、おそらくユダヤ人が差別の対象になりがちだったからでしょう。これは今も昔も同じですね。
そこで、王はあまり深く考えず、ハマンに「お前の言うとおりにせよ」と答え、法令文書に押す印の付いた指輪を渡してしまいました。そこで、ハマンは王の名前で次のような法令を発布しました。「第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪え」(3:13)。アダルの月は、太陽暦の2〜3月に当たります。

紀元20世紀にナチス・ドイツがユダヤ人を抹殺しようとしたときには、ユダヤ人は世界中に散らばっており、ドイツに敵対する国々にも住んでいました。ところが、この時代のユダヤ人はペルシア帝国の支配地域にしかいなかったのですから、完全に絶滅させられる危険度ははるかに大きかったのです。

神の見えざる手

ユダヤ人抹殺を狙う法令が出されたことを知ったモルデカイは、エステルに使いを送り、王に取りなしをするよう願いました。ところが、最初エステルは躊躇します。というのは、前の王妃ワシュティは王が呼び出したのにその命令に従わなかったという理由で追放されましたが、王が呼びもしないのに王に近づくことは死刑になっても仕方ない罪だったからです。

しかし、モルデカイはこう言ってエステルを励ましました。「あなたは、すべてのユダヤ人から離れて王宮にいるので助かるだろう、と考えてはいけない。もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない」(4:13-14)。

モルデカイは自分から進んでエステルをお妃候補として売り込んだわけではなく、エステルもそれを望んでいたわけではありません。半強制的に王宮に連れて行かれ、気がついたら王妃になっていたのです。しかし、一見偶然の積み重ねのように起こったかに見える出来事も、明確な目的を持って行動しておられる神さまの導きによって起こったことだ。モルデカイはそう語っているのです。
エステルの行動
これに奮起したエステルは、首都シュシャンにいるすべてのユダヤ人に、3日間断食するよう依頼しました。そして、3日目にエステルは王の前に出て行きました。すると、王はそれを咎めなかったどころか、何か願いがあるなら何でもかなえてあげようとエステルに約束しました。

ところが、エステルはその場でユダヤ人抹殺計画への対処を願わず、自分が設ける宴会にハマンと共に出席して欲しいと願いました。そして、翌日の宴会の席でも、エステルは何も願いませんでした。会社の宴会で「今日は無礼講だ」という上司の言葉を真に受けて失礼を働くと、後でひどい目に遭いますね。おそらくエステルは、王が語った「何でも願いを叶えてあげよう」という言葉が真実なのかどうか、王が絶大な信頼を寄せているハマンの悪を訴えて、それを王が信じてくれるかどうか、王とハマンの様子を観察しながら確認したかったのでしょう。

そして、これなら行けそうだと判断したエステルは、「明日もう一度宴会を開くので、またハマンと共においでください。その時に願いを申し上げます」と王に答えました。
ハマンの柱
さて、王妃の宴会に王以外は自分だけが招かれたことにハマンは鼻高々でした。しかし、そんな偉大な自分にひれ伏さないモルデカイに対する怒りは、かえって燃え上がってしまいました。そこで、妻や友人たちの進言を受けて、高さ50キュビト(約22メートル)の柱を立てさせ、次の朝に王に話して、モルデカイをそこにはりつけにしてさらし者にし、それから王妃の宴会に王と共に向かうことにしました。
王の不眠
その夜、王はなぜか眠れなかったので、自分が王になってからの帝国の歴史を記した記録書を持ってこさせ、それを侍従に朗読させていました。すると、かつて王暗殺を未然に防いでくれたモルデカイに対して、何の褒美も与えていないことが分ります。そこで、王はモルデカイに何か報いてやらねばと考えながら眠りにつきました。

かつてモルデカイが王暗殺を防いだこと、それでも恩賞が下されなかったこと、エステルが王妃となったこと、ハマンがモルデカイをさらし者にするために柱を立てたこと、この夜王が眠れなかったこと、そこで記録書を読ませたこと、そして読んだ箇所の中にたまたまモルデカイのことが載っていたこと。それらすべての背後に、見えない神さまの導きがあります。

伏線回収

そして、これらの伏線が、一気に回収されるときがやってきました。翌朝、ハマンが王にモルデカイを処刑するようお願いする前に、王の方からハマンに声をかけました。「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう」(6:6)。

するとハマンは、それは自分のことに違いないと思い込んでしまいます。ですからこう答えました。「王が着ておられた王服を持って来させ、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来させてください。その王服と馬を、貴族である王の首長のひとりの手に渡し、王が栄誉を与えたいと思われる人に王服を着させ、その人を馬に乗せて、町の広場に導かせ、その前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである』と、ふれさせてください」(6:7-9)。

ハマンは、王に「その栄誉を与えたい者とは、実はお前のことだ」と言われるだろうなと予想し、「まさか、この私が!?」と驚く準備を密かにしていたかも知れません。ところが、全く別の理由で驚くことになりました。王は言いました。「じゃあ、ハマン。モルデカイに対して、お前が語ったとおりのことをお前自身がやってきなさい」。

エステルは、1回目の宴会の時にハマンの策略を暴露しませんでした。しかし、そのおかげでモルデカイには大変な栄誉が与えられました。もちろん、エステルはそれを意図していたわけではなく、これもまた神さまの導きの中で起こったことです。

一方のハマンは、自分が受けられると思い込んでいた栄誉を、自分の手でモルデカイに与えなければなりませんでした。どんなにか惨めだったことでしょう。彼が嘆き悲しみながら帰宅すると、王宮から人がやってきて、彼を王妃の宴会に連れて行きました。そして、そこで決定的なノックアウトパンチを食らうことになります。

王さまが再度エステルに、何でも願いを聞いてあげようと言ったとき、エステルは、自分や自分の民族を滅ぼそうと企んでいる者がいるが、国民は王の財産なのだからそれは王に損害を与える行為だと訴えました。王が、それは何者だと尋ねると、エステルはハマンを名指ししました。王の怒りを受けたハマンは、その日、本当ならモルデカイの為に用意された柱に貼り付けになってしまいました。
取り消されない法令への対処
ユダヤ人を滅ぼそうとしていたハマンは、自分自身が滅びを招きました。しかし、問題がもう一つ残っています。ペルシアでは、一旦王の名によって書かれ、王の指輪で印が押された法令は、たとえ王であっても取り消しができないという決まりがありました。ですから、ユダヤ人を虐殺せよという命令自体はハマンが滅びた後も生き続けています。このままでは、アダルの月の13日にユダヤ人大虐殺が起こってしまいます。

そこでエステルとモルデカイは王にこの件を訴えかけました。すると、王はモルデカイに指輪を渡し、自分が良いと思う命令を出すよう許可を与えました。そこで、モルデカイは王の名で次のような命令を出して、ハマンが出した前の命令を実質的に無効にしました。

それは、アダルの月の13日、すなわちユダヤ人を虐殺せよと命じられたその日、ユダヤ人は自分たちの敵に対して反撃し、逆に虐殺しても良いという命令です。実際にその日が来たとき、ユダヤ人に襲いかかろうとした人々はほとんどいませんでしたし、各地の領主や総督たちもユダヤ人の味方になりました。王がバックにいる以上、ユダヤ人たちが勝利するのは目に見えているからです。

そして、ハマンの息子たちは捕らえられて殺され、ハマンの派閥に属してユダヤ人抹殺を計画してきた人たち計7万5千人は、ユダヤ人たちの襲撃によって命を奪われてしまいました。ただし、モルデカイの出した法令では略奪は許可されていましたが、ユダヤ人たちは敵の財産に手を付けませんでした。あくまでも自己防衛のための戦いだったからです。
結末
これ以来、アダルの月の14日と15日は、神さまがハマンのユダヤ人抹殺計画から自分たちを救い出してくださり、安息と喜びを与えてくださったことを記念して、プリムの祭りが祝われるようになりました。プリムとは、プルの複数形でクジを意味します。ハマンがユダヤ人を虐殺する日をクジで選んだことから名付けられました。

また、この出来事を通して、モルデカイは王の側近となって大きな権勢を誇るようになりました。前回登場したネヘミヤはアルタクセルクセス1世に仕える献酌官で、王宮の中で王妃に次ぐ影響力を持っていましたが、その王はエステル記の王クセルクセス1世の息子です。モルデカイが王宮の中で重んじられたことで、同じユダヤ人であるネヘミヤが王宮で重く用いられることが可能になり、それがさらにエルサレムの城壁再建につながったのです。すべての背後に、神さまのご計画に基づく導き、摂理のわざが働いています。

ここから、摂理を信じる私たちが心に留めておきたい原則をお話しします。

2.摂理信仰を持つ者として

神はご存じであると信じよう

この世の中には、うれしいことや楽しいことばかりでなく、つらいことや悲しいことも起こります。そのたびごとに、私たちの心はアップダウンを繰り返しますし、嫌なことが起こったときには「どうしてこんなことが起こるのだろうか」と思ってしまうものです。

最後の晩餐の夜、食事に先立って、イエスさまが弟子たちの足を洗い、手ぬぐいで拭い始めたとき、弟子たちはその理由が理解できませんでした。そのような行為は奴隷の仕事であり、教師であり、ましてや救い主であるイエスさまがなさるようなことではありません。ペテロに至ってはやめてくださいとお願いしました。するとイエスさまはおっしゃいました。「わたしがしていることは、今は分からなくても、後で分かるようになります」(ヨハネ13:7)。

嫌なこと、つらいことが起こったときには、自分にはなぜこれが起こらなければならなかったのか分らないけれど、神さまはその理由をご存じである。そして、いつか必ずその意味が分る時が来る。たとえ一生意味が分らなくても、天国において必ず教えていただける。そう自分に言い聞かせましょう。

最善以外のことは起こらないと信じよう

そしてその意味は、決して私たちにとって悪いものではなく良いものです。すべてのことは神さまのご計画に基づいて起こると信じるのが摂理信仰ですが、そのご計画は私たちを滅ぼすためのものではなく、私たちに神さまの素晴らしさをもっともっと理解させ、私たちを本当の幸せに導くものです。

バビロンの軍隊が南王国ユダに攻めてきて、最後から2番目の王エホヤキンを始め、多くの民がバビロンに捕囚されていった後、神さまはエレミヤを通して捕囚されていった人々を励ましました。その中で、神さまはこうおっしゃっています。「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──【主】のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ29:11)。

今、最善以外のことは起こらないと宣言しましょう。自分たちの目には最善だとはとても思えなくても、です。ペルシアでユダヤ人抹殺を命じる法令が出されたとき、一体どれだけのユダヤ人はこれが最善につながると考えたでしょうか。しかし、確かに神さまはあらゆる事を上手に働かせて最善に導いてくださいました。

自分にできる最善を行なおう

エステルもモルデカイも、神さまが最善をなさると信じて、ただ座って時を過ごしたわけではありません。彼らは断食して祈り、王に対してどのように現状を訴えかけるかを考え、実践しました。すなわち、彼らにできることを精一杯考え、行なったのです。

また王がエステルに何でも願いを聞いてあげようと言ってくれたのも、エステルが普段から身分を笠に着て、偉そうに振る舞ったり、贅沢三昧な生活をしたりせず、素直で優しく慎み深い生活を具体的に行なって、王に好感を持たれていたからでした。普段わがままな言動をしている人に「何でも聞いてあげよう」などと言うのは、大変な危険が伴いますからね。

私たちも、様々な出来事が起こる中で、いつも神さまはそれらが起こるのを許可した理由をお持ちであり、必ず今の状況を通して素晴らしいことを行なってくださると信じたなら、もちろん聖書の教えの範囲内でですが、今自分にできる精一杯のことを、たゆまず心をこめて行ないましょう。

まとめ

この話をお読みください

神さまの摂理のわざを信じましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 神の摂理が働いていると実感したことが、最近何かありましたか?
  • あなたの人生の中で、今もどうしてあんなひどいことが起こったのか分らないという問題が何かありますか?
  • かつては問題だ、不幸だと思った出来事が、後になってそれがあったおかげで祝福を刈り取ることになったと気づいた経験がありますか?
  • あなたの今の状況に摂理信仰を適用すると、どんなことに気づかされたり、決心したりしますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

連絡先

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