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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

買い戻された者として

ルツ記

(2019年6月19日)

イントロダクション

ルツ記の物語は、私たちに何を教えてくれているのでしょうか。

1.ルツ記のあらすじ

ナオミの苦しみと慰め

ユダヤ人の女性ナオミは、夫と二人の息子と共にモアブの地にいました。モアブは死海の東にあった国です(アブラハムの甥ロトとその長女との間に生まれた子どもから出た民族です)。彼らがモアブに移住したのは、イスラエルがききんだったからです。

モアブの地で、ナオミは夫と息子たちを相次いで失いました。残されたのは、自分と、モアブ人である二人の嫁たち。当時、子のいない未亡人は、生計を立てるすべが全くないため、非常に苦しい生活を余儀なくされました。

後に彼女がイスラエルの地に帰ってきたとき、出迎えた知り合いの女性たちに対して、「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください」(1:20)と語っています。ナオミとは「心地よい」という意味の名前で、マラとは苦しみという意味です。それは心からの言葉でしょう。

しかし、そのような苦しみの中で、ナオミを慰めるようなエピソードが起こります。それは、イスラエルから飢饉が去ったと聞いたナオミが故郷に帰ろうと決めた時、二人の嫁がついて行きたいと言ったことです。嫁姑問題に付ける薬が開発されたら、すぐにでもノーベル平和賞と言われるくらい、古今東西で嫁姑の関係はなかなか難しいもののようです。しかし、ナオミと嫁たちの関係は非常に親密で温かいものでした。

ただ、ついて行くといっても生活手段のない未亡人で、しかも外国人。きっと嫁たちは苦労するでしょう。ですから、ナオミは二人を止めました。ナオミに説得されて、オルパの方は泣く泣く実家に戻っていきましたが、ルツの方はあくまでもついて行くと言い張りました。ルツは言いました。「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」(1:16)。

こうして、ナオミはルツを連れて、かつて住んでいたベツレヘムの村に戻っていきました。

ルツとボアズとの出会い

ベツレヘムに着いたルツは、食料を手に入れるために落ち穂拾いに出かけます。モーセの律法には、収穫の際に落ちてしまった穂を拾わず、子のない未亡人のような貧しい人たちが拾えるように残しておくという規定がありました。「あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、刈るときに畑の隅まで刈り尽くしてはならない。あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。貧しい人と寄留者のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、【主】である」(レビ23:22)。
ミレーの落ち穂拾い
ミレー「落ち穂拾い」

さて、ルツが出かけた畑は、「はからずも」ボアズの畑でした(2:3)。そして、「ちょうどそのとき」、ボアズが畑の様子を見にやってきました(2:4)。そして、後に夫婦となるこの二人は初めての出会いを果たします。まったくグッドタイミングです。

ルツ記では、モーセ五書や福音書にあるような華々しい奇跡は起こりません。しかし、先週エステル記で学んだように、これは神さまの摂理のわざです。ごくありふれた日常の一つ一つの出来事の中に、神さまのきめ細かい配慮があることを、ルツ記もまた私たちに教えてくれています。

その後、ボアズは何かとルツに親切にしてやりました。ルツ記の時代(すなわち士師記の時代)は、モーセの律法を無視した生活をする人たちがたくさんいました。ですから、落ち穂を拾いに来た貧しい人たちに対して厳しい態度を取る地主やしもべもいたのです。ところがボアズもそのしもべたちも神さまに忠実な信仰者でした。ボアズはルツを畑から追い出したりせず、思うまま落ち穂を拾っていいと言いました。それどころか、彼女のためにわざと穂をたくさん落としてやったり、休憩時間には水や食べ物を与えたりしたのです。

ルツが思いのほかたくさんの落ち穂を拾ってきたのに驚いたナオミは、ルツから事情を聞き、ボアズの親切に感謝すると共に、彼は買い戻しの権利を持つ親戚の一人だと言いました。
買い戻しの権利
ここで、買い戻しの権利について説明しましょう。モーセの律法では、イスラエルの土地は神さまのものであり、神さまがユダヤ人を寄留者としてそこに住まわせているのだと教えています。ですから、むやみに先祖伝来の土地を売り買いすべきではありません。貧しさ故にやむを得ず土地を売ったとしても、余裕ができたときにはいつでも買い戻すことができるし、その人の親族が代わりに費用を出して買い戻すこともできました(レビ25:25)。

10年前、ナオミたちがモアブに移住したとき、おそらく土地を手放してしまったのでしょう。その土地を買い戻す権利がボアズにはありました。

また、モーセの律法には別の命令もありました。「兄弟が一緒に住んでいて、そのうちの一人が死に、彼に息子がいない場合、死んだ者の妻は家族以外のほかの男に嫁いではならない。その夫の兄弟がその女のところに入り、これを妻とし、夫の兄弟としての義務を果たさなければならない。そして彼女が産む最初の男子が、死んだ兄弟の名を継ぎ、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならない」(申命記25:5-6)。

ところが、ナオミの夫だったエリメレクは、モアブの地で死にました。そして、相続権があった2人の息子たちも死んでしまいました。ナオミは年を取っていてもう子どもを産めませんから、未亡人となったルツには再婚すべき義理の兄弟がいません(1:11)。ですから、このままではせっかく土地を買い戻してもらっても、それを相続する子どもが生まれないのです。

そこで今回のケースでは、買い戻しの権利のある親戚は、土地を買うだけでなく、未亡人であるナオミとルツを扶養する義務、さらにルツを妻にして、最初に生まれた息子に買った土地を継承させる義務も負わなければなりませんでした。

ナオミは、土地に対する執着心はありませんでしたが、外国まで着いてきてくれ、一生懸命働いて支えてくれているルツに何とか幸せになってもらいたいと思いました(3:1)。そこで、ボアズに土地を買い戻してもらい、ルツと結婚してもらいたいと願いました。そして、ユダヤの習慣がまだよく分らないルツに、どうやって女性からプロポーズしたらいいかを教えてやります。

ルツとボアズの結婚

ボアズは、ルツやナオミの願い通り、土地の買い戻しだけでなくルツとの結婚も受け入れました。彼は、初めて出会ったときからルツのことを好ましい女性だと思っていたからです。だからこそ、いろいろと彼女に良くしてやったのです。

しかし、問題が一つありました。ボアズよりもナオミ一家に近い親戚がいて、法律上その人に買い戻しの優先権があったのです。そこで、ボアズは翌朝その親戚と公の場で交渉しました。最初、その親戚は自分が土地を買い戻すと言いましたが、ルツを妻にして生まれた子にその土地を与える義務もあることを知ると、結局買い戻しの権利をボアズに譲りました。大金を出して土地を手に入れても、結局自分のものにはならないし、扶養家族が増えるばかりで損だと思ったからでしょう(4:6)。

こうして、ボアズはルツと結婚しました。やがてルツは男の子を産みます。その子の名前はオベデ。オベデの息子がエッサイ。そのエッサイの息子の一人があのダビデ王です。そして、そのダビデ王の子孫の中から、イエス・キリストが地上に誕生なさいます。すなわち、ルツはダビデ王のひいおばあさんということになります。

ナオミはかつて自分をマラ、苦しみと呼びましたが、今や神さまは彼女にナオミ、心地よさを与えてくださったのでした。

2.贖い主イエスと共に生きる

買い戻しの必要を悟ろう

ルツ記を理解するのに重要なキーワードの一つが「買い戻し」、別の言葉で言うと「贖い」(あがない)です。

ボアズは、親戚であるナオミとその息子の未亡人であるルツのために買い戻しの権利を使いました。権利と言われていますが、実際には犠牲を払って親戚を助ける慈善行為です。しかも、その犠牲は生半可な覚悟では果たせないほど大きなものでした。ですから、買い戻しの権利で優先権を持っていた親戚はそれを最終的に放棄したのです。しかし、ボアズは喜んで大きな犠牲を払い、土地を買い戻しただけでなく、ルツとナオミのその後の生活を保障しました。

聖書は、イエス・キリストによって私たちが救われたことを贖い、すなわち買い戻しと表現しています。ルツとナオミはボアズの好意と助けがなければ生活が成り立たちませんでした。同様に、元々の私たちも自分の罪の奴隷となって行き詰まっていました。

イエス・キリストによる救いの喜びを体験するには、まず自分が自分以外の存在によって救われる必要があるということ、自分は自分ではどうすることもできない罪の奴隷状態にあるということを知ることが必要です。
増田の告白
私は週日はスクールソーシャルワーカーという仕事をしていますが、同じ担当学区のスクールカウンセラーさんと話をしていたときに、援助職というのは他の人を助けることによって自分の存在価値を確認する傾向があるという話になりました。他の人を助けて感謝されることで、自分はこの世に生きていていい価値ある存在だと確認するということです。

本来援助者は「あなたはもう必要なくなりました」と言われ、忘れられるために存在しています。しかし、人を助けることで自分の価値を確認したい援助者は、自分がもう必要とされなくなることを無意識に恐れます。そこで、過干渉になるなどして、かえって相手が自立しないようにしてしまいます。

じゃあ、私の中にはそういう傾向がないのかと問われれば、ありませんと自信を持って宣言することはできません。私もまた、人を助けて感謝されることで自分の存在価値を確認したいという間違った思いを持ってしまうことがあるのです。
イエス・キリストへの信頼
私たちは自分で自分の心や行動をコントロールできません。自分勝手に好き勝手に生きているように見えたとしても、それは本当の自由ではなく、罪の奴隷状態だということです。

私たちでは返済不可能な罪の負債があります。ボアズがルツとナオミの負債を肩代わりしてくれたように、イエスさまも私たちの罪の負債を肩代わりしてくださいました。

救いは恵みだと知ろう

ルツはユダヤ人ではなくモアブ人でした。モーセの時代、エジプトを脱出したイスラエルが約束の地に向かっていたとき、モアブ人が占い師バラクを使ってイスラエルを呪おうとしたり、若い女たちを使ってユダヤ人を誘惑し、バアル礼拝を行なわせたりしました。そのためモーセの律法には、モアブ人は主の集会に加わってはならず、帰化して10代たった子孫でさえも参加を認めないという命令があります(申命記23:4-7)。

また士師記の時代には、モアブがイスラエルを侵略して一部を支配下に置いたこともあります(士師記3:12-30)。

こういうわけで、モアブ人であるルツはイスラエルで差別の対象になってもおかしくありませんでした。ですから、ボアズがいろいろとルツに良くしてくれたことに対して、ルツは驚きながらこう言っています。「どうして私に親切にし、気遣ってくださるのですか。私はよそ者ですのに」(2:10)。

本来祝福を受ける資格がないのに、神さまが祝福しようと一方的に決断し、それを行動に表してくださることを「恵み」と言います。ルツがボアズの好意に驚き感動したように、私たちも神さまの恵みの愛を当然のことと思わず、感謝しましょう。

恵みに応えて生きよう

ルツは、自分にはボアズやイスラエルの人々に良くしてもらえる資格は無いと考えていました。

ところが、ナオミの故郷ベツレヘムの人たちはルツを温かく迎え入れ、むしろ高く評価していました。後にベツレヘムの女性たちがナオミにルツのことを「あなたを愛するあなたの嫁、七人の息子にもまさる嫁」と語っています(4:17)。ボアズも彼女を「誠実」と評しています(3:10)。

彼らがルツを高く評価したのは、
  1. 偶像礼拝を捨てて、唯一まことの神であるイスラエルの神を信じるようになったこと。
  2. 姑であるナオミに真実に尽くしていること。
  3. 勤勉であること。
しかし、ルツがそういう生き方をしたのは、イスラエルの人たちの関心を得るためではありません。

ナオミはモアブに約10年間暮らしました。ルツの結婚生活が何年だったかは分りませんが、ずっとナオミたちユダヤ人家族と接してきて、彼らの信じる神さまが本物であることを感じ取っていました。また、まことの神さまを信じているナオミの生き様に、ルツは感動を覚えてもいました。だから、どんな苦労が待っていたとしても、まことの神さまを離れてはいけない。ルツはそう思ったのです。

ルツの誠実な生き方は、聖書の神さまを知り、神さまの恵みを知ったからです。

私たちもまた、イエス・キリストの恵みによって救われ、あらゆる罪の呪いから解放されました。その喜びを知った私たちは、どのような生き方をすべきでしょうか。一人ひとり考え、それを実践しましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • あなたがイエスさまを信じようと思ったきっかけは何ですか? 特に誰かの影響を強く受けましたか?
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  • もうダメだと思うような出来事が、かえって素晴らしい状況のきっかけになったという経験がありますか?
  • あなたにとって、自分自身ではどうしようもない罪の問題は何ですか?
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