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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

神からの問いかけ

ヨブ記

(2019年6月23日)

参考資料

ヨブは、ユダヤ人にモーセの律法が与えられる前の時代の人です(その根拠は、ユダヤ人であることを示す表現がない、モーセの律法について言及されていない、モーセの律法によればアロンの子孫しかできない祭司の務めを果たしている、など)。

ヨブが住んでいたウツの地は、具体的な場所が分っていませんが、死海の南、エドム地方だろうと考えられています。

イントロダクション

愛であり全知全能である神が存在するなら、なぜこの世に苦しみがあるのか、自分は苦しまなければならないのか。多くの信仰者が持つ疑問の一つです。義人として知られていたヨブも、訳の分らない苦しみを味わった人です。

今回は、問題にぶつかったときの私たちの対処法を、ヨブ記から教えていただきましょう。

1.ヨブ記のあらすじ

ヨブの苦しみ

最初の部分で、ヨブについてこう書かれています。「ウツの地に、その名をヨブという人がいた。この人は誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていた」(1:1)。神さまはヨブを大いに祝福しました。7人の息子と3人の娘がおり、彼らは互いに仲良く暮らしていました。また、羊7千匹、ラクダ3千頭、牛1千頭、雌ロバ500頭を所有し、多くのしもべたちを抱えていました。

そして、聖書は天における神さまとサタンの問答について書いています。元々天使の頭であったサタンは、神さまに反逆した時に天を追い出されましたが、今でもしばしば天に昇って信者たちの罪を暴き立てています(ゼカリヤ3:1、黙示録12:10)。

ヨブのことを誇らしく思っておられる神さまに、サタンはこう言って挑戦しました。神さまがヨブのことを大いに祝福しておられるから、ヨブもあなたに感謝し仕えているのであって、逆に問題に巻き込まれたらきっとあなたのことを呪うだろう」。別の言い方をすれば、ヨブは神さまからの祝福を愛しているのであって、神さまご自身を愛しているのではないという言い分です。

あくまでもヨブを信頼する神さまは、サタンに対し、ヨブの命を取ることは許さないが、それ以外好きにせよとおっしゃいました。サタンがどんなに賢く強くても、神さまの許可がなければ何もできないということが分ります。

そのようなわけで、ヨブは大切な家族や財産を一瞬の内に失ってしまいます。家畜たちは盗賊に奪われたり、雷に打たれて死んでしまったりしました。子どもたちは突風で家が崩れて下敷きになり全員死亡。しもべたちのほとんどもこれらの災難に巻き込まれて死んでしまったのです。

それでもヨブは神さまを呪いませんでした。代わりにこう言います。「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。【主】は与え、【主】は取られる。【主】の御名はほむべきかな」(1:21)。

非常に有名なみことばですが、ヨブの物語はこれで終わりではありません。サタンは敗北しましたが、これで諦めたりはしませんでした。またも神さまの許可を取ると、今度はヨブ自身に手を伸ばします。ヨブの体は腫物で覆い尽くされ、その腫物はひどいかゆみを与えました。そこで、ヨブは土器のかけらで体をかき続けなければならなくなりました。

それでも神さまに対して誠実でいようと心がけるヨブに向かって、妻は「神を呪って死になさい」と罵ります。しかし、それでもヨブは神さまを呪おうとはしませんでした。

そこに3人の友だちが見舞いにやってきます。そして、あまりにもひどい状態のヨブを見て、上着を引き裂き、塵をかぶって悲しみました。しかし、ヨブに対して何も言葉をかけられずに、ただ7日間共に過ごしました。

ヨブと友人たちの問答

7日後、ヨブは口を開きました。彼の口から出てきたのは、神さまに対する直接の呪いの言葉ではありませんでしたが、ヨブは自分が生まれた日を呪います。こんな人生を送るなら生まれてこなければ良かったというわけです。

すると、3人の友人たちは次々とヨブを責め始め、ヨブとそれぞれ3度に渡って問答を繰り広げます。

友人たちの主張を簡単に要約すると、こうです。
  • 神さまが理由なくヨブをこんなひどい状態になさるわけがない。
  • ヨブが罪を犯したため、さばきが下ったのだ。
  • だから、悔い改めなさい。
  • そうすればきっと神さまは許してくださり、苦しめるのをやめてくださる。
一方、ヨブの主張を要約すると、こうです。
  • 自分は正しく誠実に生きてきた。
  • こんなひどい苦しみに釣り合うほどの罪を犯した覚えはない。
  • 一方、自分よりもはるかにひどい罪を犯している人々がのうのうと生きている。
  • どうして神さまはこんな苦しみを自分に与えておられるのか理解できない。
  • しかも、どんなに理由を尋ねても、神はその答えを与えてくださらない。
彼は友人たちに、また祈りの中で神さまにそう訴えました。
こういったやり取りが、4章から32章まで延々と続けられます。最初はヨブに同情的だった友人たちは、素直に罪を認めて悔い改めようとしないヨブに怒りを覚えるようになり、ヨブもまた、彼が本当に言いたいことに耳を傾けようとせず、言葉尻を捉えて自分を責め続ける友人たちに腹を立てて、議論は次第にけんか腰になっていきます。そうして、ついに友人たちはヨブに言い返す言葉を失って、沈黙してしまいました。
エリフの語りかけ
そこに突然エリフという若者が登場します。エリフはずっと4人の問答を聞いていましたが、友人たちが沈黙してしまったのでついに口を開きます。彼はヨブを説得できなかった3人の友人たちを責めました。彼らは因果応報の考えに凝り固まっていて、ヨブは罪を犯したからこうなったのだと信じて、何とかヨブに罪を認めさせようとして、結局失敗しました。そもそもその前提が間違っていたのです。

確かに罪の結果さばきがやってくることがあります。しかし、苦しみの意味はさばきだけではありません。生まれつき目の見えない人について、イエスさまはそれがその人の罪でも親の罪でもなく、神さまのわざが現されるためだとおっしゃいました(ヨハネ9:1)。そしてその人をいやされました。当時の聖書の教師たちは、生まれつきの盲人をいやすことができるのは救い主だけだと教えていましたから、この奇跡はイエスさまが約束の救い主だということをユダヤの人々にはっきりと証ししました。まさに、神のわざがその人を通して地上に現されたのです。

ところが友人たちは、苦しみは神さまからのさばき以外ないと決めつけていました。エリフが問題にしたのはその点です。

また、エリフはヨブについてもこう指摘しました。「聞け。私はあなたに答える。このことであなたは正しくない。神は人よりも偉大なのだから。なぜ、あなたは神と言い争うのか。自分のことばに、神がいちいち答えてくださらないからといって」(33:12-13)。

ヨブは因果応報の考え方に染まってはいませんでしたが、自分は神さまのお考えをすべて理解できるし、自分は神さまを動かすことができると考えていました。それは有限な人間に過ぎないあなたの思い上がりだとエリフは言います。

神の語りかけと結末

エリフが語り終えると突然嵐が起こり、その中から神さまが語り始めます。しかし、ヨブが一番知りたかったこと、すなわちどうしてヨブにこんな苦しみが与えられたのかということについて、神さまは最後まで明かすことはなさいませんでした。それを明かしてしまっては意味がありません。たとえ目に見える祝福が与えられなくても、そして理由が分らない苦しみに遭ったとしても、それでもヨブは神さまを愛し続けるはずだというのが、サタンに対する神さまの主張だからです。

代わりに、神さまはヨブに問いかけました。「わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。分かっているなら、告げてみよ。あなたは知っているはずだ。だれがその大きさを定め、だれがその上に測り縄を張ったかを」(38:4-5)。さらに神さまは、天地創造について、また天地の万物がどのように動き、生きているのかについて、70を超える質問をヨブに投げかけました。

そのどれ一つとしてヨブは答えることができません。これらの質問の目的は、神さまの偉大さをヨブに改めて知らしめることです。ついにヨブは神さまに告白しました。

ヨブは【主】に答えた。『あなたには、すべてのことができること、どのような計画も不可能ではないことを、私は知りました。あなたは言われます。「知識もなしに摂理をおおい隠す者はだれか」と。確かに私は、自分の理解できないことを告げてしまいました。自分では知り得ない、あまりにも不思議なことを。あなたは言われます。「さあ、聞け。わたしが語る。わたしがあなたに尋ねる。わたしに示せ」と。私はあなたのことを耳で聞いていました。しかし今、私の目があなたを見ました。それで、私は自分を蔑み、悔いています。ちりと灰の中で』」(42:1-6)。

ヨブは自覚しました。
  • 自分は、神さまがなさることと、そうなさる理由をすべて理解できるはずだと思い込んでいた。
  • また、ヨブの方が神さまに向かって「さあ、聞け。わたしが語る。わたしがあなたに尋ねる。わたしに示せ」と命じるような態度で苦しみの意味を尋ね、答えてもらえない方とふてくされていた。
そして、これらの態度は傲慢だったと悔い改めたのです。

神さまはその祈りを良しとなさいました。また、3人の友人たちには、神さまのことを正しくヨブに伝えなかったという理由で、犠牲をささげてヨブにとりなしの祈りをしてもらいなさいと命じます。

その後、神さまは再びヨブを祝福なさいました。もちろん死んでしまった人々の代わりにはなりませんが、それでも新しく7人の息子と3人の娘が生まれ、財産は以前の2倍になりました。

では、私たちは問題にぶつかったとき、苦しみに遭ったとき、どのようにすればいいでしょうか。

2.苦しみに遭ったとき

罪のせいにしない

自分や他の人が苦しみに遭ったとき、簡単に罪のせいにしないことです。神さまは、信者が罪を犯して一向に悔い改めないとき、一種のショック療法として、あるいは教育的指導として、苦しみをお用いになることがあります。その場合には、罪を自覚させ、悔い改めさせることが目的ですから、教育的指導であることがはっきりと分る形で苦しみがやってきます。

苦しみは罪の罰だけではありません。たとえば、私たちの信仰の筋肉を鍛え、さらに成長させるためにも苦しみは用いられます。また、苦しみの中でも喜びや優しさを失わない信者の姿を通して、他の人々に感動を与えて救いに導くためにも用いられます。

単純に苦しみは罪の罰だと考えるのは、苦しみに遭っている自分や他の人をますます苦しめるだけになります。ちょうど、ヨブを慰めに来たはずの3人の友人たちがかえってヨブを苦しめるだけになってしまったように。

神に信頼する

私たちは苦しみに遭ったとき、神が愛だというのは本当なんだろうか、神が全知全能だというのは本当なんだろうか、そもそも創造主の神など存在するのだろうかと考えることがあります。

ヨブも、自分が罪の罰を受けているとは思っていませんでしたが、「それならばなぜ」という問いかけをしました。しかし、その問いに神さまはお答えにならず、代わりにヨブに様々な質問をなさいました。それにより、ヨブは神さまの偉大さを改めて思い知りました。

神さまは、私たちの理解をはるかに超えて偉大です。その愛は計り知れず、その知恵は計り知れず、その力も計り知れません。私たちがそれを感じようと感じまいと、その事実は変わりません。

そして、むしろ神さまの方が私たちに問いかけておられます。「わたしはあなたを造り、あなたを救い、あなたを愛し、あなたが住むこの世界を正しく間違いなく動かしている創造主である。あなたはそれを信じるのか? それとも信じないのか?」

私たちは、その問いに正しく答えたいと思います。ヨブのように、「私は信じます」と。
キリストの苦しみ
正しい生き方をしたヨブは、想像を絶する苦しみを次から次へと味わいました。しかし、いかに正しいヨブであったとしても、アダムの子孫である以上罪の性質が全くないわけではありません。

しかし、全く罪がなかったのに、ひどい苦しみを味わった方がいます。人として来られた子なる神、救い主イエスさまです。

罪のないイエスさまが人類の代わりに罪人とされ、父なる神さまからの怒りを一身に受けて苦しんでくださったのは、私たちの罪を赦し、私たちを神さまとの永遠の交わりの中に呼び戻すためです。

苦しみの中で神さまの愛を疑いそうになったとき、イエスさまの十字架を思い出しましょう。私たちのために御子イエスさまでさえもお与えになった方が、私たちに最善以外のことをなさるはずがありません。

正しい生き方を選び続ける

ヨブが苦しみに遭ったとき、妻は「神を呪って死になさい」と言います。こんなになっても罪を犯そうとしないヨブが理解できなかったのでしょう。

苦しみに遭ったとき、もう真面目に神なんかに仕えていられるかと罪を犯すのは、こんな目に遭わせた神を呪い、神に腹いせをすること、復讐することです。

しかし、そうしたからといって、神さまが反省して苦しみを取り除いてくださったりはしません。むしろ、自分自身が犯した罪によって、ますます自分が苦しみを深めることになりかねません。

ヨブの「答えてください」という祈りに対して、神さまはヨブが聞きたかった答えはなさいませんでしたが、それでもヨブが納得できる方法で神さまは語ってくださいました。神さまは、確かに苦しみの中で絞り出されたヨブの祈りに答えてくださったのです。

詩篇にこう書かれています。「知れ。【主】はご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき【主】は聞いてくださる。震えわななけ。罪を犯すな。心の中で語り床の上で静まれ。セラ 義のいけにえを献げ【主】に拠り頼め」(詩篇4:3-5)。

苦しむとき「なぜ」と尋ねたくなりますが、私たちは逆に神さまに尋ねられていると先ほど語りました。それは神さまが愛や知恵や力に満ちており、最善以外なさらないお方だと信じるかどうかという問いかけです。さらに神さまは私たちにお尋ねになります。「では、私がそのような者だと知ったあなたは、今この苦しみの中で、どのような行動を取るのか?」

答えの出ない「なぜ」に囚われるのではなく、偉大な神さまが私にどんな行動を望んでおられるのか、自分は偉大な神さまの前でどのように生きるべきなのか、それを考え、決断し、実行しましょう。

この話をお読みください

まとめ

苦しみは私たちへの神さまからの語りかけです。信仰によって応答しましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 今、あなたは苦しみを体験していますか? それにどのような意味づけをしておられますか?
  • 後になって苦しみの意味が分ったということがありますか?
  • 苦しみの中で神さまに祈り、何か答えが与えられた経験がありますか?
  • 今の苦しみが神さまからの語りかけだとすれば、神さまはあなたにどんな問いかけをしておられると思いますか?
  • 今、神さまがあなたに望んでおられる行動は何だと思いますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

連絡先

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