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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

霊的大人の考え方

エペソ人への手紙3章12節〜16節

(2019年8月4日)

イントロダクション

増田牧師一家が東京から須賀川に引っ越してきたのが、1999年の7月31日。中通りコミュニティ・チャーチの最初の礼拝は10月でしたが、教会としてスタートしたのは8月1日でした。というわけで、本日は記念礼拝です。

今回の箇所は、私たち中通りコミュニティ・チャーチの理念、特徴をよく表している聖句です。これまで様々な形で取り上げてきましたが、開拓20周年を記念して、この箇所を改めて味わいましょう。

パウロは15節で「大人である人はみな、このように考えましょう」と語っています。その内容は、私たちが2つの視点で自分の生き方を考えるということです。

1.2つの視点

前を見つめて進む

パウロは13節で「うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし」と語っています。パウロがまず教えているのは、前、すなわち将来を見据える視点です。

パウロ自身、そのような視点を持って生きていた人です。大きな幻を描き、それを目指して生きた人でした。しょせん自分の人生はこんなもんだと、安値安定で満足することをしませんでした。自分はまだ完成されていないと自覚しながらも、それでももっと人として、神のしもべとして成長できると信じていました。

聖書は、私たちがやがて復活したとき、人として完成すると教えています。もはや罪を犯すことがない栄光の体が与えられるからです。しかし、この地上では不完全であり、時に罪を犯してしまいます。

それでもこう書かれています。「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」(第2コリント3:18)。

完成されるのは復活した後であって今は不完全であっても、それでもこの地上に生きている限り少しずつ作り変えられて、あのイエスさまのような、すばらしい人格に近づくことができる。今より、もっと聖くなれる、もっと愛にあふれることができる、もっと勇気を持てるようになる、もっと前向き・肯定的になれる、もっと勤勉になれる、もっと知恵に満ちることができる、もっと大胆になれる、もっときめ細やかな心配りができるようになる……。

そして、自分の努力によって達成できるようなレベルの人生ではなく、神さまが人生に介入してくださり、奇跡に満ちあふれた人生を送ることができると信じよう。パウロは私たちをそう励ましています。

特に、私たちが神さまのしもべとして働く中で、神さま自身の素晴らしいお働きが豊かに現されることをパウロは期待していました。

もっともっと神さまのすばらしさを知りたい。頭で知っているだけでなく、そのすばらしさを具体的に体験したい。そして、そのすばらしい神さまのために、質的にも量的にも、もっともっとすばらしい働きをしたい。そのために、もっともっと人格的に成長したい。この箇所は、飽くなき成長の願望を抱き続けることを私たちに教えています。

足下を見つめて努力する

もう一つの視点は、16節に書かれています。「ただし、私たちは到達したところを基準にして進むべきです」。

到達したところとは、目標に向かって進んでいる自分が、現在どういう状態にあるのかということです。

たとえば、須賀川から国道4号線を南に向かって歩き始めたとします。目標地点は東京の日本橋です。ある人は自分よりもずっと前に歩き始めたため、自分よりもずっと先、たとえばもう東京都に入ったあたりにいるかも知れません。また別の人はついさっき歩き始めたばかりで、まだ鏡石あたりを歩いているかも知れません。

たとえ同時に歩き始めたとしても、一人ひとり歩くスピードが違いますし、途中で長い休憩を取ったり寄り道をする人がいたりしますから、現在どこを歩いているかは一人ひとり異なりますね。

私がゴール直前の人を見て自分はダメだと落ち込んだり、自分よりも後ろにいる人を見て「あの人はダメだな」と馬鹿にしたりすることには意味がありません。むしろ「自分には無理だと」思って歩くのを諦めてしまったり、「ウサギとカメ」のウサギのように安心してかえって遅れてしまったりするでしょう。

日本橋に到着するという最終目標をいつも思い描く必要があります。と同時に、それを目指す長い道のりの中で、今自分がどこにいて、次にどこを目指しているのかという下位目標もしっかり思い描く必要があります。そして、その次の下位目標に到達するために、今できる精一杯の努力を積み重ねるのです。

たとえば、私が今白河を歩いているなら、次の目標地点は那須塩原です。そこに向かって、一歩一歩進んでいきます。途中で白河ラーメンの誘惑が襲ってきても、それを振り切って先に進みます。

これが「到達したところを基準にして進む」ということです。

両方大切

今回の箇所は、大きな幻を描いてそれが実現することを信じることと、現在の自分の状況をしっかり認めて今しなければならない努力を積み重ねること、その両方が大切だということを教えています。どちらが欠けてもなりません。
  • もし最終目標を思い描かなかったら、自分がどこに向かっているのか分らず、今しなければならないことも分らないで、ただ場当たり的な行動を繰り返すだけになるでしょう。
  • 一方、「こうなったらいいのになあ」と夢想するばかりで、そこに近づくために今しなければならないことを考えなければ、いつまでたっても変わりません。
クリスチャンとして、神さまが約束しておられる素晴らしい未来の姿を思い描き、そうなれると信じましょう。そして、そういう自分になるために、今必要なこと、今取り組まなければならない努力のポイントは何だろうかと考え、一生懸命それに取り組みましょう。この箇所はその2つが大切だと教えています。

それでは次に、今回の箇所を無視している霊的な子ども、霊的に未成熟な人がどんな特徴を持つかを考え、そこから逆説的に霊的な大人に必要な考え方を導き出しましょう。

2.霊的な子どもの特徴

場当たり的に行動する

霊的に未成熟な人は、自分がどこを目指しているのか、どんな自分になることを目指しているのかが不明確です。そのため、行動が場当たり的になります。すなわちその時その時自分が何をしたいかを基準に行動したり、みんながやっているからという理由で行動したりしてしまいます。

「何をするか」も大事ですが、「何のためにするか」も大事です。「何のために」という目的や最終目標が明確でないと、「何をするか」も分らないし、逆に「何をしないか」も分らずよけいなことに時間とエネルギーを浪費してしまうことでしょう。

人として、クリスチャンとして、あなたはどうなりたいですか? どんな人生を送りたいですか? どんな神さまの働きを実現したいですか? あなたの目標はどこにありますか? 神さまのみこころに照らして、大きな大きな幻を描きましょう。

そして、その幻の姿と比べて今の姿はどうですか? 理想状態に到達していないことは、悪いことではありません。それはあなたに、成長の可能性、祝福の可能性が残されているということです。

あなたが人としてどんな可能性を秘めているか知りたければ、福音書を読みましょう。特に、ルカの福音書がお勧めです。そして、そこに描かれているイエスさまをイメージしましょう。それが、あなたのモデルです。あなたは、イエスさまのようになれます。

1年後、あなたはどうなっていたいですか? 5年後、どうなっていたいですか? 10年後、どうなっていたいですか? 大きな幻を思い描き、それを祈り求めましょう。そして、その姿に近づくために、今しなければならないことは何だろう、今しなくてもいいことやしてはならないことは何だろう。そういう考え方をしましょう。それが霊的大人の考え方です。

自分のせいにする

霊的に未成熟な人は、物事がうまくいかない時に、自分を責めて落ち込んだり嘆き悲しんだりするばかりです。そして、「じゃあこれからどうしようか」ということに思いを向けて、再出発することができません。

自分の現状を認めるというのは、自分の足りないところ、ダメなところを責めることではありません。

たとえば、あなたがフルマラソンの大会に出場してで完走するという目標を持ったとしましょう。今の状態で、規定時間内に完走できますか? できるならOKです。出場できそうな大会を探してエントリーしましょう。しかし、できそうにもないときは、どこに問題があるかを探して、認めなければなりません。

心肺能力が低くて、持久力が保たないのかもしれません。骨折していて、走るどころか、歩くこともままならないのかもしれません。もしかしたら、太りすぎで、膝に負担がかかりすぎるのかもしれません。

仮にフルマラソンを走りきることができないのが、持久力がないせいだったとしましょう。どんなに自分の持久力のなさを責めて落ち込んだとしても、自分を罰して傷つけたとしても、それでフルマラソンが走れるようになるわけではありませんね。持久力を付けるために必要なことを考え、そのための訓練をしない限り、フルマラソンを走れるようにはなりません。

骨折のせいで走れないなら、まず骨折を治すのが先決です。太りすぎのせいで走れないのであれば、ダイエットして膝への負担を軽くすることに時間とエネルギーを費やす必要があるでしょう。

イエスさまは、パウロの罪も、弱さも、不完全さも、全部赦してくださってます。そして、あなたのことも赦してくださっています。だから、「到達したところを基準にして」進んでいくことができます。すでに達している今の姿を、イエスさまはだめだとは、おっしゃいません。そこから始めよう、今のあなたにできることをやってみようとおっしゃってくださいます。

他人のせいにする

また、霊的に未成熟な人は、物事がうまくいかないとき、周りの人や社会や神さまのせいにして責めます。そして、「じゃあこれからどうしようか」ということに思いを向けて、再出発することができません。

自分の現状を認めるというのは、うまくいかない現実を他の人のせいにもしないということです。

たとえば、今の持久力ではフルマラソンを走りきることができない人が、自分の持久力を十分育ててくれなかったと言って親や過去の担任たちを責めたとしても、それでフルマラソンが走れるようになるわけではありません。

イエスさまは、十字架と復活によって私たちを神さまの子どもにしてくださいました。今置かれている状況がどんなに私たちにとって残念なものであったとしても、私たちを子どもとして愛してくださっている神さまの許可の元に起こっていることです。父なる神さまは私たちに最善以外のことは決してなさいません。

ですから、今置かれている状況をいたずらに嘆き、それを他の人のせいにして呪うのではなく、感謝し、今できることを精一杯行なうことで、神さまが用意してくださっている祝福を刈り取りましょう。

一瞬自分を責めて落ち込んだとしても、あるいは一瞬他の人や神さまのことを責めるような思いになったとしても、すぐに「自分がこんな状況なのは残念だけれど、じゃあ今の自分にできることは何だろうかと考えを切り替えましょう。これが霊的な大人の考え方です。

まとめ

今回の箇所が私たちに教えていること、すなわち大きな可能性と完全な赦しの教えは、私たちは神さまに信頼されているということです。

私たちは弱く不完全です。すぐに神さまのみこころよりも、自分の欲望の方を、神さまの栄光よりも、自分のプライドの方を選んでしまうような自己中心的な存在です。

しかし、神さまは、そんな私たちのためにイエスさまを送ってくださり、すべての罪を赦してくださいました。それは、私たちが前に向かって、すなわち神さまのみこころにかなう生き方の方向に変化、成長してくれると、信じておられるからです。

確かに、失敗するかもしれません。いや、確実に失敗するでしょう。これまで何度も神さまは私たちに裏切られてきたし、これからだって裏切られ続けることでしょう。それでも、この子は何度でも立ち上がり、やり直してくれる。そして、一歩一歩であっても前に進んでくれると信じておられるのです。この私たちのことを!

ものすごい信頼ですね。その信頼に、応えたいですね。

あなた自身への適用ガイド

  • あなたは、ご自分の人格の中で、特にどのような点でイエスさまのようになりたいと思われますか?
  • あなたは、あなたの人生を通して、どのように神さまのすばらしさを現したいと思っていますか?
  • 今のあなたの生き方を振り返って、特にどの点で修正が必要だと思われますか?
  • 神さまが理想としておられるあなたに近づくために、今さしあたってあなたがしなければならないことは何だと思いますか?  またそのために自分がやめた方がいいことは何だと思いますか?
  • それをするのに、何か困難がありますか? その困難について、神さまに祈ったり、教会の兄弟姉妹にサポートの祈りを求めたりしたら、どうなると思いますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

連絡先

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