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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

熱心と知識

テサロニケ人への第二の手紙2章1節〜8節

(2019年8月25日)

参考資料

この第二の手紙は、第一の手紙が書かれてそれほど時を置かず、コリントで書かれたと考えられています。

1節の「私たちの主イエス・キリストの来臨と、私たちが主のみもとに集められること」とは、携挙のことです(第1テサロニケ4:13-18参照)。キリストはやがて地上に戻ってこられますが(地上再臨)、その前に教会の聖徒たち(クリスチャン)は死者も生者も栄光の体が与えられ、空中に引き上げられます。キリストは空中で私たちを出迎えてくださり(空中再臨)、天に連れて行ってくださいます。

2節の「主の日」は、終末時代に7年間続く大患難時代のこと。地上は様々な戦争や災害に見舞われ、地上に残された人々が苦しみを受けます。特に後半の3年半は、「不法の者」によるイスラエルに対する大変な迫害が起こります。そして、7年の終わりにキリストが地上に戻ってこられ、不法の者を始めすべての不信者を滅ぼし、サタンや悪霊を千年間封印します。

3節の「不法の者」は、大患難時代に世界を征服し、自らを神だと宣言して人々に礼拝することを求め、ユダヤ人をこの世から完全に抹殺しようとして迫害する人物、「反キリスト」のこと。黙示録では「獣」と呼ばれています。
彼にその力を与えるのはサタンです。「すると悪魔はイエスを高いところに連れて行き、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せて、こう言った。『このような、国々の権力と栄光をすべてあなたにあげよう。それは私に任されていて、だれでも私が望む人にあげるのだから。だから、もしあなたが私の前にひれ伏すなら、すべてがあなたのものとなる』」(ルカ4:5-7)。

イントロダクション

私たちが無味乾燥な信仰生活ではなく、感動や喜びに満ちた信仰生活を送るために必要な心構えは何でしょうか。

1.地に足を付けた生活

第一の手紙のテーマ

前回も解説しましたが、迫害のせいでパウロはテサロニケに3週間しか留まることができませんでした。そのため、信仰生活に必要な聖書の教えを十分伝えることができませんでした。

第一の手紙で、パウロは携挙について詳しく教えました。テサロニケ教会の人々が、「すでに死んでしまったクリスチャンたちは、携挙の恵みを味わうことができないのではないか」という心配をしていたからです。

テサロニケは迫害が非常に激しく、教会のクリスチャンたちは大変な苦しみの中にありました。ですから、キリストが自分たちを平和と喜びに満ちた天に迎え入れてくださる携挙を、特に強く願い求めていました。

しかし、携挙の前に死んでしまったクリスチャンが携挙の恵みを受けることができないとしたら、それは大変なことです。迫害でいつ命を落としてもおかしくない状況にあったテサロニケ教会の人々にとって、これは今すぐに解決しなければならない重要な疑問だったのです。

それを知ったパウロは、第一の手紙の中で携挙について詳しく教えました。

第1コリント
4:13 眠っている人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないためです。
4:14 イエスが死んで復活された、と私たちが信じているなら、神はまた同じように、イエスにあって眠った人たちを、イエスとともに連れて来られるはずです。
4:15 私たちは主のことばによって、あなたがたに伝えます。生きている私たちは、主の来臨まで残っているなら、眠った人たちより先になることは決してありません。
4:16 すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、
4:17 それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
4:18 ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい。


すなわち、死んだ人々は復活して携挙されるのだとパウロは教えたのです。それにより、テサロニケ教会の人々は大きな平安と慰めを覚えました。

知識に基づく熱心

それからしばらくして、パウロは再びテサロニケ教会の様子を耳にしました。非常に厳しい迫害を経験していた彼らの中に、すでに大患難時代がやってきたと考えた、そう教えていた人がいました。その結果、次のような人たちが現れました。
  • 自分たちは携挙の恵みから漏れてしまったのではないかと慌てふためく人たち。「霊によってであれ、ことばによってであれ、私たちから出たかのような手紙によってであれ、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いても、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください」(2:2)。
  • 間もなくキリストが再臨なさってこの世が終わると考えて、仕事をやめてしまう人たち。「あなたがたのところにいたとき、働きたくない者は食べるな、と私たちは命じました。ところが、あなたがたの中には、怠惰な歩みをしている人たち、何も仕事をせずにおせっかいばかり焼いている人たちがいると聞いています。そのような人たちに、主イエス・キリストによって命じ、勧めます。落ち着いて仕事をし、自分で得たパンを食べなさい」(3:10-12)。
このようなことはテサロニケ教会に限ったことではありません。歴史上教会の中でしばしば起こってきた現象です。先の世紀末の頃にも、間もなくキリストが再臨なさってこの世が終わると教え、信徒に仕事を辞めて財産をすべて献金し、伝道の仕事に専念するよう教える教会があったと聞いています。あれから20年たちますが、仕事をやめた人たちはその後どうなったのでしょうか。

テサロニケ教会の人々は信仰に熱心でした。その熱心は、大変な迫害の中でもイエスさまへの愛を失わず、信仰を守り通す力を生み出しました。信仰的に熱心であるということはすばらしいことです。しかし、その熱心は聖書に関する正しい知識に基づいていなければなりません。パウロは、第二の手紙の中でそのことを訴えようとしています。

終末に関する聖書の教え

さて、聖書の預言を素直に読むと、キリストによる救いの歴史は次のような順番で起こることが分ります。
  1. キリストの誕生(初臨。受肉)
  2. 十字架
  3. 復活
  4. 昇天
  5. 聖霊降臨と教会時代(今の時代はここです)
  6. 携挙(空中再臨)
  7. 7年間の大患難時代
  8. 再臨(地上再臨)
  9. 千年王国(神の国、天の御国)の時代
  10. サタンとの最後の戦い
  11. 今の宇宙の消滅と白い御座のさばき(最後の審判)
  12. 永遠に続く新しい天と新しい地の創造
もう少し詳しく知りたい方は、こちらのページの「歴史の流れ」の項目をご覧ください。
携挙はいつ起こるか分らない
携挙はいつ起こってもおかしくありません。今日起こる可能性もありますし、千年後かも知れません。その時期は天の父なる神さま以外誰も知りません。天使はもちろんイエスさまでさえそれがいつ起こるか知らないとおっしゃいました。「ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。父だけが知っておられます。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたは知らないからです」(マルコ13:32-33)。

何月何日にテストがあると分っていれば、その前の日に徹夜して詰め込み勉強をすることもできるでしょう。しかし、いつ抜き打ちテストが行なわれるか分らない状態であれば、毎日コンスタントに勉強して備えておく必要があります。そうでないと「普段から勉強しておけば良かった」と後悔することになりますね。

イエスさまがマルコの福音書でおっしゃっているのは、今日地上の生活が終わるかも知れないのだから、「こんなことなら、もっと価値あることに時間とエネルギーを費やせば良かった」と後悔しないような生き方をしなければならないよということです。パウロも第一の手紙の中で、きよい生き方を目指そうと励ましています(第1テサロニケ4:1-7)。
大患難時代は、その時になったら分る
一方、大患難時代については、携挙と違って起こるための前提条件があります。大患難時代は、イスラエルの国が不法の人(反キリスト)と呼ばれる人物と契約(安全保障条約のようなものと思われます)を結ぶことでスタートするからです。「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる」(ダニエル9:27)。
聖書の「週」は「一定期間が7つ集まったもの」を意味します。ここでは7年間の意味です。
パウロは、まず不法の人(反キリスト)が現れなければ、大患難時代はやってこないとテサロニケ教会の人々に教えました。そもそも、携挙が起こらなければ大患難時代は来ません。だから、慌てふためかないようにと励ますと共に、どうせすぐこの世が終わるんだからと仕事もしないで人のお節介ばかり焼く人々を戒めました。

では、ここから私たちはどんなことを学ぶことができるでしょうか。

2.熱心でしかも落ち着いた生活を送ろう

熱心であること

パウロは、テサロニケ教会の人々が、神さまに救われ、愛されていることに感動し、喜びに満たされ、たとえ命を失うことがあったとしても積極的に神さまにお仕えしていきたいと願っていること、その熱心さを喜び、評価しています。私たちもまた、熱心にイエスさまとの関係を深め、お仕えしていきましょう。
反面教師
イエスさまは、使徒パウロを通してテサロニケ教会に2通の手紙を送った約50年後、今度は使徒ヨハネを通してラオディキア教会にメッセージを送りました。

前々回、コロサイ人への手紙の解説の中で触れたように、ラオディキア教会はコロサイ教会同様にエパフラスの伝道によって誕生したと考えられています。最初は正統的な信仰を保ち、熱心にイエスさまに仕えていたのでしょうが、何十年も経つうちに教会の霊的な状態がすっかり変わってしまいました。

黙示録で、イエスさまはこのようにおっしゃっています。「また、ラオディキアにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、確かで真実な証人、神による創造の源である方がこう言われる──。わたしはあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。そのように、あなたは生ぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしは口からあなたを吐き出す」(黙示録3:14-16)。

「熱い」状態というのは、神さまに愛されていること、一方的に赦され救われたこと、子どもとして神さまに本当の幸せを手に入れることができるよう導かれていることを知り、感動し、喜び、こころのそこからかみさまをほめたたえ、神さまのみこころに従うよう熱心に努めている状態です。

一方、「冷たい」状態というのは、キリストによる救いを拒否している状態です。しかし、そういう人は自分がキリストに敵対していることを知っています。そして、やがてパウロのように救いを体験し、「熱い」状態に変わる可能性があります。

それから、熱くもなく冷たくもない、「生ぬるい」状態というのは、本当はイエス・キリストの恵みの福音を信じて救われていないのに、宗教的な儀式を行なっているからという理由で、自分がクリスチャンであるかのように誤解している状態です。彼らはクリスチャンのようですがクリスチャンではありません。だから、黙示録3:20で、イエスさまは戸の外に立っておられ、戸を叩きながら「中に入れておくれ」とラオディキア教会の人たちに語りかけておられます。
救われていることを意識しよう
といっても、自分が救われているんだろうかと不安にならないでください。救われているかどうかは、あなたが恵みの福音を信じたかどうかです。すなわち、「イエス・キリストは、私の罪を赦すために十字架にかかり、死んで葬られ、3日目に復活なさった」ということを認めたかどうかです。もしあなたが人生のある日ある時、そのことを認めたのであれば、あなたは誰が何と言おうとクリスチャンです。神さまの愛する子どもです。神の国を相続する王子・王女です。そして、これまで恵みの福音を信じていなかったとしても、今それを信じるなら、その瞬間からあなたは神さまの子ども、クリスチャンです。

自分が神さまにどれだけ愛されているか、どれだけ祝福されているか、どれだけ期待されているか、どれだけ守られているか、それをいつも意識していましょう。

聖書に親しむこと

パウロは、私たちが熱心であることの重要性を説きつつも、その熱心が正しい知識に基づいたものでなければならないと教えています。

ローマ書でも、パリサイ派の信仰を持っているユダヤ人についてこう語っています。「私は、彼らが神に対して熱心であることを証ししますが、その熱心は知識に基づくものではありません」(ローマ10:2)。統一協会やエホバの証人の人たちも、熱心に活動していますよね?

先日、あちこちで危険なあおり運転を繰り返し、あげくに高速道路上で別の車を無理矢理停止させて、ドライバーを殴って怪我させた男性が逮捕されました。彼の車にはサングラス姿の女性が同乗しており、彼を止めるどころかガラケーで動画を撮っていた姿がドライブレコーダーに移っていましたが、彼女も犯人をかくまった罪でやはり逮捕されました。

当初、警察が顔写真を公開して全国指名手配したのは男性の容疑者だけでした。そこで、ネット上で「サングラスのガラケー女」の正体を探す動きが起こります。まったく無関係の会社経営者の女性が容疑者だというデマ情報が、一気にネット上に広まりました。

その根拠は? たまたま男性容疑者がSNSその女性の投稿をフォローしていたということと、その女性がSNSに上げていた写真が「サングラスのガラケー女」にちょっと似ていたという理由だったようです。そして、それを拡散した人たちも、その情報が本当に正しいのかどうかを確認することなく広めてしまいました。

その結果、このまったく無関係の女性のSNSに誹謗中傷の書き込みが大量にされたり、会社に抗議の電話が一日何十本もかかってきて、平穏な生活や正常な業務が全く行なえない状態になってしまったりしたのです(現在、名誉毀損や業務妨害で、デマを広めた人たちに対する法的措置を検討中とか)。

正しい知識、健全な理性の伴わない熱心は、人を傷つけたり、問題の解決をかえって遅らせたりしまいます。

私たちに神さまや神さまのみわざに関する正しい知識を与えてくれるのは、聖書です。聖霊なる神さまも、主に聖書の言葉を用いて私たちに様々なことを教えてくださいます。ですから、私たちは聖書を熱心に学び、正しい聖書知識に基づいて、救われている喜び、祝福されている感動に満たされ、熱心に神さまに仕えていきましょう。

まとめ

そして、いつ携挙が起こっても後悔しないよう、神さまに喜ばれる生き方をいつも目指すと共に、自分が死ぬまで携挙が来なかったとしても後悔しないような、地道で落ち着いた生き方を心がけましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 「知識に基づかない熱心」の状態に陥っている人について、最近何か見聞きしたことがありますか?
  • あなたが最も神さまに熱心に仕え、交わっていたのはいつですか? もしそれが今でないなら、その時のように熱心になるために必要なことは何だと思いますか?
  • 聖書を通して、神さまへの愛が深まったり、どんな犠牲を払っても神さまに従いたいという思いが深まったりした経験が最近ありましたか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

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