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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

目指すべき目標

テモテへの第1の手紙1章3節〜7節

(2019年9月1日)

参考資料

パウロは、紀元62年頃にローマで皇帝ネロの裁判を受けた後、無罪とされて釈放されました。そして、その後再び逮捕され、67年頃にローマで殉教したという伝承があります。テモテへの2通の手紙とテトスへの手紙(これら3通を牧会書簡と呼びます)は、その間に書かれたものでしょう。第1テモテは、マケドニア滞在中に書かれたものと思われます(1:3)。

この手紙の宛先であるテモテはリステラの人で、信者であるユダヤ人の母ユニケとギリシャ人の父の間に生まれました。祖母ロイスも熱心な信者です(第2テモテ1:5)。そして、パウロが第2回伝道旅行でリステラに赴いた際、彼に同行することになりました(使徒16:1-3)。

その後パウロの伝道活動を支えました。パウロがエルサレムで捉えられてローマに送られる間は別の場所で活動していたようですが、ローマで軟禁されている間にはパウロと共にありました(ピリピ1:1など)。パウロの手紙の半数(第2コリント、ピリピ、コロサイ、第1・第2テサロニケ、ピレモン)に、共同発信者として名前が挙がっています。

伝承によれば、テモテは65年頃にエペソ教会の監督となり、80年頃に町の異教徒たちによって殺されたと言われています。パウロがこの手紙を書いた時もエペソに滞在していました(1:3)。

4:12には「年が若い」と書かれていますから、パウロに同行し始めた紀元49年頃が20歳前後で、第1テモテが書かれた65年頃には30代半ばほどだったのでしょう。

イントロダクション

この手紙は、パウロから後輩伝道者であるテモテに対して書かれたものです。しかし、その内容は牧師や宣教師や教会役員だけが知っていればいいものではありません。

私たちの人生には限りがあります。与えられた時間を意味のあるものとし、本当に価値あるものを生み出せるようになるために必要なことは何でしょうか。どうしたら手に入るのでしょうか。パウロからテモテへのアドバイスから、それを教えていただきましょう。

1.テモテへのアドバイス

むなしい議論

パウロが第3回伝道旅行を終えてエルサレムに向かう途中、ミレトスにエペソ教会の長老たちを呼んで話をしました。そして、自分はエルサレムで逮捕され、もう二度とあなた方に会えないと語った後、このような警告をしています。「私は知っています。私が去った後、狂暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、容赦なく群れを荒らし回ります。また、あなたがた自身の中からも、いろいろと曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こってくるでしょう」(使徒20:29-30)。

「凶暴な狼」とは、間違った教えを広める偽教師、偽預言者たちのことです。それから6、7年後、果たしてパウロが警告した通りの状態になってしまいました。
違った教え
3節の「違った教え」とは、たとえばキリストの恵みの福音を否定して、モーセの律法を守れば救われるというような別の救いの道を教える異端のことです。
果てしない作り話と系図
では、4節の「果てしない作り話と系図」とは何でしょう。旧約聖書には、様々な歴史が書かれています。ある事件については大変詳しく書かれていますが、別の事件については簡単にしか書かれていません。それは、神さまが人間に伝えたいと思っていらっしゃるテーマに、あまり関係ないことだからです。

ところが一部の教師たちは、その簡単にしか書かれていない部分、事件と事件の間の全く記述がない部分の物語を、想像力をたくましくして作り上げていきました。また、聖書の中に出てくる人物の名前や系図を元にして、これまたいろいろな物語を作り上げました。これが「果てしない空想話と系図」です。

ところが、それらは聖書にはっきりと書かれていることを元にした話ではなく、あくまでもそれぞれが勝手に想像したものです。そこで、そういう作り話から様々な教訓が生み出され、それが教会内で議論を生じさせていました。もちろん、聖書という客観的な基準を抜きにした議論である以上、それがまとまるはずがありません。

パウロは「そのようなものは、論議を引き起こすだけで、神に委ねられた信仰の務めを実現させることにはなりません」(4節)と切り捨てています。

目標をしっかり自覚する

そして、パウロは新しくエペソ教会の指導者となったテモテに対して、そのようなファンタジーに無駄な時間とエネルギーを奪われないために、教会の人々に信仰生活の目標をしっかり確認させなさいとアドバイスしました。

神さまに委ねられた信仰の務め(新共同訳:信仰による神の救いの計画)を実現するために必要なことは、私たちの信仰生活が「きよい心と健全な良心と偽りのない信仰から生まれる愛」を目標とすることです(5節)。そして、空想話や系図にこだわる偽教師たちの教えは、人々から愛を引き出すものではないとパウロは断じたのです。

パウロは別の箇所でもこう教えています。「たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、愛がなければ、何の役にも立ちません」(第1コリント13:1-3)。

神さまのみこころを探るために、クリスチャン同士がそれについて議論すること自体は良いことです。しかしながら、相手を打ち負かすことを目的とした「議論のための議論」では意味がありません。神さまは愛ですから、私たちの生き方も愛に基づいたものでなければならないのです。

神への愛

聖書の教えの目標は愛の実現ですが、それは私たち人間同士が愛し合うようになるということだけではありません。

聖書は、神さまが私たちを愛してくださっていることを、繰り返し教えています。その最大の証拠が、イエスさまの十字架です。イエスさまは、私たちの罪が赦され、私たちを天の父なる神さまの子どもにして、神さまとの深い愛の交わりを回復させるためなら、ご自分のいのちを犠牲にしても惜しくないと思われました。

私たちが、神さまが喜ばれる行ないをしようとするのは、そうしないと神さまに呪われて、恐ろしい罰を受けるからではありません。自分に注がれている神さまの愛を思う時、もったいなくて、うれしくて、それ故に、私たちは神さまを愛します。時に自分の都合や、世間の評判を犠牲にしても、それでも神さまが喜ばれる生き方をしたいと願い、それを実践しようとします。

正しい自己愛

そして、イエスさまがご自分の命を捨てても惜しくないと思われるほどに、あなたのことを大切に思ってくださっているのですから、あなたがあなた自身のことを大切にするのは当然です。

しかし、自分を大切にすることを求めるのは、自己中心的なのではないでしょうか? 確かに、聖書は、最大の愛は自己犠牲だと教えています。「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません」(ヨハネ15:13)。

夫婦に関する教えでも、妻は夫に従い、夫は妻のために死ぬことを教えています(エペソ5:22-33)。要するに、夫も妻も、自己犠牲的に相手に仕えなさいということです。親子の関係、雇い主と労働者の関係でも同じです(エペソ6:1-9)。

ただし、自分をゴミのように粗末にしている人が自分を犠牲にしたとしても、それはゴミをプレゼントとしてささげるようなものですね。自分を宝物のように大切にしている人が自己犠牲を払うからこそ、その行為に意味があるのです。

自分を大切にするというのは、短絡的に目の前の快楽を追い求めるということではありません。たとえば、刹那的な幸福感のために暴飲暴食を繰り返し、それで体を壊してしまったら、それは自分を大切にしているとは言えません。

また、自分を大切にするというのは、自分の幸福のために他人を犠牲にしても気にしないということでもありません。たとえば、自分の欲求のままに自己中心的に振る舞い続け、それで家族や友人たちとの関係がおかしくなってしまい、孤独になるとしたら、それは自分を大切にしているとは言えません。

神さまを愛し、人を愛し、自分自身を愛する。それが私たちクリスチャンの生き方の本筋です。その目標から外れているなら、どんなに口で屁理屈を並べたとしてもそれは聖書が教えるクリスチャン生活ではありません。パウロは、テモテにそのことをエペソ教会の人たちに教えるよう勧めました。そして、聖霊なる神さまは、この手紙を通して私たちにもそのことを教えておられます。

2.目標を見失わないようにしよう

目標を立てよう

パウロは、クリスチャンとして生きること、その一挙手一投足に目標があることを教えています。私たちは、普段から目標を立て、目標達成のためにその時その時の行動を考えて選んでいるでしょうか?

「目標を立てないで行動することは、失敗することを目標として行動しているようなものだ」と言った人がいます。目標がなければ、その時その時、自分の欲望ものままに行動してしまったり、周りの意見に巻き込まれて行動してしまったりします。それだけ、無駄なことに時間とエネルギーを費やすことになってしまいます。

自分は、生涯かけてこのことを達成することを目標に生きる。そのために、この10年間でこのことを達成する。そのために、この1年でこのことを達成する。そのためにこの1ヶ月で、この1週間で、今日1日でこのことを達成する。そのために、今これを行なう。そういうふうに計画を立てて生きていくならば、限られた時間とエネルギーを十分に用いて、無駄のない人生を送ることができます。
人生の目標

最終目標は愛の実現

しかし、どんな目標を立てるにせよ、最終的な目標が神さまのみこころから外れていたら、その途中で短期的に聖書的な行動をしたとしても、その人生の価値は大きく損なわれてしまいます。

私たちクリスチャンの目標は、この世で物質的に繁栄することでも、世間の評判を博することでもありません。神さまへの愛、他の人への愛、自分自身への愛を実現することです。

自分が今している行動、あるいはこれからしようとしている行動が、何をゴールにしているのかということを再確認してみましょう。
  • その行動は、本当に神さまへの愛を実現しているでしょうか?
  • その行動は、本当に他の人を大切にし、その人に本当の幸せをもたらすための行動でしょうか?
  • その行動は、本当に自分を本当の幸せに導くものでしょうか?
たとえば
たとえば、私が他人の言動について、その不十分さや誤りを指摘しようとしたり、代わりにどうすべきか指導しようとしたりしたとします。その際、私はこんなふうに検討しなければなりません。
  • いつの間にか、相手よりも自分の方が優れているということを証明するための指摘になっていなかっただろうか?
  • いつの間にか、自分がお役に立てる有能な人物であることを証明するためのアドバイスになっていなかっただろうか?
  • 相手の努力や工夫などの肯定的な面を無視して、ただ結果だけで否定的な評価をしていなかっただろうかただろうか?
  • その時の気分次第で、相手に対する評価や態度を変えてはいなかっただろうか?
  • 相手に対する軽蔑から出た言動ではなかっただろうか?
この話をお読みください

まとめ

今、あなたがしていること、しようとしていることは、本当の意味で他の人やあなた自身に永遠に続く幸せをもたらすものですか? それは永遠に続く価値につながることですか? そして、神さまが喜んでおられることですか? 愛を目標として、一瞬一瞬の言動を整えましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • あなたがしていることで、あなた自身や他の人の幸せにはつながらないものはありませんでしたか? もしあったとしたら、どのようにそれを変えていけばいいでしょうか?
  • 他の人を大切にするために、今週できることは何ですか?
  • 自分を大切にするために、今日できること、また、これから続けたらいいと思うことは何ですか?
  • 神さまへの愛をより良く表すために、あなたはこれからどんなことに心がけたいと思いましたか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

連絡先

〒962-0001
福島県須賀川市森宿辰根沢74-5

TEL 090-6689-6452
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