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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

いのちの御霊の法則

ローマ人への手紙8章1節〜11節

(2019年10月6日)

参考資料

今回の箇所で「律法」と訳されている言葉は、ギリシャ語では「ノモス」で、掟、しきたり、基準という意味の他に、原理、原則、法則という意味もあります。2節のノモスを、新改訳2017では他の節と同様「律法」と訳していますが、口語訳や新共同訳では「法則」、新改訳第三版では「原理」と訳しています。

イントロダクション

本日の午後は毎年恒例の野外焼き肉パーティが行なわれますので、いつものシリーズを離れて、肉に関する聖書の箇所を取り上げました。聖書が「肉」と言う場合、一体何を表しているのでしょうか。そして、パウロは2節で「キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放した」(口語訳)と語っています。「いのちの御霊の法則」とは、どのようなものなのでしょうか。

1.御霊はイエス・キリストによって罪から解放する

こういうわけで

1節の「こういうわけで」という言葉は、1〜7章までの内容を受けている言葉です。パウロは7章までで、神さまが人間に与えた律法、すなわち行動の基準は絶対に正しいものなのに、人間はユダヤ人も異邦人も全員不合格となった、すなわち罪を犯して神さまの敵となり、死後に永遠の刑罰を受けることになったと語りました。誰一人として、行ないの正しさを示すことによって神さまに満足していただき、永遠の刑罰を免れることができる人はいません。

パウロ自身、7章で自分自身の心情をうめくように吐露しています。「私には、自分のしていることが分かりません。自分がしたいと願うことはせずに、むしろ自分が憎んでいることを行っているからです」(7:15)。「私は、したいと願う善を行わないで、したくない悪を行っています」(7:19)。

聖書が「肉」と言うとき、肉体、または肉体を持った動物(特に人間)を意味する場合もありますが、生まれながらの不完全で罪深い人間の性質のことを指す場合もあります。パウロがローマ書で語っている「肉」は後者の意味です。パウロは、自分自身の中にも罪に誘う強力な性質があって、頭でどんなに正しく生きようと決意しても、いつの間にか罪を犯してしまうと嘆いているのです。これが2節で語られている「罪と死の律法」(法則・原理)です。

そして、パウロはこういう言葉で7章を締めくくっています。「私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか」(7:24)。これは、すべての人間が問うべき質問です。

キリストにある

その問いかけに対するその答えとして、パウロは1節の言葉を語りました。「こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません」。

この「キリストにある」(英語だと "in Christ")というのは、パウロが好んで使う表現です。「私たちクリスチャンはキリストの中にある」ということです。そして、キリストの中にある私たちは、決して罪に定められません。

ウォッチマン・ニーという伝道者が、「キリスト者の標準」(いのちのことば社)という本の中で「キリストにある」ということを分かりやすく説明してくれています。今、本の中にメモ用紙を1枚挟んだとします。これは「メモが本にある」状態です。本を本棚に入れると、本に挟まったメモも本棚に入ります。本をゴミ箱に捨てると、メモも捨てられたことになります。本を焼いてしまうと、メモも焼けてしまいます。同様に、私たちが「キリストにある」とき、イエス・キリストが経験なさったことは、私たちの経験となるのです。

3節で、パウロは「神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わし、肉において罪を処罰されたのです」と語っています。これはこういうことです。
  1. 神さまはきよいお方ですから、神さまへの違反、すなわち罪は罰しなければなりません。それはこの世界を創造なさった世界の王である神さまの当然の権利です。
  2. しかし、神さまはそれでも人間を愛しておられ、永遠の滅びという刑罰を与えたくないと思われました。
  3. そこで、神さまは罪のない御子イエス・キリストを人として地上に送り、罪人たちの代わりに処罰なさいました。これが十字架の死です。
  4. 人間は直接は処罰されてはいませんが、もしも「キリストにある」ならば、キリストと一緒に処罰されたことになります。
  5. すでに処罰されたのですから、もう罰を受けることはありません。
  6. その結果、「キリストにある」私たちは赦され、罪のない者とされました。

キリストにあるためには

では、どうしたら「キリストにある」ことができるのでしょうか。第1コリント1:30にはこう書かれています。「しかし、あなたがたは神によってキリスト・イエスのうちにあります」。

何か特別な修行をする必要は無いし、献金も、良い行ないも必要ありません。もうすでに、神さまの一方的なはからいによって、あなたは「in Christ」であり、あなたの罪はすべて赦されているのだと聖書は語ります。過去犯してきた罪、今犯している罪、これから犯すであろう罪、すべてです。赦されただけでなく、あなたは神さまの愛、恵み、祝福を堂々といただくことのできる存在となりました。あなたのすることは、そのことを信じて「ありがとうございました」と受け取るだけです。

これが「いのちの御霊の法則」の第1です。 

2.御霊は神に従う力を与える

罪を犯し続けていいのか

正しい行ないをしなくても、一方的に神さまの計らいによって罪を赦され、神さまの祝福を無限にいただくことができる存在になったのなら、それを信じて赦されたら、後は前のように神さまの思いを無視して、自分勝手に生きていいのでしょうか。そういう意見に対して、パウロはこう語ります。「では、どうなのでしょう。私たちは律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから、罪を犯そう、となるのでしょうか。決してそんなことはありません」(6:15)。

確かに、私たちはイエス・キリストにあって、すべての罪を赦されています。しかし、ただ赦されただけではなく、次第に神さまに従うことができるようになっていきます。これが「いのちの御霊の法則」の第2です。「それは、肉に従わず御霊に従って歩む私たちのうちに、律法の要求が満たされるためなのです」(4節)。

肉に従うとは

「肉に従う」とは、古い生まれたままの人間性に従うということ、神さまの存在や助けを計算に入れないで、もっぱら自分の欲望や決断や努力によって生きるということです。しかし、これには限界があります。

7章でパウロがうめいているのは、この限界に突き当たったからです。こんなふうに生きていてはいけない、こんなことやってはいけないと分かっているのにやめられない。神さまが喜ばれる正しい生き方がしたいと思うのに、それができない。それは、自分の中に、神さまのみこころなんてどうでもいい、自分の好き勝手やりたいという思いがあるからです。

ある方がおっしゃいました。「クリスチャンとして生きるなんて不可能だ」。その通り、不可能です。私たちは「生きる」のではなく「生かされる」のです。私たちのがんばりによって神さまに従えるようになるのではなく、神の御霊である聖霊さまが私たちの内に住み、私たちを造り変え、私たちに勇気や元気ややる気を与え、気がつくと神さまが喜ばれる生き方ができるようにしてくださるのです。聖書はそう教えています。

聖霊さまに満たされて、聖霊さまによって歩むこと。これがクリスチャン生活の秘訣です。すでに聖霊さまはあなたの内に住んでいてくださいます。その声に耳を傾けましょう。聖霊さまに助けを求めましょう。

3.御霊は復活させる

キリストにあって復活する

そして、「命の御霊の法則」の第3の法則は、私たちは御霊によって復活するということです。

神さまから切り離され、体は生きていても霊が死んでいた私たち。すなわち、罪のために永遠の滅びが定められ、また罪のために本当の自由な生き方ができなくなっていた私たち。しかし、御霊はキリストによって私たちにいのちを与え、解放してくださいました。

新しい肉体での復活

そればかりでなく、たとえ肉体が死んだとしても、御霊は新しい体を与え、復活させてくださいます。私たちは「キリストにある」者であり、イエスさまの経験が私たちの経験になりますが、イエスさまは復活なさいました。同様に、私たちも復活するのです。

死が人生の終わりであれば、何と空しいことでしょうか。どんなにがんばって勉強しても、仕事をしてお金を儲けても、どんなに良いことをしても、逆にさぼって悪の限りを尽くしても、結局は同じように死んで土に還るのです。しかし、死は終わりではなく、第2の人生への通過点です。

そして、新しい復活の体が与えられたとき、私たちは罪そのものから解放されます。地上では、確かに聖霊さまによって少しずつ罪の性質から自由になっていきますが、完全に罪のせいすつから解放されて、二度と再び罪を犯さなくなる状態にはなれません。しかし、世の終わりに新しい栄光の体が与えられたとき、私たちは罪の性質から完全に解放されて、ただただ神さまのみこころに喜んで従うことができる存在になれます。

黒人霊歌の中に「ディープ・リバー」という歌があります。深い川(死)を越えると、そこはすばらしい神さまのみもとであるという歌です。家畜同様のひどい扱いを受けていた黒人奴隷の方々が、それでも人間としての尊厳を失わず、日々を力強く生きておられたのは、人生はこの地上だけではないということを知っておられたからです。やがて自分たちは復活し、神さまの王国に、王子・王女として迎え入れられると。

死は私たち人間にとって、最大の問題でしょう。しかし、それさえも神さまは乗り越える力を与えてくださっています。日々の生活の中に起こってくる様々な問題についても、もちろん神さまは支えてくださいます。今、聖霊さまに力を求めましょう。

まとめ

クリスチャン生活の鍵は、聖霊さまです。あなたがクリスチャンなら、すでに聖霊さまはあなたの内におられます。このお方ともっともっと関係を深めることができるよう、神さまに祈りましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 7章のパウロのうめきのように、最近、自分のことを惨めな存在だと思ったことがありますか?
  • あなたの罪は完全に赦されています。そのことを受け取るなら、あなたの人生はどう変わりますか?
  • これは自力我力で達成したのではなく、聖霊さまのお助けだと感じるような事が最近ありましたか?
  • たとえ死んでも復活するという教えは、今のあなたにとってどんな意味がありますか?
  • 今日の聖書の箇所を読んで、どんなことを決断しましたか?

連絡先

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福島県須賀川市森宿辰根沢74-5

TEL 090-6689-6452
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