本文へスキップ

礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

感謝の心

コロサイ人への手紙3章12節〜17節

(2020年1月5日)

イントロダクション

2020年がスタートしました。今年のテーマ聖句は、コロサイ3:15です。特に「感謝」をこの1年のキーワードに選びたいと思います。

1.神への感謝

礼拝行為としての感謝

日本語訳の聖書で「感謝」と訳されている言葉を含む節は160近くあります。そのほとんどは対象が神さまです。そして旧約聖書では、その多くが「賛美(の歌)」あるいは「いけにえ」とワンセットになって登場します。感謝は神さまへの公の礼拝や個人的な礼拝の中でささげられていたということです。

感謝の内容

感謝について書かれている聖書箇所を読んでみると、聖書記者たちがささげている感謝の内容が主に2つあることに気づかされます。それは神さまの「恵み」と「摂理」です。 「【主】に感謝せよ。その恵みのゆえに。人の子らへの奇しいみわざのゆえに」(詩篇107:8)。
恵み
神さまの恵みとは、私たち人間の行ないや心の状態がどうであったとしても、神さまの側では私たちを一方的に愛し、祝福してくださっているということです。

聖書の神さまは、その恵みを特に御子イエスさまをこの地上に遣わしてくださることによって表してくださいました。イエスさまは、神さまを無視して自分勝手意に生きてきた私たちの罪に対する罰を、身代わりとなって受けてくださいました。そのために私たちの罪はなんの償いもなく一方的に赦されました。私たちはそのままの姿で神さまの子どもとされ、永遠の祝福をいただく権利が与えられたのです。

私たちがこうして神さまを礼拝し、何でも祈ることができるのは、当たり前のことではありません。神さまの犠牲を伴う恵みのおかげです。そのことをいつも忘れず感謝したいですね。
摂理
神さまの摂理とは、「正義であり愛であり全知全能である神さまが、ご自身の計画に従ってこの世界を無から創造し、今もこの世界を支配し、その目的に向かって導いておられる」ということです。

小説やドラマについて語る際、しばしば「伏線」という言葉が使われるのをお聞きになったことがあるかと思います。伏線とは、未来に起こる重要な出来事を、些細なかたちで前もって暗示しておく物語の手法のことです。よくできた小説やドラマではあちこちにそれとは分からないような形で伏線が張られていて、それらがクライマックスで一気に解消されて驚きや感動を生み出します。

詩篇107篇の作者は、宇宙の歴史、人類の歴史、イスラエルの歴史、そして個人の歴史を振り返ったとき、何でも無い出来事、偶然にしか見えなかった出来事、自分の感覚では最悪としか思えなかった出来事。それらがいつの間にか素晴らしい出来事に変わっていくのを見ました。神さまが様々な伏線を張り巡らされ、それが見事に回収されているのを知ったのです。そして感動し、それを「奇しいみわざ」と呼んで神さまに感謝の礼拝をささげました。

神さまの摂理の例は、2019年6月9日のエステル記からのメッセージで取り上げました。それ以外にも摂理の例はたくさんありますが、ここでは創世記のヨセフの記事を挙げておきます。
  1. ヤコブは11番目の息子ヨセフを溺愛したため、ヨセフは他の息子たちの嫉妬の的となります。そして、兄たちはヨセフが野獣に殺されたことにして、エジプトに奴隷として売り飛ばしてしまいました。
  2. エジプトの高官ポティファルの奴隷となったヨセフは誠実に主人に仕えて結果も出していったため、ポティファルはヨセフを信頼して家全体を取り仕切る執事に任命しました。
  3. ところが、ポティファルの妻がヨセフを誘惑します。ヨセフがこれを頑として断り続けると、かわいさ余って憎さ百倍というわけで、妻はヨセフに強姦されかけたとポティファルに訴えました。その結果、ヨセフは投獄されてしまいます。
  4. 牢に入れられたヨセフは、監獄長の目にとまって片腕として働くようになりました。そして、あるとき罪を犯して投獄された2人の高官の世話を任されます。
  5. 2人の高官がそれぞれ不思議な夢を見ます。ヨセフはそれを解き明かしました。それは、一人は間もなく死刑になるが、もう一人は赦されて元の仕事に復帰するというものでした。ヨセフは、やがて赦される高官に、自分は無実の罪で投獄されているから、そのことを王に取りなしてくれと頼みます。ところが、この高官は釈放されるとすっかりそのことを忘れてしまいます。
  6. 2年後、エジプト王が不思議な夢を見ます。誰もその内容を説き明かせなかったとき、あの高官がヨセフのことを思い出します。そして、牢から出されたヨセフは見事にその夢を解き明かしました。その内容は7年の方策の後に7年の世界的な飢饉が起こるという物でした。王は感激し、ヨセフを総理大臣に任命して飢饉に備えさせました。
  7. 世界的な飢饉がやってきて、カナンの地にいるヤコブ一家も喰うに事欠くようになりました。ところが、エジプトはヨセフのおかげで豊作のうちに食糧を大量に備蓄していました。そこで、ヤコブは息子たちを遣わして食糧を分けてもらうことにしました。兄たちに自分の正体を明かして彼らと和解したヨセフは、ヤコブ一家をエジプトに呼び寄せました。
  8. ヤコブ一家はエジプト人が忌み嫌っていた羊を飼う者たちでしたから、彼らはエジプト人たちが住む場所から離れたゴシェンという所に住みました。そのおかげで彼らはカナンやエジプトの偶像礼拝から守られ、わずか70人だった家族が400年後には数百万人の国家に成長していました。
兄たちに嫉妬され、奴隷として売り飛ばされたこと。主人の妻に一方的に誘惑され、拒否したら冤罪によって投獄されたこと。せっかく夢を解き明かしてやったのにすっかり忘れられ、2年間もさらに牢に留められたこと。それらはヨセフにとってつらい出来事です。しかし、それがあったからこそイスラエル民族に素晴らしい祝福が注がれることになったのです。

この世界には、知恵に満ち愛に満ち正義に満ちた神さまの配慮が見事に行き届いています。もちろん、摂理のわざは、私やあなたの周りにも張り巡らされています。その時その時は不幸のどん底にいるような気がして、何が奇しいみわざなのか理解できなかったとしても、いつかきっと「あのことがあったから今のこの祝福がある」と気づくときがやってきます。

信仰告白としての感謝

ですから、私たちクリスチャンはそれを信じて、苦しみの中でも先取りの感謝をささげます。将来起こる素晴らしい出来事に対してだけでなく、現に起こっている苦しいことそのものについても感謝するのです。それは、神さまが摂理の神であることを信じる信仰告白です。

イエスさまは「あなたの信じたとおりになるように」とおっしゃいました(マタイ8:13)。神さまの摂理を信じて、苦しみでさえも感謝しましょう。1日に最低1つは感謝の種を見つけて感謝しましょう。

2.人への感謝

コロサイ書3章

今回の箇所に「感謝の心を持つ人になりなさい」(15節)と語られています。それは、第一には先ほど述べてきたように神さまに対する感謝の心です。16-17節にも神さまに対して感謝するよう語られています。「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名において行いなさい」。

しかし、直前の12-14節は人間関係についての教えが語られています。人に不満を抱いたとき、その人を責めるのではなく、イエスさまが私たちにしてくださったようにその人を赦し、さらに愛するように、すなわち良いことを行なうようにとパウロは命じています。「ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です」。

ですから、私たちは「感謝の心を忘れるな」というこの命令を、神さまに対する感謝の心だけではなく、人に対する感謝の心ともとらえたいと思います。

謙遜

さて、12節に私たちが身につけるべき性質の一つとして「謙遜」が挙げられています。謙遜は神さまが人間に求めている良い性質の中でも特に重要なものの一つです。というのは、罪とは謙遜の反対である傲慢が生み出すものだからです。
  • サタンは被造物である天使に過ぎなかったのに、自分があまりにも素晴らしい存在なので傲慢になり、神さまに取って代わろうとして反逆し、堕落しました。
  • アダムとエバは、神さまが食べてはならないと命じた木の実を食べました。それを食べると神のようになれると思ったからです。
罪とは、「神なんかいらない。自分が自分の人生の神となって自分の好きなことを好きなようにするんだ」という態度、すなわち傲慢から生まれるのです。ですから、聖書は私たち人間が謙遜であることを求めています。

そして、謙遜でなければ神さまに対してはもちろん、他の人に対しても感謝はできません。

以前も申し上げたことがありますが、日本語の感謝を表すことば「ありがとう」は「有り難し」から来ているそうです。すなわち、「あり得ないようなことをしていただいた」という感動の言葉です。ですから「ありがとう」の反対語は「当たり前」です。

こちらが傲慢になって頭が上がれば、周りの人は自分に奉仕すべき奴隷のような存在に見えてきます。ですから、周りの人たちが自分にどんな良いことをしてくれたとしても、それは奴隷として当然のことです。

「してもらって当然」という思いを持っていれば、人に対して感謝なんか生まれません。それどころか、あれもしてもらっていない、これも足りないと不平不満ばかりが生まれることでしょう。

この話をお読みください

これは神さまからの祝福についても同じです。恵みに対する感謝のところで述べたとおり、罪人であった私たちは、本来なら神さまの祝福をいただくのは当然ではありません。

神さまに対して、あるいは人に対して不平不満が生まれたら、どこかで傲慢になっていなかっただろうか、いつの間にか神さまや他の人が自分の思い通りに動いてくれて当然と思い込んでいなかっただろうか、神さまや他の人を自分の奴隷のように見下げていなかっただろうかと反省し、直ちに悔い改めましょう。

そして、むしろ当たり前と思えるようなことに対しても、それが当たり前ではないのだと再確認して、積極的に感謝を表しましょう。

表現する

聖書の記者たちは、神さまに対する感謝の思いを心の中に留めたのではなく、それを言葉や行ない、すなわち祈りや賛美歌やいけにえという形で表現しました。

私たちも、神さまに対してはもちろん、家族や友だちや同僚やそれ以外の人たちに対して、相手に伝わるように表現しましょう。言葉で「ありがとう」と言う、感謝の贈り物をするなどです。

あるおじいさんが虫の息となり、枕元にいるおばあさんに「今まで本当にありがとう」と言って亡くなりました。結婚して初めて口にした感謝の言葉です。それはそれで感動的ですが、どうせなら若いときから毎日感謝やねぎらいの言葉をかけてさしあげれば良かったのにとも思います。

私は近隣の村でスクールソーシャルワーカーという仕事もしています。保護者の皆さんに折に触れてお願いしていることは、子どもたちに家事の分担をさせることです。そして、子どもたちが自分の分担を果たしたならば(たとえ100%のできでなくても)「ありがとう、助かるよ」と感謝することです。「偉いね」とほめるのではなく感謝するのです。

それによって子どもたちは自己肯定感(本当の自信)を育てることができ、いろいろなことにチャレンジしたり、最後まであきらめずにやり通したりできるようになります。また、「人を悲しませるようなことではなく、人を幸せにするようなことをしよう」という道徳心を養うことができます。

大人であるあなたも、感謝されることによってやる気や元気や慰めや励ましを感じることができるでしょう? ですから、私たちの方から感謝を積極的に表しましょう。

まとめ

今年は特に感謝を意識した一年にしましょう。神さまの摂理を信じてあらゆる事を感謝し、また人に対しても何事も「当たり前」と思わないで感謝を具体的に表しましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 今、あなたが神さまに感謝していることは何ですか?
  • 今、苦しくてつらいことを一つあげるとすれば何ですか? そのつらい出来事側が身に起こったことを、摂理の神さまに感謝してみましょう。あなたの気持ちや考え方に何か変化が起こりましたか?
  • その時は分からなかったけれど、以前の出来事が今の祝福につながったというあ、あなた自身が体験した摂理のわざがありますか?
  • あなたは最近、誰に対してどのような感謝をささげましたか?
  • 神さまや人に対して傲慢な思いを持っていませんでしたか? もしそうだとすれば、それはどのような態度として表れていましたか?
  • あなたが感謝を忘れていた人がいませんか? もしいるならば、いつどのように感謝を表しますか?

連絡先

〒962-0001
福島県須賀川市森宿辰根沢74-5

TEL 090-6689-6452
E-Mail info@nakakomi.com