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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

人の常識と神のわざ

ルカによる福音書1章5節〜25節

(2020年1月12日)

参考資料

この福音書は医者であるルカという人によって書かれました。続編の使徒の働き(使徒行伝)もルカによって書かれ、ともにテオピロというおそらく身分の高い人物が宛先となっています(神の友という意味の名なので、個人ではなくクリスチャン全体に宛てて書かれたという説もあり)。ルカは、コロサイ4:11と14から異邦人信者だと考えられていますが、ローマ3:2を元にユダヤ人だと主張する人もいます。

5節の「アビヤの組」は、全部で24組あった祭司の組の一つ(第8組)。各組は年2回、1週間ずつの持ち回りで神殿の奉仕に当たりました。「アロン」はモーセの兄で、モーセの律法によると祭司はアロンの子孫の中から任命されました。

9節の「香をたく」奉仕は祭司が行なう儀式の中でも特に名誉あるものでした。当時祭司が2万人いたと言われますから、一生に1度も担当できない祭司もたくさんいました。

12節でザカリヤが取り乱したのは、「祭司が間違ったやり方で香をたくとさばきによって死んでしまう」と信じられており(レビ10:1-2参照)、さらに伝承として「その場合、天使が香壇の右に現れる」と言われていたからです。

17節の言葉はマラキの預言が背景になっています。「見よ。わたしは、【主】の大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、この地を聖絶の物として打ち滅ぼすことのないようにするためである」(マラキ4:5-6)。

19節の「ガブリエル」は、預言者ダニエルの前に2回現れ(ダニエル8:16-26と9:21-27)、処女マリアの前にも現れています(ルカ1:26-38)。

イントロダクション

これからしばらくルカの福音書をご一緒に読んで参りましょう。今回は、子どもがいなかったザカリヤの前に天使が現れ、彼ら夫婦はもう年を取っていたにもかかわらず子どもが生まれることを告げた場面です。

ここから、私たち人間の常識と、神さまが私たちの幸せのためになさることはずれることがあるということを見ていきましょう。それによって神さまが用意してくださっている幸福を十分に味わうことができるようになりましょう。

1.計画通りでなくても幸せ

敬虔な夫婦

祭司であるザカリヤとその妻エリサベツは非常に敬虔な人々で、彼らはモーセの律法を忠実に実行していました。「二人とも神の前に正しい人で、主のすべての命令と掟を落度なく行っていた」(6節)。

もちろん人は皆不完全であり、罪をまったく犯さない人は一人もいません。モーセの律法の中には、律法の命令に違反したとき、どのようにして罪を赦していただいて神さまとの関係を回復するかということも定められています。ザカリヤ夫妻は罪を自覚したときにそれを実践していました。

ザカリヤ夫妻が「正しい人」だと言われているのは、罪がないという意味ではなく、罪を犯したことに気づいたときにそれを認めて神さまに赦しを求める誠実さや謙遜さを持っていたという意味です。

彼らが抱えた不幸

ところが、そんな彼らだったにもかかわらずずっと子宝に恵まれず、もう妊娠を期待できない年齢になってしまいました。

古代イスラエルでは子ども、特に跡継ぎとして父親の財産と職業を受け継ぐ息子が生まれることをとても重視していたからです。

ですから、かつての日本でもそうでしたが、結婚して何年も子どもが生まれない女性には大変なプレッシャーがかかります。後に奇跡によって妊娠したエリサベツが「主は今このようにして私に目を留め、人々の間から私の恥を取り除いてくださいました」(25節)と語っていますが、それまでの彼女は非常に肩身の狭い思いを強いられていたのです。

因果応報

さて、私たち人間、特に日本人の心の奥底には「因果応報」の考え方が染みついています。良いことをすれば良いことが起こり、悪いことをすれば悪いことが起こるという考え方です。

その考え方に従えば、こんな立派なザカリヤ夫妻には子ども、特に跡継ぎとなる息子が生まれて当然ということになります。当時の感覚では、それが夫婦にとっての最大の幸せだったからです。

しかし、ザカリヤ夫妻には子どもが生まれませんでした。彼らは長いこと真剣に子どもを求めて神さまに祈ってきたことでしょう。それでも生まれなかったのです。

私たちは、「こういうことがこういうタイミングで起こることがベストだ」と考えます。私たちなりの幸せの計画を立てているのです。ですから、その計画通りに物事が進まないと、落ち込んだりイライラしたり悲しくなったりします。

では、自分たちの願い通りに子どもが与えられなかったザカリヤ夫妻は神さまに呪われていたのでしょうか。そうではありません。

ある人の祈りが聞かれないのはなぜか。なぜある人がつらい目にあったのか。それはその人が不信仰だからだ。その人が罪を犯したからだ。そう考えるのは間違いだということがここから分かりますね。私たちもそういう間違った因果応報の考え方を捨て去りましょう。

2.得でなくても幸せ

喜びの理由

天使ガブリエルは、妻エリサベツが妊娠して男の子を産むと約束しました。そして、それによってザカリヤは大いに喜ぶことになると語りました。「あなたの妻エリサベツは、あなたに男の子を産みます。その名をヨハネとつけなさい。その子はあなたにとって、あふれるばかりの喜びとなり、多くの人もその誕生を喜びます」(13-14節)。

では喜びの理由は何でしょうか。「その子は主の御前に大いなる者となるからです。彼はぶどう酒や強い酒を決して飲まず、まだ母の胎にいるときから聖霊に満たされ、イスラエルの子らの多くを、彼らの神である主に立ち返らせます。彼はエリヤの霊と力で、主に先立って歩みます。父たちの心を子どもたちに向けさせ、不従順な者たちを義人の思いに立ち返らせて、主のために、整えられた民を用意します」(15-17節)。
  • 「エリヤの霊と力で」というのは、旧約聖書に登場する預言者エリヤを満たした聖霊なる神さまがザカリヤの子ヨハネを満たし、エリヤに与えられたような力をヨハネに与えるということです。
  • 「主に先立って歩む」というのは、旧約聖書が預言してきた救い主がいよいよ現実に登場し、そのちょっと前にヨハネは公の働きを始めるということです。
  • その働きとは、ユダヤ人たちが救い主を信じて従うことができるように、人々を教えてその心を整えることです。

祭司ではない生き方

ザカリヤは祭司でした。その家に生まれた息子は当然父親の仕事を受け継いで祭司となります。ザカリヤもエリサベツも親戚も同僚たちもそれを期待していたでしょう。そして、だからこそこれまで息子が生まれなかったということが彼らにとってつらくて苦しい事実だったのです。

そんなザカリヤ夫妻に神さまの奇跡が働いて息子が生まれるとガブリエルは言います。ところが、その子はザカリヤの後を継いで祭司になるのではありません。天使ガブリエルによればエリヤのような働きをする預言者です。

この当時の祭司は今で言う国家公務員です。生活は安定しています。ところが、預言者には経済的な安定もないし、それどころか迫害や殉教の危険さえあります。

エリヤは旧約時代、紀元前9世紀半ばに活躍した預言者です。当時イスラエルは北王国と南王国に分かれていましたが、エリヤがいた北王国はアハブ王とイゼベル王妃によって偶像礼拝が支配していました。そのような状況で、エリヤはまことの信仰を守るために彼らと戦いました。聞くだけならかっこいいですが国家権力との戦いです。聖書の神を信じる敬虔な人々は、アハブとイゼベルによって次々と殺されていました。ですから戦いは非常に過酷であり、一時エリヤはうつ状態に陥って死を願ってさえいます。

愛する息子が、あなたの後を継がないどころか、そのような過酷な働きをするとガブリエルはザカリヤに言います。親としてそれはどれほど残念で、また心配なことでしょうか。

私がまだ若い頃、クリスチャンホームの親に対するアンケートを読みました。「あなたの子どもが牧師や宣教師になると言った場合、それを応援しますか?」という設問でした。対象が熱心に礼拝を守ったり奉仕したりしているクリスチャンたちですから、当然多くの親たちが応援すると答えたと予想しましたが、実際にはまったく逆でした。自分の教会の牧師の生活を見れば苦労するのが分かりきっていますから、愛する子どもにそんな道を進んで欲しくないと思ったのでしょう。それが親心です。

しかし、ガブリエルはそれが喜びの理由だと語っています。

個人の損得を越えた世界

幸せについて、私たちは自分にとって、あるいは自分が関係する人たちにとって損か得かで考えてしまいがちです。しかし、神さまが考える人間の幸せとは、個人的な経験や感覚を越えたところにあるようです。

神の御子イエスさまご自身もそのような生き方をなさいました。イエスさまが十字架にかかられたというのは、単に肉体的な痛みを負ったということではありません(それだけでも大変な苦しみですが)。イエスさまは全人類の罪の罰を身代わりに受けるために十字架にかかりました。それは、「世界の全ての問題はお前のせいだ」と、責任をなすりつけられるということです。

しかし、イエスさまは喜んでそれを実行してくださいました。その結果、ユダヤ人だけではなく世界の多くの人たちが罪を赦されて神さまの子どもとされました。

イエスさまだけではありません。聖書に出てくる多くの信仰者たちは、一見自分にとって損な生き方を選びましたが、それによって大きな喜びや感動や充実感を与えられました。また、その生き方は神さまに覚えられていて、天国において大きな報いをいただくことができます。ノアもそう、アブラハムもそう、モーセもそう、ダビデもそう、ペテロもそう、パウロもそうです。

私たちも、個人的な損得で幸せを考えるのではなく、神さまのみこころに従い、みこころを実行することを喜びと考えましょう。

3.苦しみでさえも幸せ

信じられなかったザカリヤ

ずっと待ち望んできた息子が生まれると聞かされたザカリヤは、さぞかし喜んだに違いないと思いますが、実際には戸惑っています。自分たちのような老人に子どもが生まれるはずがないと思ったからです。彼らだけではありません。私たちも彼らと同じ境遇であれば同じように考えたでしょう。

ですから、ザカリヤは天使ガブリエルに対してこう答えました。「私はそのようなことを、何によって知ることができるでしょうか。この私は年寄りですし、妻ももう年をとっています」(18節)。

これはしるしを求める言葉です。自分は今のままでは信じられない。だから、信じて欲しいならば証拠を見せてくれということです。

ある人が「信仰の反対語は見ることだ」と言いました。実際に見たり触ったりして確認できるなら、そこに信仰は必要ありません。イエスさまもおっしゃっているとおり、「見ないで信じる人たちは幸いです」(ヨハネ20:29)。

しゃべれなくなるというしるし

ザカリヤは祭司でしたから、当然旧約聖書の中に、ずっと子どもが生まれなかった夫婦に子どもが与えられるという記録があることを知っていたはずです。特にアブラハムとサラはそれぞれ100歳と99歳の時にイサクが与えられました。ザカリヤとエリサベツが何歳かは書かれていませんが、まだ現役で働いていたところをみると、アブラハムたちの方がずっと年上だったはずです。

しかし、昔そういう奇跡があったと知識として知っているということと、同じような奇跡が自分の身に起こると信じることは違います。ザカリヤは常識を越えた神さまの約束を信じ切れずに、しるしを求めてしまいました。それに対して天使ガブリエルが用意したしるしは、息子が生まれるまでザカリヤがしゃべることができなくなるというものでした。

これは一見ザカリヤの不信仰に対する神さまの罰のように思えます。しかし、10ヶ月もの間しゃべることができなくなるという経験をしたザカリヤは、神さまが語られたことをそのまま信じる信仰を養っていました。やがてヨハネが生まれて名前を付ける際、先祖の名前をとってつけるのが当時の風習だったにもかかわらず、ガブリエルが命じたとおりの名前を付けました。その時、ザカリヤは語ることができるようになりました(64節)。そして、最初に語った言葉は、神さまへの賛美です。

愛する子どもに与える罰は、その子を苦しめることが目的ではありません。その子を成長させ、より素晴らしい人生を与えるためです。神さまは私たちを子どもにしてくださいました。私たちの身に起こることは、私たちにとってうれしいことだけでなく、苦しくてつらいことさえも神さまの愛の表れです。

感謝しよう

この話をお読みください

私たちも、今年の中通りコミュニティ・チャーチのテーマのように、たとえ思い通りのことが起こらなかったとしても、たとえ苦しいことが起こっても神さまに感謝しましょう。

まとめ

神さまの常識と私たちの常識は違います。神さまの常識を学び、それに従って感謝しましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 自分がつらい目に遭ったのは神さまにあまり愛されてない清田、むしろ憎まれているせいだと考えてしまったことがありますか? 実際はどうですか?
  • 一見、自分にとっては損だと思える行動でも、神さまのみこころだと思って実践した結果、損得を越えた喜びがやってきた経験がありますか?
  • 自分の願いや祈りがかなえられなかったことが結果的に良かったという経験がありますか?
  • 今あなたが体験していることで、最も神さまに感謝しづらいことは何でしょうか。それが起こり今も取り去られていないことをあえて感謝してみましょう。すると、あなたの心の中にどんな変化が生じますか?

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