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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

3つの誘惑

ルカによる福音書1章18節〜25節

(2020年2月2日)

参考資料

悪魔(サタン)や悪霊の起源についてははっきりと聖書に書かれているわけではありませんが、あちこちに書かれているヒントを総合すると、サタンも悪霊たちも元々は天使(御使い)として創造されました。しかし、あるときサタンが傲慢になって神さまに取って代わろうとして反逆し、全天使の三分の一がそれに従いました。それらが悪霊と呼ばれる存在です。

イエスさまがサタンに反論するために引用なさった旧約聖書の箇所は、4節が申命記8:3、8節が申命記6:13、12節が申命記6:16です。ちなみに、サタンが11節で引用したのは詩篇91:11-12です。

9節の「神殿の屋根の端」は、そこが建物の一番高いところ(聖所の屋上)なら、地面まで十数メートルの高さ、もしもケデロンの谷に面した西側の城壁の上なら、谷底まで百数十メートルの高さになります。

イントロダクション

イエスさまは、公に活動なさる前、荒野に退いて40日間に及ぶ断食をなさいました。その直後、神の敵である悪魔(サタン)がやってきて、イエスさまを誘惑しました。

皆さんは、誘惑を最近経験なさいましたか? 私たちが、神さまのみこころにかなう生き方をしようとするなら、必ずサタンがそれを妨害しようとするからです。そして、おいしそうな餌をちらつかせ、私たちを神さまのみこころでない方向に引っ張っていこうとするはずです(ですから、誘惑など感じたことがないという方は逆に心配です)。

私はつい最近、ある失敗を犯しました。その時、迷惑をかけた相手に対して、「こういう理由で仕方がなかったのです」と言い訳したいという誘惑に駆られました。結局言い訳をせず謝罪だけをしましたが、しばらく葛藤しました。

この世は誘惑に満ちています。今回は私たちと同じように悪魔の誘惑を体験し、それを退けられたイエスさまの記事から、私たちが誘惑に勝利するために必要な態度を学びましょう。

1.イエスが体験した誘惑

イエスさまが荒野で受けた誘惑は3つでした。それは、一見私たちには無関係のように思えますが、実は私たちも形を変えて受けている誘惑です。

石をパンに変えろ

1つ目の誘惑は「石をパンに変えろ」というものです。「そこで、悪魔はイエスに言った。『あなたが神の子なら、この石に、パンになるように命じなさい』」(3節)。

イエスさまは断食直後で大変お腹をすかせていました。普通に空腹を満たそうとすれば、近くの町や村まで移動し、お金を払ってパンを買わなければなりません。もし目の前の石をパンに変えることができたならすぐに食べることができて便利です。

世の中にはお金が無くて、あるいは飢饉や戦争などで、食べるものを手に入れられない人たちがたくさんいました。紀元1世紀だけでなく今もそういう人たちが世界中にたくさんいます。石をパンに変えることができたなら、どんなにその人たちが助かることでしょう。

このサタンの提案がイエスさまに対する誘惑なのはなぜでしょう。何が問題なのでしょうか。サタンの提案は、実は「天の父なる神さま抜きで自分の力だけで問題を解決し、人生を切り拓きなさい」という提案です。

サタンは「あなたが神の子なら」(3節)という言い方をしていますね。この言葉には「あなたは神の子なんだから」というニュアンスがあります。すなわち、「あなたにはそれをする力が与えられているんだから」という意味です。「だから、いちいち天の父なる神に頼らなくったって、自分の力で問題を解決できるし、救い主としての使命も全うできるはずだ。その第一歩として、おなかがすいているんだから石をパンに変えたらいい」。サタンはそのようにイエスさまに語っているのです。
イエスの反論
しかし、イエスさまは申命記8:3の一部を引用してサタンの提案を退けます。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある」(4節)。

そうですよね、ご飯だってうどんだってパスタだって食べたいし、栄養バランスを考えればおかずも必要です……と、そういうことではありません。

申命記8:3全体はこのような言葉です。その前後の節も合わせて読んでみましょう。

申命記8章
2 あなたの神、【主】がこの四十年の間、荒野であなたを歩ませられたすべての道を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試し、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
3 それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は【主】の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。
4 この四十年の間、あなたの衣服はすり切れず、あなたの足は腫れなかった。


この言葉は、出エジプトを体験したイスラエルの民が40年間荒野で生活した後に与えられました。本当なら、モーセの律法が与えられたシナイ山から約束の地の手前まで移動するのにかかる日数は11日でした(申命記1:2)。しかし、実際には40年間も荒野に留まり続けることになってしまいました。それは当時の民が約束の地に住んでいる敵を恐れて「自分たちは約束の地に入れない」と信じてしまったためです。そこで、「神さまがついているから大丈夫だ」と信じ続けたヨシュアとカレブ以外の大人世代がみんな死んで世代交代するまで、イスラエルは荒野に留まり続けなければならなかったのです。

その間、神さまは毎朝マナという不思議な食べ物を天から降らせてくださって、農業が不可能な荒野でイスラエルの民を養ってくださいました。自分の力だけでなく神さまの助けがあってはじめて生きることができるという環境の中で、若い世代のイスラエル人たちは神さまに信頼することの大切さを体験的に学びました。

イエスさまは、父なる神さま抜きで人生を切り拓くことを拒否し、神さまに信頼し神さまと共に生きる道を選択なさいました。こうしてイエスさまはサタンの第1の誘惑を退けました。

サタンを礼拝せよ

2つ目は、「サタンを礼拝するなら、世界のすべての権力と栄光をやる」という誘惑です。「すると悪魔はイエスを高いところに連れて行き、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せて、 こう言った。『このような、国々の権力と栄光をすべてあなたにあげよう。それは私に任されていて、だれでも私が望む人にあげるのだから。だから、もしあなたが私の前にひれ伏すなら、すべてがあなたのものとなる』」(5-7節)。

イエスさまは救い主として地上に来られました。旧約聖書の預言によれば、救い主はエルサレムで王となってダビデの王座に座り、そこから全世界を統治して理想的な王国である神の国(マタイの福音書では「天の御国」)にユダヤ人や異邦人(ユダヤ人以外の民族)の信者を住まわせます。

しかし、救い主が神の国の王となる前にしなければならないことがあります。それは「罪の贖い」です。すなわち、十字架にかかって血を流し、全人類の罪の罰を身代わりとして受けなければなりません。それは肉体的にはもちろん、精神的にも霊的にも大変な苦しみです。

もしサタンを礼拝すれば、そんな苦しみなど一切無く、手っ取り早く全世界の王になることができます。

サタンにはそれを可能にするだけの力があります。黙示録を読んでみると、獣と呼ばれる人物(他の箇所では反キリスト、不法の人などとも呼ばれます)がサタンを礼拝し、その力によって全世界の独裁者になることが預言されています。

しかし、イエスさまは申命記6:13の言葉を引用してこれを退けました。「イエスは悪魔に答えられた。『「あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい」と書いてある』」(8節)。

どんなに手っ取り早くても、どんなに苦しみがない楽な道であったとしても、まことの神さまを捨てるような道は選ばないと宣言なさったのです。こうして第2の誘惑が退けられました。

高所から飛び降りよ

3つ目の誘惑は、高いところから飛び降りてみろというものでした。これまでイエスさまが聖書の言葉を使って誘惑をはねのけてこられましたから、今回サタンは聖書の言葉、具体的には詩篇91:11-12の言葉を使って誘惑します。「また、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、こう言った。『あなたが神の子なら、ここから下に身を投げなさい。 「神は、あなたのために御使いたちに命じて、あなたを守られる。 彼らは、その両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする」と書いてあるから』」(9-11節)。

これに対して、イエスさまは申命記6:16を引用してこれを退けました。「するとイエスは答えられた。『
「あなたの神である主を試みてはならない」と言われている』」(12節)。


「神を試みる」とはどういうことでしょうか。それは、自分で勝手に「神さまは、こういうふうに働くはずだ」と決めつけることです。そして、自分でわざと困った状況を作り上げて「さあ助けてみろ」と神さまの助けを期待することです。

たとえでお話ししましょう。自動車保険の契約で、人をはねてケガをさせてもその治療費や自分の車の修理代を支払ってもらえることになっているとします。じゃあ本当かどうか試してやろうと思って、わざと人をはねるのは馬鹿げていますね。

同様に、
  • 神さまは私たちを愛し守ってくださいます。しかし、だからといって不必要な危険をわざわざ冒すのは間違いです。
  • 神さまは私たちを養ってくださいます。しかし、だからといって無計画に贅沢三昧してお金を浪費するのは間違いです。
  • 神さまは私たちの罪を赦してくださいます。しかし、だからといって安心してわざと罪を犯すのは間違いです。
「神を試みる」とは、別の言い方をすると、自分の欲望を満たすために神さまを利用することです。

ですから、イエスさまはサタンの提案通りに高いところから飛び降りることを断固拒否なさいました。こうして第3の誘惑も退けられました。

では、イエスさまが体験なさった3つの誘惑は、私たちにとってどんな意味があるのでしょうか。そして、どのように対処すればいいのでしょうか。

2.私たちへの誘惑

神さま抜きで人生を切り拓け

きっと皆さんは、「石をパンに変えろ」などとは誘惑されないでしょう。しかし、「神抜きで、自分の力だけでやってみろ」という誘惑は、毎日のように経験していらっしゃるのではないでしょうか。

いや、誘惑されているということすら気づかないことがあるのではないでしょうか。気づかないうちに、いつの間にか神さまに信頼しないで自分の力だけで生きている瞬間がないでしょうか。

病気との闘いは、まず自分が病気だということを知ることから始まりますね。誘惑との戦いも同じです。サタンは私たちを神さまから引き離し、神さまとの親しい親子の交わりや敬虔な主従関係を破壊しようと狙っています。まずそれに気づくこと、そして意識し続けることが大切です。

意識し続けるのに効果的なのが祈りです。イエス・キリストの名による祈りは私たちの心を神さまに向けます。神さまに信頼して頼る心を育てます。

といっても、目を閉じてひざまずく祈りをいつもするわけにはいきません。しかし、大切な人と車でドライブすることを考えてみましょう。目を閉じて両手を組んで運転したら危ないですが、目を開けて運転に気持ちを向けながら、同時に助手席の大切な人にも気持ちを向けて、おしゃべりを楽しんだり相談に乗ったりすることは可能ですね? それと同じように、イエスさまがいつも隣にいることをイメージしながら、心の中でおしゃべりしましょう。

それにより、私たちに対する「石をパンに変えろ」という誘惑、すなわち「神抜きで、自分の力だけでやってみろ」という誘惑に気がつき、勝利することができます。

間違った手段で手に入れろ

欧米では実際にサタン礼拝をする人たちがたくさんいるそうですが、なかなか日本ではお目にかかりません。もちろん、サタン礼拝をするなど論外です。

しかし、「繁栄」とか「安定」とかは、私たちにとって大きな誘惑の種になり得ます。

といっても、繁栄や安定自体が悪いわけではありません。与えられたものを大いに使うことで、神さまや人への愛を様々な方法で表すことができます。ですから、繁栄や安定を求めること自体も悪いことではありません。

サタンの誘惑は、本来良いものを間違った手段で手に入れさせようとするものです。イエスさまが全世界の王となって、そこに住む人々や動物たちが幸せに生きられるようになることは素晴らしいことですが、それを達成するのに通過しなければならない苦しみを避けて、サタンを神として礼拝するというのは間違った手段です。

同様に私たちも、
  • お金を儲けること自体は良いことですが、詐欺や盗みによって手に入れるのは間違いです。
  • 性の喜びは素晴らしいものですが、夫婦以外の関係でそれを手に入れるのは間違いです。
  • 自尊心を持つことは大切ですが、他の人をおとしめることで手に入れるのは間違いです。
  • 平安でいることは素晴らしいことですが、不必要な物に囲まれることで安心を得ようとするのは間違いです。
  • 喜びに満たされ生き生きとした充実感を得ることは素晴らしいですが、不法な薬物や犯罪行為によって手に入れるのは間違いです。
どんなにお得に見えても、どんなに楽に見えても、どんなに手っ取り早くても、神さまのみこころに外れたことはしない。自分はイエスさまが喜ばれることをする。そのようにいつも自己宣言しましょう。そうやって一日を始めましょう。そうやって午後の仕事や勉強に取りかかりましょう。

神を利用しろ

「神を試みる」とは「自分の欲望を満たすために神さまを利用すること」だと申し上げました。それだけ神さまのことを軽く見るということです。

私は高所恐怖症ですから、高いところから飛び降りてみろという誘惑を受けることはおそらく一生ないでしょう。しかし、神を試せという誘惑は手を変え品を変えて私を襲います。たとえば「それくらいの罪は行なっても大丈夫だよ。だって、どうせ赦されるんだから」とか、「サボっても大丈夫だよ。だって、神さまは必ず幸せにしてくださるんだから」とか……。

まず自分の欲望があって、神さまをそれを満たすための手段にさせようとする。全宇宙の支配者でいらっしゃる神さまに対して、まるで私たちに仕える奴隷ような扱い、まるで祝福の自動販売機のような扱いをさせようとする。これもまた、私たちがいつも経験している誘惑ではないでしょうか?

今、御朱印帳が流行っていて、多くの人が神社を訪れるのがブームになっているそうです。多くの人が神社を訪れるのは願い事のためです。一方、私たちクリスチャンが神さまに意識を向けるのは、願い事があるときだけではないはずです。

この自分の罪を赦すためにイエスさまが十字架にかかり、死んで葬られ、3日目に復活なさったと信じた私たちクリスチャンは、ただ赦されて罰を免れただけでなく神さまの愛する子どもにしていただきました。親との会話が願い事ばかり。そんな親子関係は不健全です。

私たちの言葉を神さまに聞いていただくだけでなく、私たちも神さまの言葉を熱心に聞き、それに従わなければなりません。イエスさまはサタンの誘惑を退けるのに、聖書の言葉をお用いになりました。聖書は、神さまのみこころを知るための客観的な情報源です。祈りながら聖書を読み、神さまが今の自分に実行して欲しいと思っておられることがなんなのかを読み取り、それを実践しましょう。

まとめ

イエスさまが闘われた誘惑は、私たちにも決して無関係ではありません。誘惑に勝利するために、
  • 祈りを通していつも神さまを意識しましょう。
  • 神さまが喜ばれることをするといつも宣言しましょう。
  • 聖書に親しんで私たちに対する神さまの願いに耳を傾けましょう。

あなた自身への適用ガイド

  • 最近、誘惑を感じましたか?
  • それは、どんなみこころに反する誘惑でしたか?
  • あなたはそれに対して、どんなふうに対処しましたか?
  • 荒野の3つの誘惑は、自分とどんな関係がありますか?

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